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 文部科学省は「考え、議論する道徳」をめざすという。その取り組みが、この検定意見であり、この教科書なのだろうか。

 道徳が来年春から教科になるのに伴い、文科省が小学校の教科書の検定結果を公表した。

 話し合ったり、発表したり、主人公の役を演じて考えたりするなど、学習方法はたしかに多様になった。

 しかし、肝心の中身は学習指導要領にがんじがらめだ。

 検定の具体例を見てみよう。

 指導要領は道徳科の内容として、「正直、誠実」「節度、節制」「礼儀」「感謝」など22の徳目を定めている。

 他の教科と違い、これらに客観的・科学的根拠があるわけではない。だが指導要領に書かれている以上、教科書はすべてを網羅しなければならない。

 加えて検定意見は、一つひとつの徳目の説明に書かれている具体的な事項にふれていなければ、「不適切」とした。

 例えば、指導要領は「感謝」の対象として高齢者を挙げる。このため元の教科書にあった地域の「おじさん」への感謝は、「おじいさん」に書き換えられた。町探検で出合った「アスレチック」は、「伝統と文化の尊重」を理由に、「こととしゃみせん」の店に変更された。

 あまりのしゃくし定規ぶりに驚く。「考え、議論する道徳」の最初の教科書が、こんなに窮屈な検定姿勢から生まれるとは皮肉以外の何物でもない。

 国が指導要領で徳目の内容を定め、それに基づいてつくった教科書を改めて国が検定する。この二重の縛りが、お仕着せの教科書を生んだ。朝日新聞の社説は「道徳の教科化」に疑念を投げかけてきたが、その思いは深まるばかりだ。

 道徳の狙いは、「いかに生きるか」という課題に子どもたちを向きあわせることにある。文科省が決めた徳目の枠内に、そもそも収まるはずがない。

 教員には教科書を使う義務があるが、文科省も独自の教材の使用まで禁じてはいない。

 一線の先生に求めたいのは、あくまでも目の前の児童・生徒から出発する姿勢である。一人ひとりの子やクラスをとりまく状況を踏まえ、身のまわりの出来事も素材にして、胸に届く指導を試みてほしい。

 教育委員会や学校長には、現場の意向を最大限尊重し、工夫の余地を確保してもらいたい。考え、議論する力を本気で育てたいのなら、成長段階に応じて、教科書の内容そのものを疑い、批判的に読む授業も認めるべきだろう。

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