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 安倍内閣の閣僚がまた、見識を疑われる発言をした。

 こんどは鶴保庸介沖縄担当相だ。米軍普天間飛行場の辺野古移設計画に反対する沖縄県の動きについて、「ポジショントーク(自身に都合のよい発言)をするような向きも、ないではないかもしれない」と述べた。

 これは違う。県の反対行動は14年の知事選と衆院選、13年と16年の参院選など、たび重なる選挙結果で裏打ちされた「辺野古移設反対」の民意に基づく。決して口先だけで都合よく語っているわけではない。

 政府に反対の声をあげることで「気持ちよかったね、というだけで終わったんじゃ意味もない」とも語った。まるで県民が反対を叫ぶことで留飲を下げているかのような言い方だ。

 日米両政府の普天間返還合意からきのうで21年。政府と県民に、また県民同士に長く、深い分断を生んできた経緯を踏まえれば、これほど粗雑な言い方はできないはずだ。

 一方で鶴保氏は、政府と県が「建設的な意見を戦わせるべきではないか。その場を作っていくべきではないかとずっと申し上げている」とも述べた。

 この発言に異論はない。だがならばなぜ、政府は県との対話に常に消極的なのか。県の頭越しに米国と「辺野古が唯一の解決策」と確認するのか。政府と沖縄をつなぐため、鶴保氏はどんな努力をしてきたのか。

 昨年、政府と県の訴訟について「早く片づけてほしいということに尽きる」と語った鶴保氏である。鶴保氏の言葉こそポジショントークではないのか。

 担当相として寄り添うべき人々を、逆に突き放すような閣僚はもう一人いる。

 東京電力福島第一原発事故による自主避難者をめぐり、「本人の責任でしょう」などと語った今村雅弘復興相だ。

 一昨日の国会審議で発言の一部は取り消したが、自主避難者が行政の対応に不服なら「裁判でも何でもやればいい」と言った部分は撤回しなかった。

 鶴保氏と今村氏に共通するのは、担当相として向き合うべき国民と、同じ目の高さに立っているとは思えないことだ。

 安倍内閣では、首相自身の「もちろん南スーダンは、例えば我々が今いるこの永田町と比べればはるかに危険な場所」とか、稲田防衛相の「記憶に基づいた答弁であって、虚偽の答弁をしたという認識はない」といった詭弁(きべん)が目立つ。

 「安倍1強」という政治状況が、閣僚の傲慢(ごうまん)さを増幅させているのは明らかだ。

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