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 あの戦争のころ、世の中はどんな色をしていたのか。

 世界のすべてがモノクロームだったようなイメージがある。そう話す若者たちがいる。目にする空襲や戦地の映像はどれもモノクロだから、と。

 「『戦時下』って、自分とは別次元のまったく違う世界だと感じていた」

 戦中の暮らしを描いたアニメ映画『この世界の片隅に』で主人公の声を演じた、いま24歳ののんさんもそう語っていた。

 今年も8月15日を迎えた。

 「不戦の誓いとか戦争体験の継承とか言われても、時代が違うのだから」。若い世代からそんな戸惑いが聞こえてくる。

 たしかに同じ歴史がくり返されることはない。戦争の形も時代に応じて変わる。だが、その土台を支える社会のありように共通するものを見ることができる。そこに歴史の教訓がある。

戦時下のにぎわい

 日中戦争が始まった翌月の1937年8月。作家の永井荷風は日記に書いた。「この頃東京住民の生活を見るに、彼らは相応に満足と喜悦とを覚ゆるものの如(ごと)く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、むしろこれを喜べるが如き状況なり」

 軍需産業の隆盛で日本はこの年、23%という経済成長率を記録。世は好景気にわいた。

 戦線が中国奥地に広がり、泥沼化した2年後の東京・銀座の情景もさほど変わらない。

 映画館を囲む人々の行列。女性たちは短いスカートでおしゃれを楽しむ。流行は、ぼたんの花のようなえんじ色とやわらかい青竹色。夜になればサラリーマンはネオンの街に酔った。

 戦地はあくまでも海の向こう。都会に住む人の間には「どこに戦争があるのか」という、ひとごとのような気分があったと当時の記録にある。

 どこに、の答えが見つかった時にはもう遅い。〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉。この年そう詠んだ新興俳句の渡辺白泉は、翌年、創作活動を理由に治安維持法違反の疑いで逮捕される。白泉が言い当てたように、時代は日常と非日常とを混在させながら流れていった。

いまを見る歴史の目

 社会が息苦しさを増す過程で最初にあらわれ、後戻りすることがなかったのは、多様性の否定だった。朝鮮、台湾の植民地や沖縄で日本への同化教育が行われ、国内でも天皇機関説事件などによって、学問や言論の自由が急速に失われていく。

 享受している生活が、そうした価値と引き換えであることに気がつかなかった人、気づいたけれども声に出さなかった人。その後の日本にどんな運命が待ち受けていたかを、後の世代は知っている。

 歴史の高みから「分岐点」を探し、論じるのはたやすい。ではいまの社会は、数十年後の日本人からどんな評価を受けるのだろうか。

 作家の半藤一利さんは、近代以降の日本は40年ごとに興亡の波を迎えてきたと説く。

 幕末から日露戦争まで。そこから先の大戦に敗れるまで。次は焼け跡からバブル経済まで。興隆と衰退が交互にあり、いまは再び衰退期にあると見る。

 「人々は約40年たつと、以前の歴史を忘れてしまう。日中戦争や太平洋戦争の頃のリーダーで日露戦争の惨状をわかっていた人は、ほぼいない。いまの政治家も同じことです」

「似た空気」危ぶむ声

 半藤さんも、ほかの学者や研究者と同様、「歴史はくり返す」と安易に口にすることはしない。歴史という大河をつくるひとつひとつの小さな事実や偶然、その背後にある時代背景の複雑さを知るからだ。

 それでも近年、そうした歴史に通じた人々から「戦前と似た空気」を指摘する声が相次ぐ。

 安保法制や「共謀罪」法が象徴のように言われるが、それだけでない。もっと奥底にあるもの、いきすぎた自国第一主義、他国や他民族を蔑視する言動、「個」よりも「公の秩序」を優先すべきだという考え、権力が設定した国益や価値観に異を唱えることを許さない風潮など、危うさが社会を覆う。

 「歴史をつくる人間の考え方や精神はそうそう変わらない」と、半藤さんは警告する。

 一方で、かつての日本と明らかに違う点があるのも確かだ。

 表現、思想、学問などの自由を保障した憲法をもち、育ててきたこと。軍を保有しないこと。そして何より、政治の行方を決める力を、主権者である国民が持っていることだ。

 72年前に破局を迎えた日本と地続きの社会に生きている己を自覚し、再び破局をもたらさぬよう足元を点検し、おかしな動きがあれば声を上げ、ただす。

 それが、いまを生きる市民に、そしてメディアに課せられた未来への責務だと考える。

 1945年8月15日。空はモノクロだったわけではない。夏の青空が列島に広がっていた。

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