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 平成という時代を色で表すなら、何色でしょうか。戦争と平和の昭和時代が、赤と黒のコントラストで描けるとしたら、平成は、暖かい黄色や淡いブルーでしょうか。もちろん現在進行形ですから、まだ明確にはとらえがたい時代です。それでも、思いおこすと、記憶に残る言葉があります。あなたならどう振り返りますか。

成熟国家とは、続けた模索 歌手、アグネス・チャンさん(62)

 昭和と比べて平成は、物質的にも満たされ、哲学的になったと思います。

 阪神・淡路大震災が起こった1995年はボランティア元年と言われました。若者の考え方が変わりました。頼まれなくても、人を助ける、自分で自分を変えていこう、という新しい社会貢献の波がありました。

 平成は、日本にとって、成熟した国の姿を考える時期だったのかもしれません。本当の幸せとは、本当の貢献とは、本当の価値とは、と。まだ模索中かもしれませんが。

 女性についての意識も変わりました。昭和の時代には、私が赤ちゃんを職場に連れていったことがきっかけで、「アグネス論争」が起きました。いまではふつうのことになりました。

 私は結婚するとき、日本人の夫に「(仕事を)続けてもいいですか?」と聞きました。昭和ではそれがふつうでした。いまはそうではないですよね。また、一般的に男性が台所に入ることを好まないしゅうとめが少なくなかったと思いますが、うちはいま夫が喜んで台所に入っています。

 まだまだ厳しいですが、女性たちのチャンスは増えています。ただのブームで終わるか、本当に実力を発揮して日本を新しい世界につれて行くか。新しい元号のもとで試されます。

 私が香港出身だということについて、昭和の方が差別意識がなかったように思います。当時は外国から学ぼうという気持ちを感じました。でも、最近はちょっと違う。

 温暖化と戦争で民族が大移動し、世界中が自分を守らなくてはと内向きになっています。その内向き志向とインターネットの普及で、それまでは公には出てこなかった声が仲間を見つけ、ヘイトスピーチや差別の波につながっています。

 昭和の時代、日本はアジアでナンバー1だったけれど、もっと謙虚でハングリーだったと思います。平成の30年は経済的、軍事的、世界への影響力という意味でも中国が脅威になってきた。面白くないと感じる人もいて、それが差別意識にも影響していると思います。

 (聞き手・大久保真紀)

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 香港生まれ。1972年に「ひなげしの花」で日本デビュー。国連児童基金アジア親善大使。

戦後社会の構造改革、失敗 評論家・宇野常寛さん(38)

 「平成」というのは要するに失敗したプロジェクトだと思います。そのプロジェクトとは、グローバル化と情報化という世界史的な二つの大きな波を正しく受け止め、戦後の社会をアップデートすることです。しかしこのアップデートを担った「改革」は、完全に失敗に終わった。

 この場合の改革は要するに二大政党制に基づいた成熟した民主主義を目指し、小さな政府を志向する構造改革路線でグローバル資本主義に対応していこう、というものです。「改革」勢力を担う指導者がポピュリズムで旧自民党的な縁故主義に対抗するというのがこの時期の構図です。しかしどの改革勢力の覇権も一過性で、気がつけば批判票を野党に与えながら自民党の内部改革を祈ることしかできない55年体制に近い状況に戻ってしまった。

 僕の考えでは、「改革」勢力がポピュリズム戦略を取ってしまったのが頓挫の原因です。彼らはポピュリズムに頼るのではなく、「風」が吹いている間に旧自民党や共産党を支える票田組織に対抗するコミュニティーを、都市のホワイトカラー層の受け皿としてつくりあげるべきだったと思います。インターネットの普及した今、それも不可能ではないはずですが、彼らはテレビもネットもポピュリズム的な動員の手段としてしか使えなかった。これが失敗の本質です。

 日本社会が、昭和の成功体験を忘れられないのも大きいですね。1964年の五輪は復興と高度成長の象徴であると同時に、経済発展のための国土整備の錦の御旗だったはずです。2020年の五輪にはしっかりした構想が何もなく、なんとなく「五輪が来ればあの頃に戻れるかも」なんてバカな期待が渦巻いている。

 はっきり言って、国単位で見れば、日本に希望はありません。ただグローバル化の帰結で、国家と個人の間の都市や企業といった中間のものが担えることが増えている。この中間の規模のものが国家を横に置いて海外に開き、新しい産業や文化に接続していくことには希望はあると思います。

 (聞き手・高久潤)

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 批評誌「PLANETS」編集長。著書に「ゼロ年代の想像力」「日本文化の論点」など。

天皇、中心ではなくなった 米コロンビア大学教授、キャロル・グラックさん(75)

 まず、平成になって、日本人と暦の関係が大きく変化しました。人びとは、元号、西暦、年代(1960年代、90年代)そして「戦後何年」という4種類の暦をごく自然に重複させ、ミックスさせながら、矛盾なく使っています。もう元号は、昭和までと同じ存在ではないといえます。

 元号と日本人の関係が決定的に違っています。かつてのような元号と西暦をめぐるイデオロギー対立はみられず、ほとんどの日本人は、便利に暦を使い分けるようになりました。

 さらに、明治や昭和を考えれば分かりますが、元号は天皇と非常に強く結びついていました。以前の日本人の意識では、天皇は元号と時代の中で中心的な位置を占めていました。

 しかし、平成は違うようです。今の天皇の性格や言動も、ある程度は影響しているかも知れませんが、それだけではなく、日本人の意識に根本的な変化が起きたのです。平成の次の時代も、明治や昭和のように天皇が再び中心になるということはないでしょう。

 この変化は、今の天皇の生前退位を、国民の圧倒的多数が支持したことからも明らかになりました。皇位継承や皇室典範に関して、保守的な姿勢をとりたかったはずの安倍政権も、こうした世論を無視することは不可能でした。

 では、平成の30年間は、どんな時代として後世に記憶されるのでしょうか。政治改革が叫ばれ、政権交代もありましたが、政治的なことで記憶される時代ではないように思えます。

 激動の時代としてでもなさそうです。不況、失われた10年、度重なる自然災害、オウム真理教などの事件、格差の拡大などがありましたが、朝日新聞の世論調査で、3分の2以上の人びとが「明るい」か「どちらかといえば明るい」時代だととらえていることは驚きでした。

 ある時代の歴史的な性格やアイデンティティーは、その時代が終わってから定まるのが普通です。平成がどんな時代だったかは、これから起こることで、決まっていくでしょう。

 (聞き手・池田伸壹)

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 米国における日本近現代史と日本思想史研究の第一人者。著書に「歴史で考える」など。

 ◆大久保、高久、池田のほかに藤原秀人と三浦俊章が担当しました。

 

 <訂正して、おわびします>

 ▼8月30日付特集面「『平成』を振り返る」の年表で、「北海道拓殖銀行破綻(はたん)、山一証券が自主廃業」が平成8年(96年)11月とあるのは、平成9年(97年)11月の誤りでした。また、平成19年の「iPhone(アイフォーン)」の写真は、その後発売された機種の写真でした。年表のもとになる資料との照合が不十分でした。

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