[PR]

 菊が咲き誇る秋。ワカメときたら、ご近所の大輪の花をもぎ取ってしまった。でもそれを見ても、家主らしき「おじちゃん」はニコニコ。軍人恩給が復活するとわかって以来、ゆるんでしまったようだ。その立派なひげから見ると「おじちゃん」はかつて高い位の職業軍人だったのかもしれない。

 「石灯籠(どうろう)、踏み石、庭の木などから見ると裕福そうな邸宅の暮らしですね」。マンガを見てそう語るのは、空襲被害者訴訟の原告代理人で軍人恩給に詳しい弁護士の大前治さん(46)だ。「国から援助を受けなくても生きていける人が恩給ももらえることになり、笑いがとまらないといった様子ではないでしょうか」

     *

 明治初期の佐賀の乱、台湾出兵を機に発足、軍人、遺族らの生活を保障していた軍人恩給制度はGHQの「非軍事化政策」の一環として1946年2月に停止された。しかし52年に主権が回復すると翌53年に復活。再軍備が進むなかでの「逆コース」の一つとされる。前年には元軍人軍属らへの戦傷病者戦没者遺族等援護法も制定された。マンガが掲載された52年11月には、翌年度の予算編成を前に、新聞では連日、軍人恩給が大きなニュースとなっていた。

 とくに問題となったのは、支給金額が旧軍隊の階級に基づいて計算されたことだ。一定年限以上勤務すると給付される普通恩給は53年度で大将に年額最低16万4800円、二等兵2万200円。52年11月20日付の朝日新聞「天声人語」はいう。「今さら大将とか上等兵とかと旧軍隊の階級制度をそのまゝに持ち出すのは、過去の亡霊を呼びもどすようで気色の悪い話だ」

 大前さんは「当時は傷痍(しょうい)軍人が町中で救いを求めていた。赤紙一枚で召集され、窮状と悲しみの中にあった元軍人や遺族には恩給に救われた人も多い」としながらも、問題点をこう指摘する。

 「空襲被害者や戦災孤児、引き揚げ者、財産供出者など、内外に戦争で苦しんだ多様な人たちがいるなかで軍人への補償が一番に復活。しかも軍隊で責任ある立場にあった者ほど支給額が多いということは、軍人恩給は戦争遂行の功をたたえるものになっている」

 54年の改正で戦犯の刑死も「公務死」扱いとなった。読売新聞には「東條(英機)未亡人56万円」なる大見出しも飛んだ。

 立命館大学名誉教授の赤澤史朗さんによると、当初は軍人、遺族らの生活保障的な面もあった軍人恩給は毎年のように改正され、支給対象が増えるにつれ、「既得権」化する。50年代には恩給より社会保障の充実を訴える声や、恩給費が一般会計予算の1割近くに達するなかで「恩給亡国」論を唱える声もあった。が、60年代の高度成長期に税収が増え、財政的危機感が薄れると関心は失われていったという。支給額は膨らみ続け、80年代には1兆7千億円に達した。

 対象者は減ったとはいえ、今も支給額は年3千億円近い。これまで元軍人軍属に支払われた恩給などは約60兆円。一方、「国と雇用関係のなかった」民間人空襲被害者や、戦後日本国籍を失った元軍人軍属には補償ゼロの状況が続く。

     *

 再び「サザエさん」へ。大前さんは、長谷川町子さんの姉毬(まり)子さんの夫がインパール作戦で戦死したことを思い出した。遺族の悲しみを知りつつ、恩給制度の不合理性を描いたところに長谷川さんの思いを感じたそうだ。(林るみ)

     ◇

 サザエさんのベスト版『よりぬきサザエさん』の全13巻が好評発売中です(税込み各1080円)。

 ご注文は書店、ASAまで。詳細はhttp://publications.asahi.com/yorinuki/別ウインドウで開きますへ。

 <訂正して、おわびします>

 ▼9月30日付「サザエさんをさがして」の写真説明で「1953年7月、東京・皇居内の総務省恩給局分室で」とあるのは「1953年7月、東京・皇居内の総理府恩給局分室で」の誤りでした。

こんなニュースも