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 福島第一原発で未曽有の事故を起こし、今も後始末に追われる東京電力に対し、原発を動かすことを認めてよいのか。

 国民に説明し、理解を得る責任が政府にはある。それを果たさないまま、なし崩しに再稼働を進めることは許されない。

 東電が再稼働をめざす柏崎刈羽原発(新潟県)について、原子力規制委員会が技術面で基準を満たすとする審査結果をまとめた。国の手続きは山場を越え、「原発回帰」の加速につながる節目である。

 ■「丸投げ」姿勢の政権

 安倍政権は「規制基準への適合を規制委が認めれば、その判断を尊重し、地元の理解を得て、再稼働する」との姿勢だ。

 だが、この進め方は、大切なことが抜け落ちている。再稼働は本来、規制委や自治体に判断を丸投げするのではなく、事故のリスクや安全対策、社会的な必要性などを踏まえて、国が総合的に判断すべきものだ。

 東電の柏崎刈羽は、全国の原発の中でもとりわけ、検討するべき課題が多く、重い。

 事故の被害者が納得するか。避難計画も含めて安全を確保し、周辺住民の不安を拭えるか。事故処理費用をまかなう目的ばかりが強調されるが、電力供給や電気料金面の対策として不可欠なのか。そして、事故の反省に立ち、原発への依存度をどう下げていくのか。

 こうした疑問を、福島や新潟をはじめ多くの国民が抱く。政府は答えなければならない。

 規制委は、原発施設の安全性を専門家が技術的にチェックする役回りにすぎない。今回、東電だけの特例として、原発を動かす資格を見極めようとした。それ自体が、再稼働手続きに不備があることを表している。

 規制委が議論したのは、東電は安全文化や閉鎖的な体質を十分改善できたか、福島第一の廃炉に人手や資金を取られる中、柏崎刈羽で安全対策がおろそかにならないか、といった点だ。

 その姿勢は妥当だが、経営体制や組織運営に十分踏み込まないまま、「安全に責任を持つ」という東電社長の決意表明をもとに「合格」とした。拙速な判断と言わざるを得ない。

 ■手続き全体見直しを

 今の再稼働手続きは、規制委任せ、自治体任せ、電力会社任せになっている。全体を見直し、国がしっかり責任を持つ仕組みにすることが不可欠だ。

 規制委の審査基準について、政権は「世界でもっとも厳しい」と強調するが、規制委自身は「最低限の要求でしかない」と繰り返す。政権はまず、規制委が安全を全面的に保証したかのように印象づける姿勢を改めなければならない。

 事故時の避難計画は規制委の審査対象になっておらず、政府としての対応が求められる。

 自治体との関係も課題だ。

 規制委の手続きが終わると、県や立地市町村の同意が焦点になるが、電力会社との安全協定に基づく手順にすぎない。ひとたび過酷事故が起きた時の被害の深刻さを考えれば、同意手続きを法的に位置づけた上で、国が直接関与するべきだ。

 避難計画の策定を義務づけられた原発30キロ圏内のすべての自治体と政府が一緒に協議する。計画の実効性や再稼働の必要性などを幅広く検討し、運転を認めるかを判断する。そんな仕組みが必要ではないか。

 個々の原発を動かすかどうかについて、政府は電力各社の経営判断の問題だとし、前面に出るのを避けてきた。だが、原発をさまざまな政策で支える「国策民営」を続けており、事業者任せではすまされない。

 ましてや東電は、事故に伴う賠償や除染を自前でできず、実質国有化された。経営方針を差配しているのは経済産業省だ。再稼働への疑問や不安に答える責任を、政府は東電とともに果たすべきである。

 ■原発問い直す契機に

 柏崎刈羽の審査合格は、日本の原発の今後に大きな影響を及ぼす。

 これまでに規制委の審査を通った12基は西日本にある「加圧水型」で、福島第一と同じ「沸騰水型」では柏崎刈羽が第1号となる。これが呼び水となり、今後は東日本でも再稼働の流れが強まりそうだ。

 柏崎刈羽が再び動けば、地方に原発のリスクを背負わせ、電気の大消費地が恩恵を受ける「3・11」前の構図が首都圏で復活することにもなる。

 福島の事故から6年が過ぎても、被害は癒えない。原発に批判的な世論が多数を占める状況も変わらない。その陰で、国が果たすべき責任をあいまいにしたまま、再稼働の既成事実が積み重ねられていく。

 そんな状況を見過ごすわけにはいかない。原発問題には社会全体で向き合う必要がある。

 衆院選では、各党は考えを明確に示し、国会での議論につなげる。国民も改めて考える。

 柏崎刈羽の再稼働問題を、その契機としなければならない。

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