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 これは新たな個人独裁ではないのか。おととい閉幕した中国共産党大会と、きのう発足した党指導部の人事から、そんな疑念が湧いてくる。

 5年前、党トップの総書記に就いた習近平(シーチンピン)氏は一貫して権力集中を進め、今回、党規約に自らの名を冠した「思想」を書き込んだ。この短期間で毛沢東、トウ小平に並ぶかのような権威づけがされるのは異例だ。

 最高指導部である常務委員や政治局員の人事でも習氏に近い人物が要所に配された。

 習氏にとっては党の立て直しのつもりなのだろうが、これほどの力の集中は、危うい。

 かつて独裁者の毛沢東が「大躍進」「文化大革命」の名の下で過ちを犯し、数千万人規模の命を奪う災難をおこした。毛の死去後に集団指導体制に転じたのは重い教訓ゆえでもある。

 ところがその後は集団指導下での市場経済化に伴い、各指導者のもとでの利権構造が生じ、腐敗が深まった。国有石油企業を通じて蓄財していた周永康氏の事件は記憶に新しい。

 そうした構造に切り込むためにも、習氏はトップである自身の権限を強め、一党支配の安定化を図ろうとしている。

 だが、腐敗をただすのは当然だとしても、まるで毛時代に戻るような方向は間違っている。どんな権力であれ、批判や牽制(けんせい)を受け、説明責任を果たす仕組みが欠かせない。

 メディアによるチェック機能を高め、政策決定過程の透明化を求める議論は、もともと共産党の内外にあった。しかし今では、こうした改革派の影が薄くなったことが懸念される。

 新しい常務委員にも、5年後に習氏を継ぐべき次世代の顔ぶれが入らなかった。習氏は2期10年という従来のルールを変えて3期目以降も続けるつもりなのか。長期院政を敷くつもりなのか。権力集中の果てにはそんな可能性も見える。

 世界的には、グローバル化の波の中で欧米の自由民主主義の政治が混迷していることから、中国の一党支配による安定は、皮肉な強みとみられることもある。しかし、今の時代、どんな独裁も決して国の持続的な長期安定はもたらさない。

 北京では習氏をたたえる報道ばかりだ。この5年、生活水準の底上げが進み、習体制への支持は確かに厚い。それでも、毛沢東時代のような熱狂からは程遠く、多くの市民は冷静だ。

 飢える心配がなくなり、外の世界を広く知り始めた人々が、いつまでこの体制を容認し続けるか、やがて問われるだろう。

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