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 「アルツハイマー病は『脳の糖尿病』ではないか?」。研究者たちの間で、こんなことが言われるようになってきました[1]。脳の糖尿病って、どういうことでしょうか。今回は、「脳のインスリン抵抗性」という現象についてひもときながら、2つの病気の関係について考えてみたいと思います。

 前回、インスリンがあっても効きにくい状態として「インスリン抵抗性」(これは全身の細胞が対象になります)についてご紹介しました。最近、「亡くなった認知症患者の脳を解剖して調べたら、神経細胞にインスリン抵抗性の特徴がみられた」といった研究結果が報じられています。これって一体どんな現象なのでしょう。

 まずは、インスリンの働きについて考えてみましょう。私たちの体はたくさんの細胞でできていますが、インスリンはその細胞の表面にあるインスリン受容体という「受け皿」に結合して、それぞれの細胞のタイプに応じた信号を伝えます。その中で、代表的な作用は、全身の筋肉の細胞(骨格筋細胞)に「ブドウ糖を取り込みなさい」と伝える信号です。

●ボタンを押しても開かない

 もうすこし説明します。ブドウ糖が細胞に入るときは、「グルコース・トランスポーター」という専用の通り道を通ります。この通り道の中には、インスリンが受け皿にくっつくことで初めて道が開くものと、インスリンがなくても開くものとがあります。骨格筋細胞にある通り道は、インスリンが必要なタイプの「GLUT4」というたんぱく質が中心になります(下図)。インスリンが受け皿にくっつくと、「道を開けなさい」という信号が伝わるのです。ボタンを押すとドアが開くのに似ていますね。

 一般に「インスリン抵抗性」という場合は、インスリンが骨格筋細胞のインスリン受容体に結合してもその信号が細胞の中に伝わりにくいため、骨格筋にブドウ糖が十分に取り込まれない状態と考えられます。ボタンを押してもドアが開かない状態というわけです。

 一方、脳の神経細胞ではインスリンがなくても開く「GLUT3」というたんぱく質が主役と考えられています。すなわち、脳の神経細胞はインスリンがなくても細胞内にブドウ糖を取り込むことができます(ちなみにGLUT4も脳にある程度は存在していますが主役はやはりGLUT3です)。[2](下図)。神経細胞はブドウ糖をたくさん消費しますが、これを取り込むのにインスリンは基本的に必要ありません。

 このように、全身と脳とでは、ブドウ糖が細胞に取り込まれるしくみが違っています。ですので、脳のインスリン抵抗性も全身のインスリン抵抗性とは同じではないのです。全身のインスリン抵抗性の場合では、インスリンの効きが悪いのを数でカバーしようとして、血中にインスリンがたくさんある状態(高インスリン血症といいます)になりますが、脳ではこのようなことは起きません。

 ただ、インスリンは神経細胞においても何らかの刺激を与え、それが信号となって細胞内に伝わっていることが報告されています。信号の詳しい働きはまだよくわかっていませんが、何らかの機能的な役割を果たしていると考えられています[3]。

 前置きがたいへん長くなってしまいました。「脳のインスリン抵抗性」という状態について、実際に観察した研究の内容をご紹介しましょう。

●やはり信号が伝わらない

 ひとつは米国からの研究です。Talbotという研究者らが、すでに亡くなったアルツハイマー病患者さんの脳を解剖して、インスリンによる信号の伝達を調べました。その結果、アルツハイマー病患者さんの神経細胞では健常な人の脳に比べて、インスリンの信号が伝わりにくく、インスリンに良く似た分子である「インスリン様成長因子」(Insulin-like Growth Factor-1, IGF-1)の信号も伝わりにくいことを見出しました[4]。

 もう一つ、久山町研究から最近の報告を見てみます。

 同じく亡くなったアルツハイマー病の患者さんの脳を用いた研究です。患者さんの脳において発現している遺伝子を調べてみると、あるインスリンが関係するいろいろな遺伝子の働きの変化が認められました[5]。アルツハイマー病の患者さんの脳においては、健常の人の脳に比べて、インスリンを中心とするたくさんの分子の働きが低下していることが判明したのです。この結果は新聞などでも大きく取り上げられました。

 つまり、脳のインスリン抵抗性というのは、ブドウ糖を細胞に取り込めない状態が一部あるのに加えて、「インスリンがかかわる何らかの神経細胞内の活動が障害されていること」といえるのです。脳のインスリン抵抗性のせいで神経細胞の機能がどのように障害を受けているのか、そのしくみはまだよくわかっていません。脳のインスリン抵抗性は、神経で起こる炎症などがもとで起きていると考えられますが、このあたりの解明もこれからです。

 それでは逆に、糖尿病の患者さんの脳ではどのような変化が起きているのでしょう? 実は糖尿病と認知症との関係が注目され始めたのがつい最近なので、まだアルツハイマー病の患者さんの脳ほどはわかっていません。

 ですが最近、脳のMRI画像を用いた報告は続々となされましたので、それらをまとめてみました(次の表)[6]。

 アルツハイマー病では海馬を含む側頭葉および頭頂葉が萎縮するのに対して、糖尿病ではアルツハイマー病において変化が起こる部位に加えて前頭葉にも変化が起こりやすいことが報告されています(上表および下図参照)。実際の臨床でも経験しますが、糖尿病により低下する認知機能として遂行機能の低下などがあることと矛盾しない結果です(前頭葉は注意力、判断力や遂行能力、抽象的思考などの生理機能に貢献しています)。

 すなわち、糖尿病患者さんの脳に起こっている変化は、アルツハイマー病のそれと全く同じではないということです。2つの病気には共通している点があり、「糖尿病があるとアルツハイマー病になりやすい」とは言えるのですが、糖尿病が単純にアルツハイマー病を発症させているわけではない、ということになります。

 脳で起きている現象からみた「糖尿病と認知症の関係」が、すこしわかっていただけたでしょうか(余計にわからなくなってしまったかもしれませんが・・・)?

 インスリン抵抗性についてはこれくらいにして、最近、運動などの介入によって認知症が改善するのか、というテーマについて興味深い報告がなされましたので、次回はこのことについて見ていくことにしましょう。

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文献

1.Steen, E., et al., Impaired insulin and insulin-like growth factor expression and signaling mechanisms in Alzheimer's disease--is this type 3 diabetes? J Alzheimers Dis, 2005. 7(1): p. 63-80.

2.McEwen, B.S. and L.P. Reagan, Glucose transporter expression in the central nervous system: relationship to synaptic function. Eur J Pharmacol, 2004. 490(1-3): p. 13-24.

3.Sato, N., et al., Role of Insulin Signaling in the Interaction Between Alzheimer Disease and Diabetes Mellitus: A Missing Link to Therapeutic Potential. Curr Aging Sci, 2011.

4.Talbot, K., et al., Demonstrated brain insulin resistance in Alzheimer's disease patients is associated with IGF-1 resistance, IRS-1 dysregulation, and cognitive decline. J Clin Invest, 2012. 122(4): p. 1316-38.

5.Hokama, M., et al., Altered Expression of Diabetes-Related Genes in Alzheimer's Disease Brains: The Hisayama Study. Cereb Cortex, 2013.

6.Sato, N. and R. Morishita, Brain alterations and clinical symptoms of dementia in diabetes: abeta/tau-dependent and independent mechanisms. Front Endocrinol (Lausanne), 2014. 5: p. 143.

7.Moran, C., et al., Brain atrophy in type 2 diabetes: regional distribution and influence on cognition. Diabetes Care, 2013. 36(12): p. 4036-42.

8.Roberts, R.O., et al., Association of type 2 diabetes with brain atrophy and cognitive impairment. Neurology, 2014. 82(13): p. 1132-41.

9.Garcia-Casares, N., et al., Structural and functional brain changes in middle-aged type 2 diabetic patients: a cross-sectional study. J Alzheimers Dis, 2014. 40(2): p. 375-86.

10.Braak, H. and E. Braak, Neuropathological stageing of Alzheimer-related changes. Acta Neuropathol, 1991. 82(4): p. 239-59.

11.Thompson, P.M., et al., Dynamics of gray matter loss in Alzheimer's disease. J Neurosci, 2003. 23(3): p. 994 - p. 1005.

12.Andrade-Moraes, C.H., et al., Cell number changes in Alzheimer's disease relate to dementia, not to plaques and tangles. Brain, 2013. 136(Pt 12): p. 3738-52.

13.Mann, D.M., The topographic distribution of brain atrophy in Alzheimer's disease. Acta Neuropathol, 1991. 83(1): p. 81-6.

14.酒田英夫、山鳥 重、河村 満、田邉敬貴 「頭頂葉」 神経心理学コレクション 医学書院(アピタル・里直行、アピタル・綿田裕孝)