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 東南アジアでジカウイルス感染症(ジカ熱)の「報告」が拡大しています。とくにシンガポールでは、8月27日に初の国内感染者が確認され、今月6日までの11日間で感染者数は275人に達しています。3日にはマレーシアでも、海外への渡航歴がない男性の感染が確認され、5日にはフィリピンでも確認されたと発表されました。

 

 感染者が増えている地域が見つかったことは間違いないと思いますが、その情報を繋げて、世界的な拡がりが起きていると結論づけてよいか・・・、もう少し情報を整理する必要があります。

 

 まず、ジカウイルス感染症は、ほとんどの人にとって軽症の疾患です。必ずしも豊かとは言えない東南アジアの国々で、数千円のコストがかかる確認検査(PCR法)なんてやってませんでした。患者は負担しませんし、病院も負担しません。世界で騒がれるようになって、「ちょっと調べてみましょうか」と各国政府が負担するようになって明らかになっているのです。

 

 実際、シンガポールの患者さんから分離したジカウイルスの遺伝子配列を調べたところ、ウイルスは中南米由来ではないことが分かっています。つまり、もともと東南アジアにジカウイルスはいたんです(みんな知ってたけど、気にしてなかっただけ)。NHKがダイオウイカの特集をすると、漁網にダイオウイカがよくかかるようになるのと一緒ですね。

 

 しかも、ジカウイルスに感染しても約8割の人が発症しないと言われています。つまり、発見した患者さんの5倍は感染者がいると考えた方がいいです。症状が軽くて医療機関を受診していない人もいるでしょうから・・・、まあ、シンガポールだけでも千人は下らないということでしょう。

 

 というわけで、今月5日よりシンガポール政府は封じ込めを諦めました。検査体制も下のフローチャートのように変更しています。

 

 つまり、これまでは症例定義に合致すれば、誰でも無料で確認検査が受けられたんですが、6日以降は、無料なのは妊婦であって、症例定義に合致するシンガポール市民だけということですね。それ以外の人で検査を希望する場合には、150シンガポール・ドル(約1万円)を支払わなければならなくなりました。6日以降、シンガポールからの報告数は激減することでしょう(あるいは政府が発表しなくなるかもしれません)。

 

 だんだん、何が問題なのか分からなくなってきましたね。いったいなぜ、世界はジカウイルス感染症で騒いでいるのでしょうか? そこで、この分かりにくい感染症を理解するポイントを5つに分けて説明してみます。

 

 1.ジカウイルスは軽症の感染症だが、胎児が感染すると小頭症を来すことがある

 

 ジカウイルスに感染すると、どのような症状があるのでしょうか? 多くの方に、痒みを伴う紅い発疹を認め、頭痛、筋肉や関節などの痛みを訴える方も多いです。さらに特徴的だと言われるのは、目の充血や目の奥の痛みがあることです。一方、発熱する人は多くはありません。私が、この文章のなかで「ジカ熱」とはせず、「ジカウイルス感染症」としている理由です。これらの症状は軽く、もっぱら1週間以内に軽快します。しかも、少なからぬ人(推定で8割ぐらい)が発症すらしないことも分かってきました。

 

 では、なんで騒いでいるかと言うと、妊婦がジカウイルスに感染すると胎児に小頭症などの先天性の障害を来すことがあるからです。これがなければ、ただのカゼですむぐらいの感染症だったんですが・・・、そうもいかなくなった所以です。

 

 誤解がないように付け加えますが、母体が感染したら必ず胎児に悪影響があるわけでもありません。多くの報告を総合すると、感染した母親から産まれる子どもの1%から13%ぐらいが小頭症を来すということです。逆を言えば、それ以外の方は胎児に何の問題もなく、健康に産むことができているのです。

 

 なお、胎児の脳が正常に発育していることは、妊娠中の超音波検査で確認することができます。

 

 2.ジカウイルスは、蚊に媒介されるだけでなくセックスでも感染しうる

 

 ジカウイルスは、ウイルスを持っている蚊に刺されることで感染します。これが基本です。これだけなら、デングとか、チクングニアとか、一般的な蚊が媒介する感染症と変わりありません。ところが、ジカウイルスでは、コンドームを使用しないセックスで拡がることが明らかになったのです。このことで世界が大騒ぎしています。

 

 なぜなら、個人で防御して蚊に刺されないようにすることとか、消毒薬を散布して蚊を減らすこととか、そういうことで感染症をコントロールすることには、私たち人類は(少なくとも先進国は)一定の成果を収めてきました。でも、セックスによって拡がる感染症については、梅毒からエイズに至るまで、私たちは失敗ばかり繰り返しているのです。というわけで、多くの公衆衛生や感染症の専門家たちに「悪い予感」が走っているんですね。

 

 なお、母乳からジカウイルスが分離されたことはありますが、赤ちゃんに感染させるかどうかは明らかではありません。少なくとも症状があるあいだは、赤ちゃんに母乳を与えないようにしてください。症状が落ち着いてからの母乳の安全性については・・・・、今後の課題になってます。

 

 3.被害を防ぐうえでのターゲットは「胎児を守る」こと

 

 ジカウイルスのワクチンは開発されていません。というわけで、今のところ、個人が蚊に刺されないようにすることとか、地域から蚊を減らしてゆくことなどが、今後、私たちが取り組むべき課題になります。このことは、デングやチクングニアなど他の蚊が媒介する感染症の予防にもなりますし、ぜひ国際的な連携のなかで達成してゆくべきでしょう。

 

 しかし、ジカウイルスに限って言えば、その被害者とは(ほぼ)胎児です。で、その胎児を守るための最大かつピンポイントの防御を考えるならば、胎児への感染リスクがある時期に確実に防御することだと言えるでしょう。これが最近のジカウイルス対策の国際的なスタンスとなりつつあります。

 

 たとえば、米国のCDCは、「もし、女性がジカウイルスに感染していることが診断されたり、感染したかもしれないと思ったら、それから8週間は妊娠しないように注意すること」、「男性では、6か月間はコンドームを使用してパートナーに感染させないように注意すること」を求めています。

 

 6か月という期間に驚かれるかもしれません。これは、ある40代前半の感染した男性についての追跡試験において、発症した日から血液からは9日、尿からは15日、唾液からは45日、そして精液からは181日までウイルスが検出されたという結果が出ているからです。他にも治癒して62日後の男性の精液からウイルスが検出されたという報告がありますが、いまのところ根拠となっているのは症例ベースにすぎません。今後、新たなエビデンスが出てくるかもしれませんが、今のところ厳しめに対策せざるをえないと思います。

 

 4.ジカウイルスの検査は、誰でも受けられるわけではない

 

 今のところ、日本国内でそれほど心配する必要はありませんが、妊娠している女性で、流行地への渡航歴があったり、渡航歴のある人との接触があって、ジカウイルスに感染しているかもしれないと思ったら、近隣の医療機関を受診してください。症例定義を満たす場合には、確認検査(PCR法による病原体遺伝子の検出または抗体検査)を無料で受けることができます。

 

 ジカウイルスの確認検査は商業化されておらず、誰もが希望すれば(医師が必要と認めたとしても)検査が受けられる体制にはなっていません。実際、ジカウイルスに感染したとしても、ほとんどの患者が軽症のまま回復するので、すべての患者に高価な検査を実施する必要はありません。不安だからという理由だけで、妊婦以外の方が医師に確定診断を求めないようにしてください。また、妊娠しているというだけの理由で医師に検査を求めないようにしてください。

 

 ただし、流行地を旅行したり、感染している可能性のある男性との性交渉のあった妊婦については、発症していなかったとしても検査が実施できるようになった方がいいかもしれません(日本では検査対象から外されてます)。これも今後の課題ですね。なぜなら、発症していなかったとしても、胎児への影響がある可能性を否定できないからです。

 

 5.ジカウイルス感染症は、たぶん世界的な脅威とはならない(でも対策は必要)

 

 さて、このジカウイルス感染症。これから世界にどのようなインパクトをもたらすのでしょうか? 世界中で小頭症の子どもを増加させ、社会の不安と混乱を増大させてゆくのでしょうか? 誰にもわかりません。ただ、ひとつ参考になる感染症があります。それは、風疹というウイルス感染症です。

 

 風疹ウイルスは、妊婦が感染すると胎児にも感染して、生まれた赤ちゃんに先天性風疹症候群(CRS)と総称される障害を引き起こすことがあります。母親が風疹を発症した妊娠月別でみると、このCRSの発生頻度は、妊娠1カ月で50%以上、2カ月で35%、3カ月で18%、4カ月で8%程度ということが分かっています。復習ですが、ジカウイルスによる小頭症の発生頻度は1%から13%でした。

 

 風疹は、咳やくしゃみなどの飛沫で感染する病気です。つまり、(蚊やセックスによるジカウイルスと比べると)非常に感染しやすいウイルスだと言えます。いまはワクチンがありますが、ワクチンがない時代のことを私たちは知っています。たとえば、1964年から65年にかけて、米国で風疹患者が1,000万人を超える大流行が見られました。このとき、新生児死亡が2,100名、CRSが20,000名の発症をみました。

 

 このように風疹は、ワクチンのない時代に極めて大きな被害をもたらしましたが、一方で、ジカウイルスは風疹ほどの脅威にはならないでしょう。さらに、もし一定の安全性が確認されたワクチンが開発されれば、その脅威はほとんど無視できるぐらいになるかもしれません。これらは推測ではありますが、感染症の脅威について適切な相場観をもつことは必要です。

 

 もっと勝手な推測をさせていただくと・・・、ジカウイルスは地域的な小流行を繰り返すだけの感染症におさまるだろうと私は思ってます。そして、多くの一般の方々が、将来、「あの騒ぎは何だったんだ」と訝しく思われるかもしれません。なかには、2009年の新型インフルエンザの騒動を思い返される方もいるかもしれません。

 

 でもですね、やっぱり新興感染症に対して、私たちは対策を強化しなければならないのです。その正体をしっかり見切れるようになるまで、あるいは特効薬が発見されるまで、ワクチンが開発されてコントロールできるという確信が得られるまで、国際的な連携のもとに感染拡大を抑止する努力を怠るわけにはいかないのです。

 

 オオカミ少年と言われようとも、新興感染症が出現するたびに、私たちは市民の皆さんに対して警鐘を鳴らします。その繰り返しが、日ごろの感染症に対して強い社会を作ってゆくはずですし、本当に脅威となる新興感染症が発生したときに後悔しないですむからです。

 

 <参考文献>

 1) Brasil P, et al. N Engl J Med. DOI: 10.1056/NEJMoa1602412

http://www.nejm.org/doi/pdf/10.1056/NEJMcibr1605445別ウインドウで開きます

 

 2) MA Johansson, et al. N Engl J Med 2016; 375:1-4. DOI: 10.1056/NEJMp1605367

http://www.nejm.org/doi/pdf/10.1056/NEJMp1605367別ウインドウで開きます

 

 3) Brian D. Foy, Emerg et al. Infect Dis. 2011 May; 17(5): 880?882.

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3321795/別ウインドウで開きます

 

 4) CDC. MMWR, Weekly / March 25, 2016 / 65(11);286?289

http://www.cdc.gov/mmwr/volumes/65/wr/mm6511e1.htm別ウインドウで開きます

 

 5) CDC. MMWR, Weekly / July 29, 2016 / 65(29);745?747

http://www.cdc.gov/mmwr/volumes/65/wr/mm6529e2.htm別ウインドウで開きます

 

 6) L Barzon, et al. Euro Surveill. 2016;21(32):pii=30316.

http://www.eurosurveillance.org/images/dynamic/EE/V21N32/V21N32.pdf別ウインドウで開きます

 

 7) Musso D, et al. Emerg Infect Dis. 2015 Feb; 21(2): 359?361.

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4313657/別ウインドウで開きます

 

 8) 国立感染症研究所:蚊媒介感染症の診療ガイドライン(第3版)

http://www.nih.go.jp/niid/images/epi/dengue/Mosquito_Mediated_160907-3.pdf別ウインドウで開きます

 

<謝辞>

 この記事をまとめるにあたっては、田中剛先生(内閣官房国際感染症対策調整室)、忽那賢志先生(国立国際医療研究センター)、吉國晋先生(日本メディカルケアー/シンガポール)、林啓一先生(Raffles Japanese Clinic/シンガポール)より多くの示唆をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。ただし、記事中における見解は私個人のものであって、これら先生方と同じくするものではなく、所属する組織の見解を反映したものでもありません。

<アピタル:感染症は国境を越えて>

http://www.asahi.com/apital/column/takayama/

(アピタル・高山義浩)

アピタル・高山義浩

アピタル・高山義浩(たかやま・よしひろ) 沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科医長

沖縄県で感染症診療や院内感染対策、在宅緩和ケアに取り組む。かつて厚生労働省で新型インフルエンザ対策や地域医療構想の策定支援にも関わった。単著として、『地域医療と暮らしのゆくえ 超高齢社会を共に生きる』(医学書院、2016年)などがある。