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 最近、福祉の現場で「貧困がADHDを生み出しているのではないか」という話を聞くことがありますが、今回は環境とADHDの関係についてです。

 ADHD(注意欠陥・多動性障害)の方の脳に関する研究では、近年さまざまなことがわかっています。ADHDの症状の原因仮説のうち、有力なものの一つは、「実行機能障害」です。このコラムでもたびたび紹介してきましたが、ある目的に到達するために一連の計画を立て、自己をコントロールする高度の脳のはたらきのことをいいます。

 夜にスマホをいつまでもいじっていたいけれど、明日の朝は早起きして仕事にいかなければならない。ぐっと我慢してスマホいじりを中断し、明日着ていく服や持ち物を準備するという過程での、一連の脳のはたらきのことを実行機能といいます。

 Brown(1996)によれば、この実行機能に関連する脳の部位は、生まれてから成人早期までに発達、成熟を続けていくといいます。この発達が遅れている状態がADHDだというのです。他の人に比べて実行機能の発達は遅れているが、ADHDの方が、さまざまな経験をする中で、わかりやすく学べる環境が整っている場合には、少しずつ発達を続けていくことができます。

 たとえば、小学生の頃、忘れ物が多く、夏休みの宿題は間に合ったことがないというADHDの子どもでも、保護者や教師が忘れ物をしないための工夫を教えたり、忘れ物をしたことで本人が大変な思いを経験したりすれば、中学生になる頃にはそれらに関する実行機能の問題はなくなっていることもあります。

 「学生時代には遅刻を繰り返していたが、社会人になってからは改善した」とか、「一人暮らしのときには部屋が片づけられなかったが、家族ができてからはなんとかできるようになった」という例もよくあります。

 このように、スピードは人によってそれぞれですが、環境次第でなんとか周囲の人に追いついていく人もいます。そのため、子どもの頃のADHDが、大人になる頃には問題がなくなっているということも一定の割合であるといわれています。

 反対に、大人になるまではなんとかやれていたが、社会人になったり、親になったりして、多忙になったうえに、より高いレベルの実行機能が必要とされる出来事を契機にADHDの問題が顕在化する方もいます(たいてい周囲から高いレベルのことを求められるようになるのは、大人になってからです)。大人になってからADHDが発見される人はこのタイプなのかもしれません。

 いずれにしても、ADHDの特徴である実行機能障害がもとからあったという前提では共通しています。

 ここで貧困とADHDの関係について考えてみます。

 ADHDをもつ大人は、そうでない大人に比べて、学歴に関わらず就業率が低く、低収入であったという研究(Biederman & Faraone, 2005)があります。この背景には、ADHDの症状が授業や課題への集中を妨げたのではないか。数年先という時間的に遠い目標達成に魅力を感じにくく、仕事が長続きしにくいのではないか(つまり飽きっぽい)。人間関係への影響があったのではないか。いろんな推察ができます。従来、ADHDが最初にあって、それから貧困が生み出されたと考えられてきました。

 わかりやすく、【ADHD→貧困】 とします。

 ところが、ソーシャルワーカーや保健師など福祉分野の専門家が、貧困家庭を支援する中ではこんなことも言われるようになりました。

「貧困がADHDを生み出すのではないか?」

 貧困の状況がADHDに似た症状を発症させるのではないかという考え、つまり、【貧困→ADHDに似た症状】となります。

慢性的な貧困が続く家庭では、次のような状況が見られます。

 仕事が見つからない、見つかっても続かない。金銭管理が苦手。無計画に子どもが増えていく。子どもの世話に追われて時間がない。慢性的に睡眠不足だ。家が散らかっているなどなど。

 こうした状況では、睡眠不足で脳が疲弊し、能力が発揮できません。パソコンに例えると、通常の処理ができるパソコンでも、メモリが不足した状態で一度に複数のソフトを立ち上げれば、簡単にフリーズしてしまいます。人間で言えば、睡眠不足で疲れているのに、夕方の忙しい時間帯に子どもが泣き出し、鍋が吹きこぼれ、洗濯のアラームが鳴り、何から手を付けてよいかわからずにパニックに陥っている感じです。

 仕事を探そうとしても、睡眠不足で記憶力も低下しているので、面接の日時を覚えていられません。さらに、その日時までに、身支度や家事等の段取りを整えて、間に合うように準備することは、脳の高度な機能(実行機能)を使わなければできないことなので、疲労しているときにはうまくいきません。その結果、なかなか職を得られず、貧困から脱出できずにいるのかもしれません。

 さらにそのような状況で、お酒や薬物の問題があったり、交通事故などで脳に外傷を受けたり、家庭内外で社会規範を守ることにルーズな傾向が見られたりすると、もっと話は複雑になります。当然これらの問題があると、脳の発達に大きなダメージを与え、その後、脳がうまく機能しなくなります。そもそも社会に適応するための行動をとろうとするかどうかも左右されたりします。

 一見すると「ADHDではないか?」と思われるようなエピソードも、よく背景を聞いていくと、環境によって一時的に自己コントロールがききにくくなっていて、「ADHDに似た状態」になっているということもよくあります。

写真・図版

 つまり、貧困からADHDが生み出されるわけではありませんが、「似た状態」にはなりやすいのだと思います。

 

 環境をできる限り変えてみると、うまくいっていない問題がADHDによるものなのか、そうでないのかがはっきりします。最も極端な例では、少年院や刑務所といった施設に入ってしばらくすると、ADHDが疑われていた方でも、ぴたりと落ち着く例もあるのです。施設に入るまでの環境では、生活リズムが乱れ、睡眠も不足した状態で、お酒や薬物に依存し、貧困のためまともな食事もできない。時間を守り、勤勉に働こうとする雰囲気が身近になく、課題を途中で投げ出し、カッとなって暴力をふるいやすく、衝動的に人間関係を破壊してしまうような状態だったとしましょう。

 しかし、就寝、起床時間が厳しく管理され、お酒も薬物にも一切触れられず、健康的に食生活を管理され、行うべき課題が決められている環境では、問題行動が起こらなくなったとします。この場合、ADHDが問題の原因ではなかった可能性が高くなります。もちろん、ADHDだったとしても、環境を整えて脳がベストの力を出せるような状況を作り、発達を促したりパフォーマンスを上げられるようにしたりすることは大事です。どちらの意味でも、やはり環境は見逃せない要因なのです。

 

引用文献

Biederman, J., & Faracone, S. V. 2005 Economic impact of adult ADHD. Poster session presented at the 17th CHADD Annual International Conference, Dallas, TX.

Brown, T. E. 1996 Brown Attention Defect Disorder scales. San Antonio, TX: The Psychological Corporation.

 

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アピタル・中島美鈴

アピタル・中島美鈴(なかしま・みすず) 臨床心理士

1978年生まれ、福岡在住の臨床心理士。専門は認知行動療法。肥前精神医療センター、東京大学大学院総合文化研究科、福岡大学人文学部などを経て、現在は福岡県職員相談室に勤務。福岡保護観察所、福岡少年院などで薬物依存や性犯罪加害者の集団認知行動療法のスーパーヴァイザーを務める。趣味はカフェ巡りと創作活動。