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 がんの医療現場で治療方針を決めるような意思決定の際に、患者さんの負担が大き過ぎるのではないかという問題点を2回にわたり取り上げてきました。そして、その背景には、患者さん自身の価値観の多様性、医療技術の進歩による選択肢の多さ、さらには、人間であれば誰しもが避けられない認知心理的バイアスなどがあることを紹介しました。

 

 今回は、医療者側の課題について考えてみたいと思います。

 まずは、この連載で繰り返し出てきている「科学的根拠に基づいた医療(Evidence-based Medicine:EBM))」のおさらいです。

写真・図版

 

 EBMは、「科学的根拠(エビデンス)、患者の意向・行動[価値観]、医療者の専門性、臨床現場の状況・環境の4要素をバランスよく統合し、よりよい患者ケアのための意思決定を行うこと」と定義されています。

 また、治療方針の意思決定においては、医療者と患者がよく話し合っておこなうべきであるとされています。決して、科学的根拠(エビデンス)だけで治療方針が決まるわけではありませんし、科学的根拠(エビデンス)を振りかざしたり強要したりすることがEBMではありません。EBMを実践するために最も重要なのは、医療者と患者とのコミュニケーションにほかなりません。

 では、医療者は、どのようなことを心がけて患者さんとコミュニケーションをとっていけばよいのでしょうか。

 コミュニケーションの具体的な話をする前に、国の取り組みについて紹介します。

 

 「がん対策基本法(平成19年4月施行)」の基本理念には「がん患者の置かれている状況に応じ、本人の意向を十分尊重してがんの治療方法等が選択されるようがん医療を提供する体制の整備がなされること。[第二条三]」とあります。

 そして、がん対策基本法の施行を受けて策定された「がん対策推進基本計画(平成24年6月策定)」には、がんと診断された時からの緩和ケアを推進するために取り組むべき施策として「患者とその家族等の心情に対して十分に配慮した、診断結果や病状の適切な伝え方についても検討を行う」と明記されています。

 

 これらの国の方針を進めていく中で、がん患者の診療に従事する全ての医師は、緩和ケア研修会を修了することが目標として定められました。そして、この緩和ケア研修会では、がん医療におけるコミュニケーションのロールプレイ(役割演技)が組み込まれています。このコミュニケーションのロールプレイでは、がん患者の意向に基づくコミュニケーション技術として「SHARE(シェア)」と呼ばれるスキルを学ぶことになっています。

 SHAREは、がんの告知、再発や転移の告知、積極的治療の中止など、医師から「悪い知らせ」を伝えられる際に、患者が医師に対してどのようなコミュニケーションを望んでいるのかを調査し、まとめたもので、「悪い知らせ」を伝えられる際の患者の意向の構成要素の頭文字をとってSHAREと名付けられています。

 

 Supportive environment(支持的な環境設定)

 How to deliver the bad news(悪い知らせの伝え方)

 Additional information(付加的な情報)

 Reassurance and Emotional support(安心感と情緒的サポート)

 

 私自身、この研修会を受講したことがありますし、また現在では研修会のファシリテーターとしてお手伝いもしています。そして、このコミュニケーション技術は、非常によく作り込まれていると思いますし、実際の医療現場における意思決定の際に役立つことは間違いないと感じます。

 それでも、治療方針の意思決定の際に、なかなか決められない人や決めた後に迷いが生じる人が、まだまだ現状では多いということを医療者や患者さん自身から聞くことがあります。場合によっては、医師が提示する治療方針を受け入れることができず、健康食品などの補完代替療法に傾倒してしまう患者さんもいます。

 もちろん、国が進めている取り組みが、まだ十分に浸透していないことが原因かもしれません。しかし、個人的には、それ以外にも原因があるのではないかと考えます。では、医療現場に足りないもの、言い換えると求められているものは何なのでしょうか。

 

 ここからは筆者個人の考えを踏まえての解説ですので、バイアスがあることを前提にお読みください。

 結論から言うと、今、医療現場に求められているのは、医師の「大丈夫!」という一言ではないかと考えます。もちろん、無責任に「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言えばよいというわけではありません。

また、「この治療が効かなかったとしても、次の選択肢があるから大丈夫」「もし副作用が出ても、きちんと対処するから大丈夫」といった「条件付きの大丈夫」でもありません。

 ここでは、患者さんに対して無条件に安心感を与える、あるいは受ける治療に対して心から納得してもらうための「大丈夫!」です。つまり、結果がどうなろうと、他人がどう言おうと、悩んだ末にあなたが選んだのなら、その選択は間違っていませんよ、と後押ししてあげるのです。

しかし、医師の多くは、治療方針を決定する際に、患者さんに対して通常「大丈夫」などと言いません。

 なぜでしょうか?

 医師は患者に治療方針の説明をする際に、科学的根拠(エビデンス)に基づいた情報を提供します。しかし、ランダム化比較試験などの結果である科学的根拠(エビデンス)は、重要な情報であることは間違いありませんが、あくまで統計学的な数字でしかなく、「効く・効かない」といった白黒はっきりつけられるものではありません。白か黒かと問われたら「灰色(グレー)」ということになります。

 科学的根拠(エビデンス)から言えることは、どの治療法が確率的に優れているかということに過ぎません。また、目の前にいる患者が、臨床試験の結果(統計)に示された多数の患者と同じ経過をたどるのかは誰にもわかりません。

 つまり、医療には必ず不確実性が伴うため、「あなたは100%治る」「絶対に大丈夫」などとは安易に言えない事情があります。

 ですが、命にかかわるような選択をしなければならないとき、医療の不確実性は、患者さんにとって、迷いや悩みの原因以外の何物でもありません。ですから、治療方針の意思決定における患者さんの精神的負担は相当なものだと思います。

そんなときに、医師から、「この治療方針で大丈夫」と、少し後押ししてもらったらどうでしょうか。

もしかしたら、迷いが解消するかもしれません。

 もちろん、「大丈夫!」という言葉は、医師と患者との間に相互の信頼関係があることが前提です。

良くも悪くも治療の結果を身をもって負うのは患者さんですから、最終的な決定は患者さん自身が行うべきです。医療の不確実性を受け止める覚悟も患者さんには求められます。

 しかし、医師の方にも、意思決定において、単なる情報を提供する中立的な立場にとどまるのではなく、一緒に治療方針を決める当事者・パートナーであることを意識してもらえたらと思います。

そのうえで、「大丈夫!」の一言が、患者さんの意思決定における精神的負担を軽くできる有効な方法ではないかと個人的に考えます。

 

<アピタル:これって効きますか?・その他>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/kiku/(アピタル・大野智)

アピタル・大野智

アピタル・大野智(おおの・さとし) 大阪大学大学院准教授

大阪大学大学院医学系研究科統合医療学寄附講座 准教授/早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構 客員准教授。1971年浜松市生まれ。98年島根医科大学(現・島根大医学部)卒。主な研究テーマは腫瘍免疫学、がん免疫療法。補完代替医療や健康食品にも詳しく、厚労省『「統合医療」情報発信サイト』の作成に取り組む。