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 大阪市出身の井上麻希(いの・うえ・ま・き)さん(28)は18歳のとき、勤め先のキャバクラの同僚に誘われ、覚醒剤に手を出しました。打つと強くなれるような気がし、のめりこみました。体から薬が切れると不安感や虚脱感に襲われるようになり、さらに薬を求めて借金を重ねました。母(64)に勧められて24歳で奈良県内の依存症回復施設に入り、共同生活を1年続けて立ち直りました。そのまま施設のスタッフになり、今は沖縄で入所者を支えています。

■打つと強くなる気がした…

 大阪市出身の井上麻希(いのうえまき)さん(28)はいま、沖縄県にある依存症回復施設「沖縄GARDEN」で、入所者を支えるスタッフを務めている。回復プログラムを補助し、悩みを聞く日々を送る。自身も、薬物依存症で約4年前まで覚醒剤を打っていた。

 人付き合いが苦手だった。

 小学5年生のときにクラスでいじめがあり、自分もいじめられないように振る舞っているうち、自然とそうなった。環境を変えたくて進んだ女子中学校では、成績は下から5番以内。部活のチアリーディングも途中でやめた。家では両親のけんかが絶えず、自室にこもった。たばこを吸い始め、髪を茶色に染めた。

 男女共学の高校では、入学間もないころからクラスの女子生徒に無視され、「もう学校に来るな」というメールも届いた。学校にも家にも安心できる居場所はなく、摂食障害になった。夏休み前には登校しなくなった。

 地元の先輩に「おもしろいものがある」と誘われ、大麻やシンナーに手を出した。大麻は頭がくらくらするだけだったが、シンナーを吸うと嫌な記憶が消えた。

 身長148センチで、44キロだった体重は27キロまで落ちた。やせるのがうれしかった。

 2006年の冬、働いていたキャバクラのボーイに「すぐにやせられる方法がある」と自宅に誘われた。ついていくと、数人の男女がうつろな表情でくつろいでいた。

 雰囲気から覚醒剤だとわかったが、「いつでもやめられる」と右腕を差し出した。二の腕にタオルを巻かれ、ボーイに注射してもらった。体中に電気が走り、頭が真っ白になった。次の日も覚醒剤が欲しくなった。

 打つと目がさえ、空腹を感じなくなる。仕事場で苦もなく客とおしゃべりができた。自分が強くなる気がした。

 やがて自分で注射を打つようになり、覚醒剤の入手先もボーイから売人になった。常に覚醒剤と注射器を持ち歩き、欲しくなったら街中のトイレの中でも打った。両親と離れ、一人暮らしを始めた。稼いだ金は、覚醒剤とホストクラブ通いなどで消えた。

 こんな暮らしを5年続けていると、半日おきの注射では物足りず、3~4時間おきに使った。体から薬が切れると不安感が増すようになり、一度眠ると10時間以上起きられず、無断欠勤が増えた。料金の滞納で自宅の電気や水道を止められても、1週間分の覚醒剤代5万円を工面した。親や友人だけでなく、ヤミ金融からも借金した。

 

■意志の弱さではなく「病気」 国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部長、松本俊彦さんに聞く

 依存症は、周囲からやめるよう注意され、自分でもやめたいと思っているのに、やめられない病気です。本人の意志が弱いとか、道徳心がないからではありません。病気なので、本人の意志ではやめられないのです。最も怖くて悲しいのは、人柄がすっかり変わってしまうことです。

 依存するのは、アルコールや薬物といった摂取する物質のほかに、ギャンブルなどの行為もあります。インターネットや窃盗、買い物、性的行為にも、依存と似たような病理があるとされ、治療が試みられています。

 依存症の背景には、家族との不仲や友達とのもめ事、職場でのパワハラなど、苦しい境遇がかかわっているようです。依存症になる人は、ほかの人に頼るなどして、それらをうまく発散することができず、酒や薬物、ギャンブルにのめり込み、あとは心にふたをする人が多いのです。依存症の根っこは「人に依存できない病」であるとも言えます。

 治療法はまだ十分に確立していません。センターではまず「病気なんだよ」と伝え、医療者が一緒に闘うことを伝えます。その上で、依存によって傷ついた心身の治療をします。グループ療法もします。同じ問題を抱える人たちと語り合う練習をしてもらいます。

 治療で大切なもう一つの柱は、かつて依存症だった人たちによる自助グループへの参加です。医療者が依存行動をやめるきっかけをつくり、自助グループに参加することでやめ続けられれば、回復できる病気です。変わってしまったと思われる人柄も取り戻すことができるのです。

 依存症の人がいる家族には、地域の保健所や精神保健福祉センターに相談することを勧めます。家族の相談が、回復への第一歩になります。

 日本ではまだ、依存症を病気とは見ず、本人が弱いからだととらえる人が多いと思います。マスコミも有名人が覚醒剤に手を染めると、人格まで攻撃するような報道が繰り返されます。

 覚醒剤を使うことは犯罪です。ただ、依存症から回復しやすい社会にするためには、単に閉じ込めるのではなく、地域の中で本人が安心して治療できる環境を提供することが必要です。(聞き手・後藤一也、宮島祐美)

 

◆キーワード

 <依存症> 薬物やアルコールの摂取、ギャンブルのように、快感や高揚感が得られる行為を繰り返した結果、その刺激を求める欲求が抑えられなくなる病気。刺激がなくなるとイライラしたり、落ち着きがなくなったりする。厚生労働省の調査では、依存の疑いがある人はギャンブルで536万人、アルコールは109万人と推計されている。

 

 

■娘の人生、終わってしまう

 2010年1月、大阪市に住んでいた井上麻希さん(28)は、覚醒剤を打っていることを母(64)に伝えた。18歳で始めてから約3年、体から薬が切れたときの不安感や虚脱感に苦しむ前のころ。「立ち直るために借金を清算するから、お金を貸して」と言ったが、本当は薬代ほしさからだった。

 「この子も、私たちの人生も終わってしまう」

 母はそう思った。インターネットで調べた市内の依存症回復施設に出かけた。応対した人に、若い女性の場合は周りに薬物を勧める男性がいるため、回復しにくいと説明された。「まずはお母さんが家族会に参加したほうがよい」とアドバイスされた。

 母は、家族会のある奈良県内の依存症回復施設「GARDEN」に通った。スタッフから「依存症は病気です。『薬物をやめなさい』と説得してやめられるものではない。薬物のことを言うたびにお母さんがつらくなります」と教えられた。金銭の援助をしないことも求められた。

 助言に従い、母は薬物のことを口にしなかった。ただ、お金を渡せば覚醒剤を買うことはわかっていても、援助しないと娘は生きていけなくなるのではないかと不安だった。「財布を落とした。1万円ちょうだい」などと頼まれると、断れなかった。

 「告白」から2年半たった12年夏、回復施設の出張相談会が大阪市内であり、井上さんは母に誘われて参加した。伊藤宏基(いとうひろき)代表(42)から「いま、つらいよね。覚醒剤をやめたい?」と聞かれた。

 打つ回数が増え、キャバクラなどで稼いだ金は消え、薬が切れると強い虚脱感や幻覚・妄想に襲われた。逃れるために、さらに薬を求めるようになっていた。

 「つらい、やめたい」

 井上さんは涙を流して答えた。

 しかし、やめられなかった。母と回復施設の見学に行く約束をしたが、すっぽかした。覚醒剤が切れて一人暮らしのマンションで眠りこけていると、心配した母が駆け込んできた。「もう、あなたが回復するための援助しかしない」と告げられた。

 同年9月、家賃を払えなくなった井上さんは母に助けを求め、一緒に施設を訪ねた。

■施設生活、素直さ芽生え

 覚醒剤で心身が傷ついた井上麻希さん(28)は2012年9月、奈良県内の依存症回復施設「GARDEN」を訪ねた。寮で共同生活をしながら回復を目指すことを提案され、まずは病院で体調を整えることになった。

 依存症治療で知られる大阪府富田林市の汐(しお)の宮温泉病院に3カ月入院した。幻覚や妄想はなくなり、生活リズムを取り戻した。その一方で、また覚醒剤を使いたいという思いも頭をもたげてきた。

 退院の日は、回復施設のスタッフが病院まで迎えに来て、一緒に寮に向かった。家族の顔を見たり、実家に立ち寄ったりすると、入所する決意が揺らぐことがあるためだ。

 「少し体を休めるだけ」

 井上さんは短期入所のつもりでいた。回復施設では決められた時間に寝起きや食事をし、夕方までプログラムを受ける。はじめは携帯電話の使用や面会が禁じられ、所持金は2千円までしか許されなかった。入所者29人は、井上さん以外すべて男性だった。

 覚醒剤をやめようとしている人たちの中で、自分だけ使いたい気持ちを抱えていて、居心地が悪かった。派手な化粧をしてウィッグをつけ、大きなサングラスをかけてプログラムに参加した。

 1週間後、「出て行く」とスタッフに告げた。しかし、お金はなく、マンションの部屋も家賃を滞納したままだった。ここにとどまるしかなかった。

 入所者の話を聞くプログラムで、「施設には自由がないが、出て行ってもよいことはなく、苦しい」という告白があった。「私と同じ」と少し気が楽になった。感謝の思いを伝え合うプログラムでは、相手の悩みに耳を傾けただけなのに、「ありがとう」と言われ、うれしくなった。

 3カ月後、施設代表の伊藤宏基(ひろき)さん(42)は回復の兆しを感じた。入所者の男性と2人でカラオケに出かける約束をしていることがわかり、ルール違反だと問い詰めたときのこと。以前なら絶対に認めなかったはずなのに、素直に「はい」と答えたからだ。

 そのころ、新たに女性が入所してきた。井上さんは女性寮での生活をサポートし、周りから信頼を集め始めた。

 

 

■本名に戻り、支える側に

 薬物依存から抜け出すため、奈良県の回復施設で共同生活を続けていた井上麻希さん(28)は、入所して半年ほどたった2013年夏、スタッフとの個人面談で将来の夢を聞かれた。

 「本当のあなたは、どうなりたいと思っているの」

 覚醒剤を打っていたころ、「夢」なんて考えたことはなかった。しばらく自問した後、こう答えた。

 「子どもが欲しい。結婚して幸せになりたい」

 同時に、再び覚醒剤を使ったら、子どもを産んだとしても育てられないだろう、と思った。

 その日を境に、厚化粧をやめ、サングラスも外した。自分のことを「おちび」と呼んでいたのを、本名の「まき」に改めた。

 14年1月、両親が費用を出してくれた1年間のプログラムが終わった。だが、施設を出てひとりになったら、また覚醒剤を使うかもしれないという不安があった。

 「スタッフになりたい」

 代表の伊藤宏基(ひろき)さん(42)に頼むと、「応援する」と歓迎された。

 この年の6月に奈良県内に開設された女性専用施設「フラワーガーデン」のスタッフに就いた。自身の経験や、回復の過程を伝える役割も期待された。入所者に「早くここを出たい」と言われると、かつての自分の姿と重なった。

 昨年9月、両親と3人で三重県の伊勢志摩へ1泊2日の旅行をした。父(62)が誘ってくれ、20年ぶりの家族旅行となった。鳥羽水族館や伊勢神宮を回り、イセエビやサザエを食べた。親子で笑い合える日がまたやって来るとは思いもしなかった。

 井上さんは昨年12月に沖縄県内にある回復施設に異動となった。施設は街から離れた、木々に囲まれた場所にある。

 今月6日。井上さんは入所者3人と車でスーパーへ買い物に出かけた。「酒やこうじが入っていない調味料を選んでね」と伝えた。帰りの車内では、「先輩として頼りになります」と言われ、ハンドルを握りながら照れていた。

 毎朝、マンションから施設まで30分ほど走って出勤する。必ず入り口近くのブロックに座り、心の中にいる弱い自分に語りかける。

 「もう大丈夫。ひとりじゃないよ」

 

 

■情報編 孤立させないことが肝心

 薬物依存症は、覚醒剤や麻薬、シンナーといった薬物を繰り返し使い、やめたくてもやめられない状態をいう。

 覚醒剤を摂取すると、快感を得たときに脳内で作られるドーパミンが放出され、脳の報酬系と呼ばれる神経に作用する。慣れると頻繁に使わなければ快感を得られず、依存症になっていく。

 犯罪白書と警察庁の資料によると、覚醒剤で検挙されるのは毎年約1万1千人で、薬物全体の約8割を占める。覚醒剤の再犯者率は6割を超えている。

 治療は通院が一般的で、幻覚や妄想、興奮などの急性中毒症状があれば入院の対象となる。大阪府立精神医療センターの籠本孝雄(かごもとたかお)院長は「覚醒剤の急性症状は抗精神病薬で比較的速く解消できる。患者は栄養不良状態になっていることが多いので、体調の管理をしていく必要がある」と説明する。

 薬物をやめられないことに対しては、ものの考え方を修正して行動を変えることを目的とした認知行動療法が基本となる。その一つで、患者が集まって近況や悩みを語り合ったり、薬物の影響を学んだりする「SMARPP(スマープ)」というプログラムが、2016年度から公的医療保険の適用となった。開発者の国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦(まつもととしひこ)・薬物依存研究部長によると、16年末時点で全国29カ所の医療機関と30カ所の精神保健福祉センターで実施されているという。

 回復するには、医療機関だけでなく、経験者らによる自助グループや回復施設の役割も大きい。連載で紹介した井上麻希さん(28)は、入院治療後に回復施設で共同生活をしながら立ち直り、その施設のスタッフになった。

 薬物依存の自助グループは米国発祥の「NA」が代表的だ。今年1月時点で全国に187グループあり、参加者は約2200人。薬物をやめたいと思う人は誰でも参加でき、自分の体験を話す。

 回復施設は、日本では1985年に初めて「ダルク」ができた。約60団体が100施設を運営している。日本ダルクの近藤恒夫(こんどうつねお)代表(75)は「孤立こそが再使用の原因。当事者が周りにいて、ひとりぼっちにさせないことが回復につながる」と訴える。

 

 ■ご意見・体験は、氏名と連絡先を明記のうえ、iryo-k@asahi.comメールするへお寄せください。

 

<アピタル:患者を生きる・依存症>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(後藤一也)