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 近畿地方に住む女性(44)は29歳の時、仕事を半年で辞めたストレスからうつ状態になり、毎日飲むアルコールの量が一気に増えました。ピーク時は750ミリリットルの焼酎を1日1本空けるほどで、一日中飲んでは吐くという生活でした。人づてに紹介された病院で治療を受け、自助グループのアルコホーリクス・アノニマス(AA)に参加したことをきっかけに、立ち直ることができました。この13年間、アルコールを口にしていません。

 ■半年で退職後、酒漬けに

 近畿地方に住む女性(44)は2001年10月、過労が原因でうつ状態になり、退職した。それを機に毎日の飲酒量が一気に増えた。

 当時29歳。建築会社にその年の4月に入社、システム関係の仕事にやりがいを感じていた。ただ、もともと完璧主義者で人に頼るのが苦手で、他人に「助けて」と言えなかった。週に何度も深夜まで残業して、任された課題をひとりでこなした。

 そんな生活は長く続かなかった。仕事のストレスからうつ状態が悪化し、会社を休職した。回復して出社したある日、上司から「いつ休むのか、いつ来られるのかわからない人を、いつまでも社員にしておけない」と言われた。

 入社半年で退職すると、アルコール依存症になるまでに時間はかからなかった。マンションの部屋にこもり、部屋着のままひたすら焼酎を飲み続けた。ストレートで飲み、ほとんど何も食べなかった。当時の記憶はあまりない。酒がなくなると、不審に思われない程度の服装に着替え、近所のコンビニエンスストアへ行った。750ミリリットルの焼酎を1日に1本以上空けていた。

 もともと、お酒は強かった。未成年のうちから酒を口にするようになり、大学生のころは「お酒がないと、人生の半分の楽しみがなくなる」と思っていた。社会人になると、あまりの酒豪ぶりに「ざるに網目がないように飲む」と周囲から言われた。

 断片的に覚えている退職後の出来事がある。ホテルのロビーで見知らぬ男性2人と向き合い、上司らしい男性が「治療費は負担しますが、あなたは働いておられないので休業補償は出せません」と言っている。どうやら、車かバイクと衝突してけがをしたようだ。その時の傷と思われる縫った痕があごにあるが、なぜ深酔いして外出したのか、どんな事故だったのか、記憶も記録も残っていない。

 アルコールだけの生活を半年ほど続けると、胃がお酒を受け付けなくなり、飲んでも吐くようになった。それでも、アルコールを欲する気持ちはおさまらなかった。「死んでも、飲みたい」。トイレまではって往復しながら、無理やり酒を流し込んだ。

 

 ■「生きたい」決断、病院へ

 29歳だった2001年に仕事を辞めたのを機に、アルコール量が増えた近畿地方に住む女性(44)は、一日中飲んでは吐くという生活を繰り返すようになっていた。

 寝る前に、「明日の朝、目が覚めずに、死んでいますように」と祈るようになっていた。

 「もう、生きてられないよ」

 ある日、妹に電話をかけた。驚いた妹はマンションにとんできて一晩中、「死なないで」とベッド脇で手を握っていてくれた。

 その日をきっかけに、「あなたは、死にたいの? 生きたいの?」と自問自答する日々が続いた。最後の最後に「生きたい」と決断し、人づてに紹介された安東医院(京都市)を訪れた。

 診察室で、安東龍雄(あんどうたつお)院長(71)は飲酒歴や症状を聞き、血圧、血液検査などをした結果、アルコール依存症だと告げた。「依存症の人はなかなか病院に行く決断ができないんです。よく1人で来られましたね。えらいですね」

 怒られると思っていた女性はその言葉に驚きながら、「この先生について行こう」と誓った。

 安東さんは「肝臓が弱って栄養状態が悪いので、まず体力を回復します」と経口栄養剤を処方した。さらに、抗酒剤の「シアナマイド」をキャップ1杯注いだ。

 「私の目の前で、飲んでください。なかには瓶を渡しても、全然飲まない人もいますから」

 シアナマイドは、アルコールを飲むと体内でできる有害物質のアセトアルデヒドを分解する酵素の働きを抑え、不快な悪酔い症状を引き起こす。安東さんは「抗酒剤を飲んでお酒を飲むと、呼吸困難になって、救急車を呼ぶことになりますよ」ときつく注意した。

 それでも、自宅に帰ると焼酎が飲みたくなった。ちょっと口にすると、動悸(どうき)が始まって顔が真っ赤になり、呼吸がしにくくなった。翌日、そのことを伝えると、安東さんから説明された。

 「抗酒剤はお酒が飲みたくなくなる薬でも、嫌いになる薬でもないんです。言うなれば、人工的に下戸にすることで、飲まないでいる意思を強化する薬なんです」

 毎日通院してシアナマイドを飲んだ。1週間後、安東さんから「そろそろ自助グループに参加を」と提案された。

 

 ■仲間と語り、耐えた

 29歳の時にアルコール依存症と診断された近畿地方の女性(44)は、治療を受けた安東医院(京都市)で自助グループを紹介された。匿名で参加できるアルコホーリクス・アノニマス(AA)の会合に行くことにした。

 京都府内では毎日のように、どこかでAAの集会があった。数日後、その一つに出てみた。「チェアマン」と呼ばれる男性に「初めて参加します」と伝えると、男性は何も聞かず「ようこそ」と言って笑顔を見せた。

 集会には約30人が来ていた。男女半々ぐらいで、年齢はさまざま。一見してアルコール依存症だとわかる人はいなかった。

 冒頭、チェアマンが説明した。「AAメンバーになるために必要なことは一つだけ、飲酒をやめたいという願望です。入会手続きや会費はなく、姓名を名乗ることも連絡先も必要ありません」

 集会では、自分の飲酒経歴やアルコールにまつわる失敗体験などを順番に語った。話せる範囲でよく、なかには「パスします」と言って何も話さない人もいた。

 女性は「さゆり」と名乗り、退職を機に、1日で750ミリリットルの焼酎を空けるようになり、飲んであごにけがをした時の状況を覚えていないことを打ち明けた。参加者は黙って聞いていた。

 女性はほかのメンバーの話を聞き、「同じ悩みの人が、こんなにいるんだ」とびっくりした。参加者がいかに壮絶にアルコールと闘っているかも知った。

 毎日、京都府内である会合に出るようになり、通院はしなくなった。「それが自然な流れです。AAでがんばってください」。安東龍雄院長から励まされた。

 アルコールが欲しくなると、これまでの努力を無にしたくないと思い、必死で耐えた。AAの会合で仲間と一緒に話し合うと、なにか大きな力で助け上げられるような気分になった。

 そのうち、当時60代で断酒歴10年という「きよさん」という女性が「スポンサー」になってくれた。断酒3年以上の先輩が助言などをしてくれるもので、AA活動の大きな柱の一つだ。きよさんは言った。「夜中でもいいのよ。飲みたくなったら、いつでも、まず私に電話して」

 

 ■「飲みたい」電話でSOS

 29歳の時にアルコール依存症になった近畿地方に住む女性(44)は、自助グループのアルコホーリクス・アノニマス(AA)の会合に通い始めた。そこで「きよさん」という当時60代の女性が「スポンサー」になってくれた。

 きよさんも40~50代はアルコール依存症だった。子どもを学校に送り出してから、台所でウイスキーを毎日1本以上飲む「キッチンドランカー」。彼女もAA活動で立ち直った。「恥ずかしいから、毎日酒屋を変えて、ウイスキーを買った。外から見えないように黒いバッグに瓶を入れた瞬間の喜び、それはそれは格別だった」

 きよさんの当時の思い出話を聞くと、女性は深くうなずいた。

 断酒中、我慢できなくなると、きよさんに電話した。「どうしても飲みたいんです。つらいです」

 「ちょっと待って。10分だけ我慢して。10分だけ、受話器を持って、私とこのまま話をしていてくれる。ここで飲んだら、また一からやり直しなんやよ」

 きよさんは深夜、早朝、どんな時間でも電話に出てくれた。克服への後押しとなった。

 それでも、「スリップ」と呼ばれる再飲酒を何度か経験した。最後の飲酒は31歳の時。当時、一緒に住み始めていた夫に「牛乳を買ってくる」とうそを言って店に行き、日本酒の一升瓶を買った。道ばたで封を切って飲んだ。

 だが、それ以降13年間、アルコールを口にしていない。

 女性は35歳で初めての子どもを授かり、今は家族5人で暮らす。日常生活でお酒を飲みたいとは思わなくなっている。ただ、「アルコール依存症は一生完治することがない病気で、いつ再発するかわからない」。お菓子もアルコールが入っていないか、いつも注意する。そして何より、「どうしてる?」と今でも電話をくれるきよさんの存在そのものが、大きな心の支えになっている。

 女性はときどき、浴びるようにお酒を飲んでいたころを思い出す。大学時代に「お酒がないと、人生の半分の楽しみがなくなる」と広言していた自分に、今ならこんな言葉をかけると思う。

 「お酒による刹那(せつな)的な楽しみより、人生、もっともっと大きな喜びがあるのよ」

 

 ■情報編 推計100万人、治療受けず

 アルコール依存症は覚醒剤中毒などと同様に薬物依存の一つだ。アルコールの摂取で精神的、肉体的な「快楽」にとりつかれ、自分の意志で飲酒行動をコントロールできなくなる。「あの気分にまた戻りたい」という欲求から、強迫的にお酒を飲む行為を繰り返す。以前は慢性アルコール中毒(アル中)とも呼ばれていた。

 日本は世界的に見れば、アルコールに寛容な社会だと考えられている。コンビニエンスストアなどで24時間いつでもアルコール飲料が購入でき、メディアには飲酒場面の広告があふれる。公共空間で昼間から飲酒して深酔い状態になっても、欧米などのように逮捕されることはない。

 一方で、依存症になった患者は社会的に厳しい見方をされる。いまだに、意志が弱く性格的に問題があるというような誤った認識がされている。

 厚生労働省などの調査では、日本でのアルコール依存症の患者は約109万人と推計されている。うち医療機関などで専門治療を受けている患者は約4万人だけで、治療を受けていない患者が100万人を超えるとみられている。

写真・図版

 アルコール依存症専門の安東医院(京都市)の安東毅(つよし)副院長(36)は「アルコール依存は病気なので、飲酒したらだれでも発病する可能性がある。スリップという再飲酒も、本人の意志に反して、病的な渇望感が原因になることがある」という。

 医学的な治療は段階的に、(1)導入期(2)解毒期(3)リハビリ期に分けられる。導入期はまず、患者に「自分はアルコール依存症だ」と自覚してもらう。

 解毒期は断酒をして、アルコール依存症による合併症の治療、離脱症状の治療をする。離脱症状はアルコールを完全に断ったときに現れる禁断症状の一種で、幻視、発汗、食欲不振などになる。入院して治療する場合もある。

 リハビリ期になると、自分の考え方、生活態度、飲酒行動を見直す認知行動療法と、連載にも登場した自助グループ、アルコホーリクス・アノニマス(AA)や断酒会などでの活動が中心になる。仲間と失敗体験を語り合うことで、断酒し続ける心の支えを見つける作業をする。

 

 ■ご意見・体験は、氏名と連絡先を明記のうえ、iryo-k@asahi.comメールするへお寄せください。

 

<アピタル:患者を生きる・依存症>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(石川雅彦)