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 先日いつものパン屋に寄ったら、新しい店員さんがいました。すでに仕事は一通りできるようで、一人でレジを打って袋詰めもそつなくこなしていました。でも、何となく違和感があり、お店を出てしばらく考えていたら気づきました。冷えたサンドイッチと焼きたて熱々のカレーパンが一つの袋に一緒に入っていました。このパン屋では、冷たいパンと焼き立てのパンはいつも袋を分けてくれたので、いつの間にかそれが当たり前になっていて、袋を分けてくれなかったことに物足りなさを感じたのでした。それだけのことなので、お店に引き返して怒ることはしませんが、これをアンガーマネジメントの視点で分析してみまましょう。

 

 怒りの引き金の一つに、ものごとに対する期待があります。これまで冷たいものと熱いものを分けてもらった経験がなければ何とも思わないのですが、袋を分けてくれるのが「当たり前」になると、袋を分けてもらえない時に不満や怒りを生じる場合があります。相手に対して何をどの程度期待するかは、人によって異なります。私は「何となく変だな」という程度でしたが、パン屋のベテラン店員やコンビニの店員など、普段から商品の袋詰めを仕事としている人なら怒ってしまうかもしれません。

 自分の期待通りにならない現実に対して怒りが生じるわけですが、この期待は自分が「当たり前」、このくらいはできて「当然」と思っているレベルであり、自分にとって「当たり前」であるがゆえに自分では気づきにくいことがあります。

 

 場面を病院に移してみましょう。例えば、病院で血液検査のために採血される時、上手な人もいれば、手技は正しいけど何となくイマイチな人もいます。車いすや歩行を介助してもらうのも、安心感のある人もいれば、おぼつかない人もいます。私がパン屋の客として「怒るほどのことでもない」と思うように、患者の立場で「怒るほどでもないけど少々不快」ということもあると思います。

 違和感が小さければ、患者さんはわざわざ訴えないでしょうし、そもそもその違和感を明確に説明するのは難しいことです。ただし、患者さんが不快に感じるケアは、自分の身体に直接影響しますし、痛みや苦痛を伴うこともあります。医療機関や医療者へある程度の水準を期待し、専門的な知識や技術を持っているのは「当たり前」と思っているでしょうから、小さな違和感が不安や不信感へ、ひいては怒りにつながることもあり得ます。

 

 この春、医師や看護師などの国家試験に合格した医療職の人たちが働き始めます。医療現場で働く専門職には様々な資格があり、勉強して知識や技術を身につけ、試験に合格してようやくスタートを切ったところです。しかし、先ほどのパン屋の店員さんのように一通りの仕事をこなせるようになっても、医療者一人ひとりが安全や安心なケアを提供できるようになるためには、長期に渡る研鑽(けんさん)が必要です。そのため、医療現場では患者の安全を守るための厳重な対策や教育体制が整備されています。

 再び怒りの引き金という視点に戻ると、患者が少々不快と感じても、その引き金となった医療への期待値を明確に説明するのは難しい。これは、新入職員を教育する担当者にも言えることです。ベテランの職員は、処置や介助をする時に苦痛や負担の少ない方法を経験的にわかっていて、意識せずとも自然に身体が動くのです。新人は教えられた通りにやってもぎこちなく、ベテランは自分にとって「当たり前」のことができないとイラッとしたりします。でも、自分では当たり前にやっているちょっとした「コツ」や経験から体得した「技」を伝えられるか否かは教育する側にかかっています。

 

 さて、私がお昼に食べようと思ったサンドイッチとカレーパンはというと、サンドイッチが温まってしまうのも嫌でカレーパンを袋から取り出してみたものの、ほかの袋も持っていなかったので、結局そのまま食べてしまいました。怒るほどでもない出来事への対処はこんなものかもしれません。

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■編集部から

 田辺有理子さんの本が8月31日に出版されました。タイトルは「イライラとうまく付き合う介護職になる!アンガーマネジメントのすすめ」(中央法規出版、2160円)です。(詳しくはアマゾン:http://goo.gl/52wVqv別ウインドウで開きます

 

<アピタル:医療・介護のためのアンガーマネジメント・コラム>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/anger/(アピタル・田辺有理子)

アピタル・田辺有理子

アピタル・田辺有理子(たなべ・ゆりこ) 看護師・保健師・精神保健福祉士

横浜市立大学医学部看護学科講師。大学病院勤務を経て2006年から看護基礎教育に携わる。アンガーマネジメントファシリテーターTMとして、医療・介護・福祉のイライラに対処するためのヒントを紹介する。著書に『イライラとうまく付き合う介護職になる!アンガーマネジメントのすすめ』(中央法規出版)がある。