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 2025年には高齢者の5人に1人がなるという認知症。病気のことを知識として知っていても、あなた自身や家族が認知症と診断されたとき、きちんと受けとめられるでしょうか。不安を抱いたり、現状を受け入れられなかったりする人も少なくありません。認知症にどう向き合えばいいのか。そんな問いに答える新しいコラム「認知症と生きるには」がアピタルで始まります。大阪市で認知症の人や家族の悩みなど心のケアに取り組んでいる筆者の精神科医・松本一生さんにお話を聞きました。(聞き手・北林晃治)

写真・図版

 

患者だけでなく、家族の不安も受けとめる

――松本さんが開いている「ものわすれクリニック」は、どのような診療所なのですか。

 患者さんをみて、その方が何型の認知症で、いまどのレベルなのか、を診断するいわゆる「診断クリニック」ではありません。もの忘れが出てきた方が、「病気なのかな」と不安を抱いたとき、気軽に相談してもらい、心の不安を受け止められるような診療所を目指しています。そして、認知症かもしれないご本人だけではなく、その方とふだんからいっしょに生活しているご家族が悩みを相談できるような診療所でありたいと思っています。

 

――どうして認知症の専門医になったのですか。

 もともと歯科医だった父と、内科・眼科医だった母がこの場所で診療所を開いていました。そして私は、歯科医を継げばいいかなと安易に考え、歯科医になりました。当時から高齢の方が多く住んでいる地域だったので、必然的に寝たきりや高齢の方をサポートする機会が多かったのです。そうした人たちの口腔ケアをしていくなかで、高齢者の人をもっとサポートできるような医師になりたいと考えるようになったのです。それで医学部に入り、精神科医になりました。

 

――診察ではどんなことを思いながら、患者さんに接しているのでしょうか。

 診療所に来る人はみんな不安をもっています。いろんな疑問や悩み、苦しみがあります。診療所に来た人が帰るときには、「来てよかった」と思ってもらえるようにしたい。必ずしもその人にとって耳当たりのいい話ばかりではないかもしれませんが、不安を持ってきた人が少しでも光を見られるようにしたい。ご本人へのイメージが崩れてしまったと感じた家族に対しても、医学的にはこう解釈できる、と説明することで、ご家族にも光が見えるようにする。それが私の役割と思っています。

 

――具体的にはどのような不安を患者さんは抱いていますか。

 認知症は、今までできていたことができなくなる病気です。診療所を初めて訪れる人のおよそ7割近くは、もの忘れが増えたとか、今までやってきたことができなくなった、という悩みをおもちです。自分はこの先いったいどうなるのだろう、と不安を抱くのは当然です。認知症の人の中には、早々と自分の状態に気づく人もいればそうでない人もいます。周りは色々言うけど「自分はおかしくないんだ」と感じ、揺らいだ自信を取り戻し、自分を安心させて欲しい、との思いで診療所に来る人もいます。ご家族が悩んでいるのに、本人は病気だと認めない方もいます。まさにひとりひとり千差万別だと思います。

 

――不安を感じている患者さんにはどのような声をかけるのですか。

 うそはつけません。画像診断などで科学的に症状を把握する。そして、医師として、「あなたにはこういうことが起きています」と説明します。それだけでなく「あなたはこういうことはできます」とか「これは課題だけどこれは大丈夫」とか、できることとそうでないことを、全ての人に言うようにしています。

 いつ、どのように告知するかはとても大事な問題です。事実と分かったことをすべて告知すればいいというものでもありません。わたしは初診のときに、患者さんや家族の方に告知を希望するかを聞くようにしています。「独り身なのでちゃんと病気を知らせて欲しい」という方には告知した方がその後の症状の悪化を防げます。逆に、「聞きたくない」と思っている方に無理やり告知して、絶望して症状が悪化するようなケースもみています。その人の希望や状態によって判断します。

認知症、なってからが勝負

――告知をすることで患者が「絶望」することもある?

 認知症は劇的によくなる病気ではありません。ただし、認知症は「なったら終わり」の病気ではありません。なってからが勝負です。もちろん、ならずに済めば、それに越したことはありませんが、なったとしてもご本人の状態が安定し、ご家族が安心できれば、結果的に病気の進みはゆっくりになります。この診療所で私の25年間の経験で見てきました。そのことは、ちゃんとお伝えするようにしています。

 一番、告知に時間をかけた人には1年半かけました。初診のときは、病気を認めない。でも徐々に時間をかけ、「自分にも、もしかしたらもの忘れがあるかもしれない」と思ったあたりで、「本当の病気の名前を聞きたいですか」とお伝えしました。診察時の情報だけで、その人の状態を分析しようとすることは限界があります。本人やご家族の考え、人間関係などその人の「ありよう」を見た上で、告知やその後の治療をどのようにすすめていくべきかを判断していく必要があります。

 

――認知症になってからもその後の人生は続くということですね。

 いままでは、単なる精神論や、絶望させないためのまやかしの言葉として安心させるような言葉を使ってきた時代もありました。しかし、小さな診療所ですけど、25年のデータの蓄積をみますと、その人が安心して家族が安堵感を持つことができれば、状態は安定し、本人の病気の進行を遅らせることもできるのです。

 

介護経験は27年に 患者や家族は「介護仲間」

――家族の相談にものっているそうですが、松本さんご自身も介護家族だとうかがいました。

 妻と結婚して3年目から、義母の介護家族になりました。京都の自宅で27年間、介護をしました。20年は自宅で介護し、7年は施設でした。義母の介護が終わるころ、母にがんが見つかりました。見つかった時点では、手遅れでした。亡くなる1カ月半前まで、母は聴診器をもって診療していましたが、3年半、母の介護もしました。

 義母の介護が終わった時点で、妻はすでに疲弊していて、母を見送ったころに今度は妻が調子を崩し、今は妻の介護をしています。今年で3年目になります。歯科医、医師としての年月が長いか、介護家族としての年月が長いか分からないような人生を送っていますね。

 

――介護をしながら、診察もするのは大変ではないですか。

 いやあ大変です。患者さんの診察をし、医療法人の理事長としての仕事をしながら、家族の一員として介護もします。義母の気持ちが沈んだり、もの忘れが出たりしたとき、精神科医であるからこそ、その状態を目にするのはつらいものがありました。時間の経過とともに家族の状態が悪くなっていくのを見続けながら介護をしていくというのは、その人が変わっていくという喪失感と向き合うことになります。本人と同様に落胆や不安は強いと思います。

 

――そんな松本さんだからこそ患者さんに伝えられることがあるのでは。

 いま来ている患者さんのご家族はみなさん、私が介護家族であることを知っています。帰りがけに「お大事に」と私が言うと、ご家族から「先生もお大事に」と言われます。たまたま医師免許をもっている介護仲間と思ってもらっているのではないでしょうか。

――1日はどのようなスケジュールですか。

 朝の診察は9時から始まります。その前の1~2時間は介護保険の意見書など書類を書いています。診察が始まると一気に時間が過ぎます。昼は30分くらい食事の時間がありますが、午後3時~4時ぐらいまで診察したら、そこで診療所を閉じています。そこから妻の夕食のために買い出しに行くのです。そんな身勝手な診察をしています。診察というより、介護家族としての都合を患者さんにきいてもらっています。お互い譲りあいながらの診察をしているとも思っています。

――往診もしているのですか。

 もし患者さんが診療所に来られなくなったら、その方のお宅に行きます。施設に入居しても、本人やご家族からどうしてもというご依頼があるときには行ってます。一番おつき合いの長い方は25年目。70歳のとき診断して、いまは95歳。いまは60人ぐらいの方の往診をしています

 

誰がなってもおかしくない病気

――認知症をめぐる状況は25年前と今ではだいぶ違うと思います。

 全く違います。一番違うのは、認知症が病気だという認識が社会のなかで広まったことです。以前は、行いが悪かった人に起こる悲惨なできごと、言ってみれば「スティグマ」(偏見による汚名)のようでした。認知症と診断されただけで、その人がまるで悪いことでもしてきたようなイメージがもたれてしまった。最近は、特別な人がなるのではなく、誰がなってもおかしくない病気、ととらえられるようになったのはいいことだと思います。

――認識が広まったことによる課題や問題点はありませんか。

 以前は認知症であることを公にすると、その人の周りには協力者がたくさんできました。ところが、最近は特別扱いされなくなりました。支援が手薄になりつつあります。手が回らないということもあり、地域全体で認知症の方を支えるのが難しくなっている現実があることは憂慮しています。

――2025年には5人に1人が認知症になるとも言われています。私たちは認知症とどうつきあっていけばいいのでしょうか。

 すごく難しい問題です。一言では語れません。根本的な治療法が見つからない限り、認知症の人は間違いなく増えていきます。危惧しているのは、今の日本では、認知症という病気になると、社会的な生命を絶たれてしまうことがある。これからは認知症になっても、その人の能力をいかして社会の一員であり続けられるようにしていかないといけません。そのためには、まずは正しい理解をすること。むやみやたらに怖がるものではありません。

――認知症の人とどう接したらいいでしょうか。

 例えば、帰り道が分からなくて徘徊(はいかい)と言われるような行為をしていた人を見て、「認知症の方かもしれない」「もしかしたら帰り道がわからなくなり、自分の帰り道を必死に探しているかもしれない」と思っても、声までかけられる人はどれくらいいるでしょうか。これからは、おせっかいになってもいいので、「あれっ」と何か感じたら、声をかけてあげられるようになるといいと思います。

 

パステルカラー基調の診察室、白衣は着ずピンクのポロシャツ

――診療所を開いている大阪・千林で育ったそうですね。

 ここは大阪市内の北東部。言ってみれば下町。テレビによく出るような大阪の南の下町とはちょっと雰囲気が違うかもしれませんが、商店街もあり下町風情がある地域です。うちの患者さんは親の代から4世代で診療所に来る方もいます。

――診察室の壁は淡いパステルカラーを基調にしています。松本さんも白衣を着ていませんね。

 白衣を着たことはありません。いまはピンクのポロシャツでダウンベストを着ています。診察室の壁はクリームイエロー。それで、陰鬱(いんうつ)にならずに帰ってもらえるように色彩的にアピールしているのです。

 

――コラムが始まりますが、何を伝えたいですか。

 病気のことを医学的に解説するようなコラムではありません。25年間にわたる診療のなかで出会った人たちとの出来事をもとに、認知症という病気になった人の気持ち、ともにいる家族の気持ちに思いを至らせ、認知症の人も、そうでない人も、社会全体としてどんな風に認知症と生きていくには、どうしたらいいかを考えたいと思います。

 

《松本一生(まつもと・いっしょう)》

精神科医。松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市旭区でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など多数。趣味はクラシック音楽の鑑賞。

 

<アピタル:認知症と生きるには・コラム>

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/(北林晃治)

北林晃治

北林晃治(きたばやし・こうじ) 朝日新聞記者

2002年朝日新聞社入社、北海道報道部、さいたま総局をへて、東京本社生活部、科学医療部。厚生労働省など社会保障、医療分野を取材。東日本大震災後、社会部をへて再び科学医療部へ。2016年9月からアピタル編集部員