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 子宮体がんで4月26日に亡くなった東京都内の山崎エミコさんを取材させていただいて、考えさせられたのは、どのように病と向き合い、人生の終わりを迎えるのか、ということでした。

 

 山崎さんは、亡くなる一週間前に70歳になったばかり。療養中に残した孫たちへの手紙には、「小学校卒業する姿見たいけど、きっと無理だよね」「本当は高校に行って、成人する姿見たかったけど。きっと可愛いでしょう」と、成長を見届けたかったという心残りの言葉もありました。

 無念さは伝わってきました。ですが、山崎さん本人や、長女の中沢愛さん(39)、医師、訪問看護師、ボランティアにお話をうかがい、自宅で過ごした療養生活で、穏やかに最期を迎える日々を送ることができたように思いました。

 もちろん、単純に言い切ることはできません。近くに中沢さん一家が住み、中沢さんはほぼ連日、山崎さんの家に通っていました。とは言え、独り暮らしです。山崎さんも中沢さんも不安があったと思います。容体が急変した時に、自宅で大丈夫だろうか、と。

 同じような不安は多くの方が感じているでしょう。入院していれば、24時間、医師、看護師が同じ建物にいる安心感はあると思います。

 しかし、山崎さんは在宅だったことで、ボランティアや故郷島根県から訪れた妹や弟と笑いたい時に笑い、部屋にある昔の写真をながめながら思い出を語ることができました。その在宅療養は、いつでも緊急の電話をすることで、医師や訪問看護師が駆けつける態勢に支えられていました。

 

 苦しそうに息をしていたけれど、息を引き取るとしだいに表情がやわらいでいったそうです。「母の希望通り自宅で過ごすことができて、本当によかったと思います」と中沢さんは言います。

 こうした生活は、最期をみとった家族の心も穏やかにしたようです。中沢さんが1枚の写真を見せてくれました。告別式が終わり、火葬場を出たときに空にかかっていた大きな虹の写真です。「あの虹が母の笑顔に見えました」。参列された方たちも「あの虹を渡っているんじゃないか」と、明るく話していたそうです。

 

 だれでも同じように在宅で最期を迎えることができるわけではないことも、取材では感じました。育児と仕事もしながら看病した中沢さんは、夫の繁広さん(46)や周囲の助けがなければ、とても大変だったろう、ということも言っています。身寄りがない在宅の方もいるでしょう。

 自宅での療養をどう周りが支えるのか。より良い在宅医療、在宅療養への試行錯誤が今後も続くと思います。

 

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 ◇患者を生きる「手紙」の全4回をまとめた【まとめて読む】を、明日掲載する予定です。こちらもご覧ください。 

 

<アピタル:患者を生きる・我が家で>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/(神田明美)