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 四万十河畔は、菜の花から桜、そして柳の緑と季節が巡ってゆく。今年はとくに長い期間続いたインフルエンザの患者さんから花粉症が終わり、診療所もちょっと一息という時間が流れている。

 「雨の午後診察室の大笑い」、高熱や下痢の患者さんを待たせたら申し訳ない慌ただしさから、診察にも少しゆとりを持てるようになった。

 ぼくの生活に大きな変化があった。診療所の裏から徒歩二分の、妻の両親が住んでいた平屋に引っ越した。今までの引っ越しは仕事が忙しいのを理由に、ぼくの持ち物は直前に段ボール箱に詰めるだけで、妻に任せっぱなしが続いた。

 今回は違った。これが最後になるだろうから、このさい書棚を整理しようと決めていた。まず、卒業以来四十年間一度も手に触れなかった医学書を処分した。「こんなきれいな本も捨てるの」と、驚かれるほどきっぱりと実行した。ぼくの性格からすると、決心が必要だった。

 それとは反対に、学生時代からの文庫本や新書はそのままになった。やっぱり思い切れなかった。学生時代からのたくさんの懐かしい写真も出てきた。それに手を止めながら、過ごしてきた時間の重たさも感じた。

 この引っ越しの時に慌てたことがあった。一つは帆傘(ほがさ)川柳社の「お宝」である著名川柳人の数枚の色紙が行方不明になった。これはぼく個人のものではないので、真っ青になった。

 段ボールを開けながら、「ここにもない、ここもない」と、しばらくは落ち着かない日が続いた。なんということはない、「帆傘色紙など」と書いた段ボール箱が出てきた。荷造りをしている時に、酔っていたのだろうか記憶がなかった。

 もう一つは、妻が結婚した時に持参した、ぼくの書き送った「恋文」の束が見えなくなったこと。「もうそんなものいいんじゃない」と、妻は捜し続けるぼくを笑う。学生時代の弘前の、一番の思い出としてこだわりがあった。

 これは思いがけない大きなビニール袋から発見した。青いインクの丸字の宛名が、ずらっと並んでいる。妻の返事も一緒にあるが、ぼくの手紙がもちろん圧倒的に多い。

 引っ越してから、何か調子が違う。室内犬が夜に鳴くので困った。老犬なのでいよいよ介護の時期になるのかと心配したが、しばらくして落ち着いてきた。慣れない場所は、犬も人間もストレスなのだろう。

 平日は仕事のあとに缶チューハイを飲むといい気持ちになり、部屋の整理まで手が回らない。週末は旅芸人と称する講演が続く。ぼくの部屋にはまだ段ボール箱が並んでいる。川柳の仲間にご披露する日はまだ遠い。

 

<アピタル・診療所の窓辺から>

http://www.asahi.com/apital/column/shimanto/(アピタル・小笠原望)

アピタル・小笠原望

アピタル・小笠原望(おがさわら・のぞみ) 大野内科院長

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大医学部卒、徳島大第一内科入局。77年高松赤十字病院内科。88年同病院神経内科部長。97年大野内科(旧中村市)。2000年同院長。「かかりつけ医としての在宅医療、神経難病、こころのケア」に、「四万十のゲリラ医者」として活動中。02年から朝日新聞高知版柳壇選者。