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 緩和ケアに長年取り組む新城拓也さんに、この道に進んだきっかけや今後にかける思いをうかがいました。(聞き手・服部尚)

 Q 緩和ケアとの出会いについて教えてください。

 A 1996年に医学部を卒業し、最初の1年は脳外科医、2年目は内科医として研修をしました。転機になったのは、三重県の地方の病院勤務になったことでした。マンパワーは限られ、施設も都市部の病院ほど整っていません。都市部と同じような医療ができないときもありました。そんな時は患者さんに申し訳ないという思いを抱いていました。その一方、地域では唯一ともいえる病院でもあったので、救急車で運ばれてくる患者さんの受け入れは断れない状態でした。

 最初の治療から最期のみとりまで、患者さんと長い時間を関わるなかで、終末期の苦痛を取り去る緩和ケアにも取り組まざるを得ませんでした。緩和ケアは日本の医療現場ではまだよく知られていない時代。医療用麻薬の使い方を大学時代に学ぶ機会はなく、上司に聞いてもわからないような状況の中、文献などを参考に医療用麻薬を使っていました。最初にモルヒネを患者さんに使ったときに「息が止まってしまうのではないか」という恐怖感にかられたことは忘れられません。同時に、苦痛から解放された患者さんにはものすごく感謝されました。苦痛を取り除く薬の力のすごさも知りました。

 

 Q そこから緩和ケアの道が始まったのですね。

 A この体験が転機になりました。緩和ケアは、患者さんの病気の治療だけにとどまらない、数多くのことを考えさせられる医療です。病気を抱えて生きる人への敬意とか家族への心のケア、そうした患者を取り巻くさまざまなことに向き合う責任をとらなければならない立場に置かれ、自分の進むべき道は「これだ」と感じたのです。

 さらに緩和ケアは、当初自分が思っていた終末期だけに行うことではなく、さまざまな患者さんに始めるべき医療であると思うようになりました。私自身、患者さんが日々、どんな気持ちで病と向き合って暮らし、どんな生活を取り戻したいのか。家族はどんな思いでそれを受け止めているのかを知りたいと患者さんやその家族らと向き合ってきました。

 人に対する好奇心が強い性格だったことも引き金になったのかもしれません。そうした自分の性格が、緩和ケアに生かされるのではないかと思ったことも確かです。

 

 Q がん対策基本計画など国の政策でも緩和ケアが重視されました。

 A 2003年に社会保険神戸中央病院(当時)の内科常勤医として緩和ケア病棟で働き始めました。地域の緩和ケアの勉強会などを開き、知識と経験を積むように努力しました。06年にはがん対策基本法などができて、緩和ケアが急速に広がり始めたのです。

 並行して、抗がん剤を扱う腫瘍(しゅよう)内科医も充実していきました。抗がん剤を使えば、副作用が問題になり、患者さんの苦痛を取り去る医療に取り組まざるを得ません。この10年で、緩和ケア医よりも腫瘍内科医が増えています。腫瘍内科医は、治療の過程で緩和ケアの技術を身につけ、実際の診療に採り入れています。緩和ケア医が担うべき部分を腫瘍内科医が補うことが多くなっていると感じます。今後、緩和ケア医ががんの医療の中でどのような役割を担うべきなのか、改めて考える時期を迎えていると感じています。

 

<アピタル:ニュース・フォーカス・アピタルがんインタビュー>

http://www.asahi.com/apital/medicalnews/focus/服部尚