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 先日、日本周産期新生児学会の学術集会に行ってきました。特別講演では作家の川上未映子さんが、「健やかな妊娠、出産、育児は、どうすれば可能なのか」というタイトルで話し、私は産婦人科の宋美玄先生と一緒に最前列の真ん中で聞きました。講演では、川上さんが見知らぬ通りすがりの人から「赤ちゃんにあげているのは母乳?」と聞かれきまり悪く感じたということ、母乳神話、三歳児神話の弊害、幼い子と二人きりで追い詰められるような母親の孤独についてお話しされました。「あれ?私がどこかに書いたものを読んでくれた?」と思うほどで、宋先生も「私(宋先生)が乗り移ったようだ」と感想を言っていました。私は、そんな川上さんの話にいちいちうなづいていました。

 

 なかでも、最近の無痛分娩の報道が不安をあおるものではないかという話が印象的でした。川上さんは、歯科治療で麻酔があるのにわざわざ無麻酔で痛みに耐える人がいないように、無痛分娩という痛みを和らげる方法があるなら、痛みを感じたいとは思わなかった、そうです。

 私は職業上の興味もあり、初産はどのくらいのものなのか知りたかったので、いわゆる自然分娩で出産しました。ものすごく痛かったです。(もちろん個人差があります)。産んだ直後には疲労から何も考えられず、臍帯をしばられている子どもを見ながら、自分に母性がないのかと不安になりました。つづく翌日以降も後陣痛でお腹が痛いし、あちこちに力が入ったために筋肉痛も痛いし、母乳はまだ一滴も出ないのに乳腺は張って胸も痛いし、散々でした。看護師さんの「安産でしたね」という言葉に、あれが安産だとしたら難産はどれほどつらいのかと戦慄しました。

 一方、そういった出産の痛みを神聖化する人たちもいます。そういう価値観を持つのは構わないのですが、医療関係者のなかにも痛みを感じてこそ母親になれると思っている人がいて、患者さんに精神論で耐えましょうというようなことを言わないでほしいと切に願います。私は無痛分娩が子どもへの愛情を損ねるとは、まったく思いません。私の2回目の出産は無痛分娩でしたが、初産時と比べ「なにかを失った」とは思いません。それどころか体の回復が早く、出産直後から子どもをかわいいと思えました。

 

 医学的に、無痛分娩のメリットはいくつも説明できます。痛みによるストレスではカテコラミンというホルモンの分泌が増えますが、それが少ないため心疾患や脳血管疾患を持つ産婦の分娩にはとても有用です。産婦に何も疾患がない場合でも陣痛時の過換気やそれに続く低換気から赤ちゃんに酸素が減ってしまうことを防いで落ち着いて分娩できますし、骨盤底筋群が緊張しすぎないのでダメージも少ないのです。薬学博士の池谷裕二さんは、著書「できない脳ほど自信過剰」の中で、何かをがんばった後に、やる気や忍耐力、道徳観が削がれる「自我消耗」という現象が起こると書いています。苦労があるほど、子どもをよりかわいがれるというのは神話にすぎないでしょう。

写真・図版

 

 無痛分娩をめぐる最近の記事は、「無痛分娩で出産の母死亡」というような見出しで、無痛分娩そのものが事故に直接的な関係があるかのように報じています。まるで痛みを避けようとした罰のようです。しかし、お産の事故で赤ちゃんが重い脳性まひになった場合の「産科医療補償制度」の原因分析報告書を見る限り「お産自体に占める無痛分娩の割合と、事故のうち無痛分娩だった割合はさほど変わらず、無痛分娩で事故が増えた傾向はみられない」という記事もあります。無痛分娩は米国やフランスで多く実施されており、産科医療補償制度の原因分析委員長の岡井崇先生は「統計的には無痛分娩だから脳性麻痺が多くなっているとは言えない」としています(無痛分娩、麻酔で脳性麻痺の可能性8年間で5件 http://digital.asahi.com/articles/ASK7D065YK7CUBQU027.html )。

 一方で、産科医が1人か2人しかいない診療所での事故が多く報じられており、態勢が整った医療機関を選ぶことが大事だとも専門家は言っています。(無痛分娩、施設選ぶポイントは? http://www.asahi.com/articles/ASK7D235XK7DUBQU001.html

 

 小児科医をしていると、お母さんたちが、とても苦労して妊娠・出産を乗り越え、子育てしているのがわかります。無痛分娩が、なんだかわからない怖いものとしてではなく、正しく理解され、出産の苦労を減らす普通の医療になることを願います。マスコミや各メディアの報道のしかたも、現実に即したものになってほしいと思います。

 

<アピタル:小児科医ママの大丈夫!子育て>

http://www.asahi.com/apital/column/daijobu/(アピタル・森戸やすみ)

アピタル・森戸やすみ

アピタル・森戸やすみ(もりと・やすみ) 小児科医

小児科専門医。1971年東京生まれ。1996年私立大学医学部卒。NICU勤務などを経て、現在はさくらが丘小児科クリニックに勤務。2人の女の子の母。著書に『小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK』(メタモル出版)、共著に『赤ちゃんのしぐさ』(洋泉社)などがある。医療と育児をつなぐ活動をしている。