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 土曜日の午後だった。「先生はいつごろこちらに回って来ますか」。訪問看護師さんからの落ち着いた口調の電話があった。

 この日は調子の悪い、二人の在宅の患者さんを診察する予定だった。まず熱の出ている施設入所中の患者さんを診察して、点滴をした。それから、その患者さんを診察に行く心づもりをしていた。

患者さんは九十五歳。昨年の秋に肺炎で入院した。退院してからは、訪問診療を始めた。門の前の水仙と道端の菜の花がきれいだった。今釣ってきたという大きな鰆(さわら)を、長男が庭で見せてくれたこともあった。

 「わたしは小さい時に大野先生(ぼくの義父です)のお父さんに診察をしてもらった。それからは大野一筋。大野先生はいい先生だった。それから先生に世話になるようになって、もう二十年」と、滑らかな口調で話を続ける。

 部屋には高知県出身の演歌歌手のポスターがいっぱい。一緒に撮った写真も飾ってある。もともと手先が器用で、人形を作ったり、編み物も得意だった。つい最近作った大きなクッションも部屋にある。

 訪問したある日、黄疸(おうだん)があるのにびっくり。本人はなんともないと言う。肝臓の問題は肺炎で入院中に指摘されていたが、退院して四カ月後だった。

 「病院はもういい、小笠原先生が手を握ってくれて、ことっと家でいけたら、それが一番」と言う。「本人の言うようにしてやりたい、お願いします」と、父も家で看(み)取った長男夫婦は、腹がすわっていた。

  調子が落ちてきても痛まない。たくさんの人が出入りして、よくしゃべる。食べるものをいろいろ要求して、それを子や孫が持ってきてくれる。

 この土曜日まで、倦怠感(けんたいかん)こそ口にするが、食べて眠って、よくしゃべっていた。ぼくが部屋に入ると、「だるい」と言うが、それからはいろいろな話が始まった。「先生、今日はもうちょっといてくれないか」とも口にした。一時間半ほどだったろうか、訪問看護師さんが背中をさすり、ぼくが手を握りつつ、「ゆっくり息をしてとろんとしようよ」と、繰り返して声をかけた。

 水も飲んだ。午後六時半に、眠りだしたので看護師さんとぼくは一旦(いったん)帰ることにした。家に帰ってしばらくして電話した。「落ち着いています」と、長男が答えた。それからまもなく、ケータイが鳴った。救急救命士を目指す孫が手を握っていて、脈が触れにくくなり息がとまったそうだ。

 大野内科の三代の医者にかかったことを、誇らしげに何度も口にしてくれた。たくさんの子、孫、ひ孫が出入りしては、よくこれで疲れないなと思うほど話を続けていた。最期まで、ぼくとも話をした。

 たくさんの人と話しながら、その人らしい最期だった。

 

<アピタル・診療所の窓辺から>

http://www.asahi.com/apital/column/shimanto/(アピタル・小笠原望)

アピタル・小笠原望

アピタル・小笠原望(おがさわら・のぞみ) 大野内科院長

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大医学部卒、徳島大第一内科入局。77年高松赤十字病院内科。88年同病院神経内科部長。97年大野内科(旧中村市)。2000年同院長。「かかりつけ医としての在宅医療、神経難病、こころのケア」に、「四万十のゲリラ医者」として活動中。02年から朝日新聞高知版柳壇選者。