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 2012年に天皇陛下の心臓手術の執刀医をつとめたことで、一躍注目を集めた順天堂大学の天野篤教授(61)。心臓外科手術のフロントランナーとして、いまも現場の一線にたつとともに、順天堂医院の院長として2期目を迎えています。外科医としても、院長としても、「100%出し尽くす」と奮闘している天野さんに、組織づくりの課題や人材育成のかぎについて、インタビューしました。天野さんが今後、めざすものとは?

 

「守る」を前面に

 

 Q 心臓外科教授として多くの手術をこなしながら病院長をつとめることになったのは?

 A まず副院長になったのは、順天堂大で初期臨床研修医が「大学離れ」で集まらなくなったときに、「なんとかしろ」と(学校法人の)順天堂の理事長から言われたのがきっかけでした。特命担当の副院長として計画をたて、研修医を集める取り組みをしたところ、(研修医として勤務する医学生の受け入れ先を決める)マッチングでは「フルマッチ」と一年で実績が出ました。それで副院長を計2年やったあと、院長を選ぶ選挙で選ばれました。

 Q 院長になって、どうかわりましたか?

 A 副院長と院長は責任も守備範囲もずいぶん違います。院長は医療法で規定される病院のいろいろな機能の管理者です。なので、職員を守るとか、院内で患者さんの安全を守るといったことで知恵を絞り、自分の身を呈しながら、「守る」ということを前面に出さないといけないポストだということに気がつきました。最初は外科医を捨てないといけないかと思っていましたが、手術もやりながらできるなと思えるようになりました。実際、会議やいろんな業務に関する決定は朝や夕方にやって、昼間は手術の時間にあてています。

 

「敷地内移転」でも効率落とさず 綿密に計画

 Q 院長として1期目のときは、病院敷地内で心臓手術を行う施設の移転などもありました。収益面も含めた評価は?

 A ハートセンターなどの移転の時期は、少し手術が減ったりとか、患者さんの移動があったりとか、本当は診療効率は落ちるのですが、連休や週末を使うなどできるだけ落とさないようにしようと綿密に計画をたてました。なので、移転では病院の運営そのものには迷惑をかけないようにしました。

 前任の院長のときに(医療の質と安全において国際標準を満たすことを示す)国際認証(JCI)を取得しました。それから私が院長になったときに一息ついたのか、診療の収益が少し落ちました。「これはまずいな」と思って、そこから少してこ入れをしました。敷地内での移転作業が全部ひととおり終わって、新しい環境で診療をスタートするようになり、職員に対する手応えもよくなりました。

 Q 手応えというのは、職員の意識がかわったということですか?

 A そうですね。職員全体の士気はあがったと思います。病院の環境がよくなったということで、安全性も高まり、患者さんの期待感もあります。そういった手応えを職員全体で感じていて、今年の6月は月間病床利用率が99%という数字を記録しました。大学付属病院の特定機能病院の本院として、全国でもきわめて高い数字だと思います。

 

職員一丸で「医療の質」担保 国際認証取得契機に 

 Q 千を超えるチェック項目があるJCIの資格をとったことの意義とは?

 A JCIの項目は、医療安全の項目が多いのですが、職員全体が同じ方向を向いて取り組めるようになるということが大きいです。患者さんの安全を守ったり、医療の質をきちんと担保するようになったり、設備の不備があったらできるだけ早く整えたりといったことに取り組む意識が高まったと思います。災害などに対してきちんとした備えをしたり、感染症対策や医療設備とか医薬品などといったものに対して適正な知識をもって、診療にのぞむということにも、職員一丸で取り組んでいます。

 ちょうど(JCIの)申請準備をしているころに、群馬大での腹腔鏡手術で多くの患者さんが亡くなった問題が起きて、厚生労働省も特定機能病院の要件の見直しなどを始めました。(医療安全についての)人員要件や、専従者を置くといった点では、順天堂医院では、JCIの取り組みを進めることで先行していました。

  

治療必要な患者見つけだし、適切な治療を

 Q 院長の2期目を迎え、待ち時間対策の解消にも取り組んでいると。

 A 待ち時間対策も含む患者さんからのクレームはここのところ、ずいぶん減ってきました。

 クレームについては、三つあると思っています。実際にやった診療行為に問題がある場合、診療行為を行った医療者に問題がある場合と、もう一つはそれを受けた患者側に誤解がある場合です。

 ほかの患者さんにも同じように行っている対応で、特定の患者さんからクレームが来ることがあります。それに対して時間や手間をとられて、ほかの治療が必要な患者さんを犠牲にしたら、本末転倒です。本当に痛くて、症状はあるけれど、ずっとがまんして待っている人をどうやって見つけ出し、適切な医療を提供するかということを気にしないといけません。そっちのほうがよほど大事で、そういう考え方を職員に浸透させています。

 

「合併症」をつくらないために 医療安全対策

 Q 医療行為の中で事故が起きたときにどうするかという体制作りについては?

 A まず考え方ですが、病院が最も円滑に運営されるポイントというのは合併症をつくらないということです。合併症がなかったら、入院から退院まで、全部計画通りにいくわけです。簡単にいうと、予約でしかとらないレストランのように、内容がよければ、こられたお客さんに全部食べてもらって、お皿もきれいになって帰ると、いいわけです。それに近いことを病院ができれば理想なんですけど、それはまずないですね。だから、起きたこととか、起きそうな合併症に対して、どうやって身構えて、患者さんに迷惑をかけず、要望をかえずに、病院を運営していくということが大事なんです。医療過誤が起きるのを防ぐというか、起きる頻度を減らすためのポイントもその中にあります。

 

基本は保険診療 独善的な考えを排除

 Q 具体的には?

 A 過去のエビデンスに裏付けられた保険診療をもとにした医療をきちんと遂行していくということです。ただ、そこからはずれるような先進的な医療や特殊な医療が必要な患者さんも大学病院では受けないといけません。それについては、医療者側の独善的な考えで進められていないかどうかをチェックしていきます。その上で、たとえばハイリスクな医療の場合は、患者さんに対して最悪生命にかかわる場合もあることも伝え、インフォームドコンセント(IC)をきわめて手厚くして、きちんとした信頼関係を築いてから診療に向かうということに尽きると思います。

 

医療安全の課題、病院全体で共有

 Q 医療事故調査制度が始まってから1年10カ月がたちました。大学病院として内部調査委員会をどう運営していますか?

 A 事故調の医療安全センターに報告したケースは1件だけです。それ以外は、センチネルイベント委員会という内部調査委員会で議論しています。診療行為や診療についての考え方に、やや普通(の標準医療)と違う行為があったとか、不適切と思われるものが見つかったときには必ずその委員会の複数の人間で話し合いをします。その診療のどこが分岐点だったのかとか、その治療行為に問題がなかったかどうかを検証します。

 そのうえで、診療委員会という各部や各科の診療科長、いわゆる教授たちが参集する会議にあげて、全体で共有し、医療安全教育にもつなげています。

 

個別の「ローカルルール」をなくす

 Q 事故調ができたことそのものについての評価は?

 A 制度自体ができたこと自体はプラスだと思います。医療過誤について第三者が評価するというのはやったほうがいいのですが、ただ全部の行為でやらないといけないということではないと思います。すでにある一定のエビデンスで、裏付けられている医療の中で、それに反することが途中にあったから悪い方向にいったのか、あるいはちゃんとそれを遵守していても、悪い方向にいったのか。そこを見極めないといけません。確実にある一定の手続きをしてインフォームド・コンセントをとり、術前の検査をし、最も適切な術式を判断して、それを実行するということがなされてきた中で、(有害事象が)起きたこととは別に考えるべきだということをきちんとおさえておくことが大切です。

 こういう考え方は順天堂では、ほとんどの診療科で浸透しています。昔、私が順天堂大学に移ってきたときは、「うちの診療科はこういうルールでやる」という「ローカルルール」がありました。それを排除することを一つのスローガンにして、その流れを変えて、感染症対策や医療安全、接遇マナーを統一化することで信頼度がアップしました。

 

「信頼関係作り」を最優先に

 Q 一方で高度な医療を提供する際に起きる医療事故をどう防ぐか?

 A 実際、順天堂医院で私のところにくる患者さんはほかで断られてくるケースも多いです。手術をしても、すごくハイリスクだけど、手術しないと助からないというケースがあります。その場合は、何回でも丁寧に、複数の医局員や必要であれば私が手術に必要な理由について同じ事を繰り返し説明して、患者さんが納得したら、その手術や特定の医療行為を受けるという手続きをしています。そうした信頼関係をつくるということが大事で、「備えあれば憂いなし」の構えで臨めば、結果は自然についてくるものだという考え方で進めています。 

 

「患者になりきる」とは

 Q 著書では、治りたいという強い意志をもち「患者になりきる」ことが大切だと。

 A そうです。患者さんは、かかった病気について勉強すれば、知識はつきます。だけど、経験はつきません。だから患者さんが経験豊富な医師に、自分の身をゆだねるというのは間違っていないと思います。知識だけで、理想論をどんどんいうのは、非常に危険な落とし穴が待っているかもしれません。一方で、私たち医療者は泥臭くというか、こつこつでいいから、確実に得られる結果を求めます。それが再現性にもつながるし、次の患者さん、その次の患者さんに対して、いい医療を提供できるという考え方です。

 

後進に伝えたい二つのこととは

 Q 心臓外科教授としての経験の何をどう、後進に伝えようとしていますか?

 A 二つあります。まずは日常診療の中で私が直接、部下を指導し、そしてその人たちが若手に指導する、という方法です。それと、自分にどうしても(執刀してほしい)といって遠方からくる患者さんがいた場合は責任をもって手術します。そのときに、「責任をもって手術をするとはなんぞや」というところを教える。現在、新専門医制度が開始されようとしていますが、ただ手術を経験させ、その蓄積がライセンスになるのではなくて、全ての責任を負いながら手術するところまで追い込んで経験させるということ。その二つです。

 手術するときも、患者さんの環境を考え、手術から1年、3年、5年と時間的な快復具合を予測しながら、術式の検討をギリギリまで考えさせます。いまはよくて当たり前だけど、3年後もよくないといけない。5年後はもっとよくないといけない、といった考え方です。

 

「責任」の重要性を強調 

 Q 「責任をもって手術する」というのは?

 A まずは若手の医師に手術をやってみせるだけでなく、実際にやらせないとだめです。やらせるんですが、どんな小さなこともいったんまかせたら、責任もきちんと彼らがとると。そういう責任(をとるという意識)をきちんと自分の中に芽生えさせていかないと。患者さんとその家族の期待を一身に背負い、不安を結果で払拭する。その際の毅然とした態度と博識で他の医療スタッフの信頼も構築していく。その中心にあるのが手術という考え方です。

 当然のことですが、私自身もすべての手術や患者さんについて責任を負っています。責任をもって手術する外科医を育成する段階・度合いとしては、まずはいっしょの手術室に助手として入る。これが一番割合として多いです。次は手術室内にはいますが、助手ではない。それから院内の中にいて、手術室とは違うところにいる。最後に院内にもいないと、そういった4段階くらいで、責任の取り方を変えながら、若手の背中を押すようにしています。

 

 Q 実際の手術を公開でみせる「ライブ手術」をみた研修医や医学生の反応は?

 A 昔から手術室に若手を招いた「ライブ手術」はやっていますが、ありのままをみせます。手技の工夫や手術のやり方もいつも通りで、なんにもかえない。反応は半々にわかれます。インパクトを受ける人と、これは自分には関係ない世界だなと思っている人と。ネガティブに受け取られたら、自分たちとはかかわりのない人だと思うし、ポジティブに受け止めてくれれば、より自分たちが取り組んでいる医療を積極的に開示して教えてあげようかという気になりますね。

 

必要な「自己犠牲」の精神

 Q 希望者が少なくなっている外科医に大切な要素とは?

 A まず、外科医に限らず、医師全般の要素として大事だと思うのは、亡くなられた日野原重明先生も言っておられましたが、「自分の中にたくわえ、備わった知識や力を、自分のためではなくて、目の前にいる患者さんのために使うこと」が重要です。そのためには、自分を抑えてでも、患者さんの役に立つという「自己犠牲の精神」が必要です。あとはすべての患者さんに対して公平な対応で接しないとだめです。

 その上で、外科医に限っていうと、ひとさまの体にメスを入れて、侵襲というか負担を加え、(生活向上に向けて)いい結果を求めることになるので、「うまくいかなかったときは業務上過失傷害」になるという意識で、のぞまないといけません。そのための訓練は何げなくしていたと思いますが、そればかりしていたというわけではないです。

 

「あきらめない」を学んだ手術

 Q 若いときの心臓手術で「あきらめない」ことを学んだ手術があったと。

 A まだ経験が浅い頃に実施した20歳のさっちゃんの手術です。心臓手術で最初は、腫瘍をとればなおると思っていたのですが、切除したら悪性腫瘍でした。たまたまその1カ月前に、同じような心臓の悪性腫瘍の手術で、当時の上司が手術室での術死を恐れて取り切れずに、術後まもなく亡くなられたケースを経験していました。腫瘍が心臓に入り込んでいて、取り切れなければ、あっという間に命を落とす。だから、さっちゃんの手術では、どんどん深いところに切り込んでいって、最終的には機能を取り戻し、心臓を作り直すことができました。

 そのときに「一度助けようと思った患者はどんな状況でも絶対にあきらめない」という大切さを学びました。もちろん、自分の責任で、いったん手術を開始した以上は、後戻りできるタイミングだったら、後戻りすることもあるかもしれませんが、後戻りできない状況になったら、手術を完遂するしかないんだ、手術で助けるんだと。自分を鼓舞して引き出しの全てを使い尽くします。このやり方は今も徹底しています。

 

社会で機能する「機関」としての医師とは

 Q 天野さんは天才型ですか、それとも努力型ですか?

 A 自分はものすごく努力型ですよ。努力することをあきらめたら、絶対にそこまでの自分以上にはなれないです。何かを続けると言うことを、あきらめない。続けていく中で、どこかでいい出会いがある。手術でもそう思います。

 Q 今後の若い医師や医学生に、のぞむこととは?

 A 自分とまったく同じ姿になる必要はないし、同じライフスタイルをとる必要もない。自分が納得して、これと思う外科医のスタイルをとりいれてほしいと思います。ただ、世の中に対してどれだけ自分との位置関係というか、関係性をもって、医師として、機能していけるかどうか。私は「医師機関説」と言っていますが、医師がきちんと社会のなかの一つの機関として機能していってほしいと思います。自分のために医師をやってたら、それは社会の機関ではないですね。それではだめなんですよ。なぜなら日本の医師は国民のみなさんの税金だったり、あとは国からの投資という公共的なお金の投資を受けて、つくられているからです。そのためにちゃんと医師として、自分の中の患者さんの役に立てる何かしらを提供していかないと。

 

 Q 手術中に強い言葉で厳しく指導されると。いまも変わりませんか?

 A それは変わりません。患者さんの命を目の前にしたら、厳しくなります。スポーツの場合、この一戦で負けたら終わりと思ったらヘラヘラ笑ったり冗談言ったりするよりも、厳しく鼓舞し合うじゃないですか。それといっしょです。心臓手術は毎回がトーナメント戦ですから。ただ、時間的、空間的な余裕があるときには、必ず人の意見をきくし、ディスカッションもするし、若い人の目線にもたちます。そういう手続きはしています。頭から否定したりとか、自分の考えをおしつけたりするようなことは絶対にしません。

 

「大学病院だからできない」をなくす

 Q 大学病院の院長として、今後はどういう病院をめざしますか?

 A 昔私が順天堂大にうつってきたときと、いまは違います。15年間でかわったと思います。どういうキーワードで変えたかというと、「一般病院でできていることが、なぜ大学病院でできないか」というものでした。当時は「ここは大学病院だからできないんです」と平然と言われましたが、いまは誰も言わないです。大学病院以外にも、国内でJCIをとっている名門病院はありますが、負けないぞという気でやっています。心臓外科医だけでなく、立派な医師が育成される「名門大学病院」に加え、「名門研修病院」として、順天堂をそういう姿にかえる。そういう方向に進めるために、院長として残りの時間を費やすということですかね。

 

次世代の医師にのぞむこととは

 Q 院長の任期をおえたときの次の目標は?高齢者の心臓手術のパイオニアとして今後もチャレンジを続けるとか?

 A あまり考えていないですね。外科医を続けるのか、続けないのか。それとともに医師を続けるのか、続けないのか。ただ高齢者の心臓手術については、ライフワークでもあるので自分のやり方はあまり変えずに続けて行ければと思っています。国内で通用しなくなれば、東南アジアのような医療後進国も視野に入れていますよ。高齢者の手術リスクを減じる高規格型低侵襲手術のような治療は次世代の医師がやってくれればいいとも思います。例えば手術ロボットを使った手術をやったりとか、新しい術式を考えたりして、私たち先人の業績以上の結果を出してほしいと思います。

 例えば、(機能が低下している心臓の弁を、カテーテルを使って人工弁に置き換える)TAVIのように、新しい医療が自分の目の前に出てくるということはある意味、チャレンジだと思っています。そういう新しい医療が出てきて、いままでの既存のやり方が崩れたときに何が見つかるか。そこで英知を使って、自分たちが自分たちのプロフェッショナルとして生き残るだけのものを探す、と。前を見ているだけだと見つけにくいのですが、タイミング良く振り返ると見えることが多いと思います。このような考え方は非常に大事だと思います。

 

「医神」やポール・マッカートニーのように

 Q 以前は埼玉県知事の候補として、周囲から立候補要請が出ていたそうですが。

 A 政治家はないですね。以前は外科医もやめて、郷土のために役に立ってもいいかなという気持ちもちょっとでたんですけど、県知事というのはそういう「行政の長」というよりも、調整係なんですね。そういうこともあって、政治家はないです。気になる74歳が2人います。脳神経外科医の福島孝徳先生と、ポール・マッカートニーです。福島先生はすごい医師です。患者さんから求められる結果を提供したり、もしくは期待以上の結果を提供したりするという意味で「医神」です。ひとまわりちょっと違いますが、13年後にああいう姿でいられたらいいなと思いますが。相当ハードルは高いです。あれだけの高い頂になれたら凄いだろうなという気持ちがあり、それをいま、自問自答しています。ポール・マッカートニーさんは実際のコンサートを観て、そのプロ意識の高さに感動しました。

 昔は今まではいい線できているから、そろそろ隠居さんでもいいのかなとも思っていました。いまは「ご隠居さんにはなるんだったら、あれを越えてからだ」という指令が、ビシビシときていますね(笑い)。

 <アピタル:編集長インタビュー>

 http://www.asahi.com/apital/special/chiefeditor/(林 敦彦)