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 患者の自己決定権は尊重されなければなりません。自己決定権というと難しく聞こえますが、すべての患者さんが節制を強制されるべきではなく、人によっては健康を犠牲にしてお酒を飲んだり、甘いものを食べたりしてもいいはずだ、ということです。患者さんの価値観はそれぞれです。

 さて、患者さんの価値観とご家族の価値観はしばしば一致しません。お酒やタバコについてはとくにそうです。夫の受診に妻がついてきて、こんな会話をすることがあります。

 夫「早死にしてもいいから私は酒を飲みたいです。お酒が私の生きがいです」

 妻「またそんなことばかり言って! お酒を控えるよう、先生からも注意してやってください」

 医師がご家族に味方して、健康を盾に節酒を強いるのは、患者の自己決定権の侵害です。それに、本人が納得していない節酒指示なんてほぼ守れません。「先生からお酒を減らせと言われたでしょ」「いいから飲ませろ」と家庭不和の原因にしかならず、肝心の酒量はほとんど減らない、なんてことになりかねません。

 患者の自己決定権の観点からは、飲酒のメリット・デメリットについて説明され、十分に理解、納得した上で、それでも飲酒を続けると患者さんが意思表示したならば、その意思は尊重されるべきです。ただ、それだけで済ませられるほど世の中は単純ではありません。夫に健康になってほしい、長生きしてほしいと願う妻の感情はごく自然なことです。ご家族の気持ちも無視されないほうが望ましいです。

 例によって唯一の正解はありませんが、私がよくやるやり方は、患者さんとご家族の両方のお話をよく聞いて、意見をすり合わせる方法です。時間がなければ意見のすり合わせは必ずしも必要ではなく、話を聞くだけでもいいです。結論を出すのが目的ではありません。

 患者さんはお酒が健康に悪いことを承知で飲んでいるんです。いくら医学的な飲酒の害を説明したところで行動は変わりません。しかし、ご家族の気持ちを知ることで飲酒行動が変わるかもしれません。知識ではなく感情の問題です。ご家族からは、普段は「お酒ばかり飲んでダメでしょう」というネガティブな言葉が出てきがちですが、「どうしてお酒を止めて欲しいとお考えなのですか?」といった質問を医師が投げかけることで、「あなたの体が心配です。元気で長生きして欲しい」というポジティブな言葉が引き出せるかもしれません。

 ご家族の側も、患者さんの気持ちを理解するよい機会になります。お酒ぐらいしか楽しみがないことが飲酒の理由ならば、お酒以外の楽しみを一緒に考えることで酒量が減るかもしれません。患者さんの飲酒行動が変わらなくても、話し合う機会を持つことで、万が一患者さんの状態が悪くなったときに、「あのときにもっと強く節酒を勧めるべきだった」という後悔ではなく、「あれだけお酒が好きな人に飲ませてあげられてよかった」と思えるようになるかもしれません。

 まあ、実際にはこんなにうまくいくことはまずありません。お互い言いたいことだけ言って終わり、というのがほとんどです。それでも、一方的にお酒を許可したり制限したりするよりはましだと思うのです。

<アピタル:内科医・酒井健司の医心電信・その他>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/sakai/(アピタル・酒井健司)

アピタル・酒井健司

アピタル・酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。

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