[PR]

 四万十市の中心地にある一條神社神社の大祭が終わると、四万十は急に冷え込んできて、暮れるのが早くなる。地元の人が「いちじょうさん」と呼ぶ祭りはずらりと露店が並び、寅さんがひょいと出てきそうなにぎわいが続く。

 この時期、訪問診療がもたもたすると、最後の家は真っ暗な田舎道を往診車で走るようになる。街路灯がないので、どこで曲がるかがわからない。ましてや、ほくは運転が得意ではない。昼間ならなんでもない、通いなれた家にたどりつくのに苦労する。そのかわり月がきれいで、めちゃくちゃ遅くなると満天の星が慰めてくれる。

 四万十川の支流の後川に沿って、診療所から三十分上流に向けて車を走らせる。そこに訪問を続ける九十二歳の患者さんがいる。国道が川と交差したところで、山側に折れる。車を置いて、そこからだらだらと坂を、往診鞄を右肩にかけ左手にノートパソコンを持って、上がってゆく。初めての時は、迎えに来てくれた家族について坂を上がると、息は切れるし足があがらなくなった。

 「お忙しいのに、遠いところまですみません」と、患者さんはいつも最初のひと言を口にする。診察のあとは、「お気をつけて帰ってください」と、きちんとねぎらってくれる。

 山際なので、この時期は午後四時を過ぎると暮れてくる。左に大きく曲がるだらだら坂の回りは畑で、いろいろな野菜が育っている。その風景が、ぼくの少年の頃に見たものと重なる。坂をスキーのボーゲンのように慎重に降りる時に、自然の中の自分を感じる。とくに暮れ始めた時刻と重なると、よけいに少年のこころになる。

 そんな時期に、人工呼吸器を使う筋萎縮性側索硬化症の患者さんに、また熱が出だした。三カ月前から、熱が出たりいろいろありながら、そのたびになんとか在宅のまましのいできた。

 外来の診療を終えて、夕暮れ時に訪問した。本人と妻とぼくの気持ちは一致していた。「ここまで家で頑張って今の状態なら入院しよう」だった。

 翌日、市立病院に入院した。その夜、病院を訪ねたぼくは、主治医の院長先生にあいさつした。「ご迷惑をかけてすみません」「いえいえ、いいですよ。こんな状態で褥瘡(じょくそう)ひとつなく、最近まで車椅子で散歩もしていたとはすごいですね」と、在宅の日々を評価してくれた。CTなど検査の説明を受けて、ぼくも今の状態が理解できた。

 ぼくは、病室に向かった。「入院を早く切り上げて、また家で一緒に過ごしたい」。妻は、病院には似合わない明るい声だった。

 さまざまな今を積み重ねながら、一年が暮れてゆく。

 

<アピタル・診療所の窓辺から>

http://www.asahi.com/apital/column/shimanto/(アピタル・小笠原望)

アピタル・小笠原望

アピタル・小笠原望(おがさわら・のぞみ) 大野内科院長

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大医学部卒、徳島大第一内科入局。77年高松赤十字病院内科。88年同病院神経内科部長。97年大野内科(旧中村市)。2000年同院長。「かかりつけ医としての在宅医療、神経難病、こころのケア」に、「四万十のゲリラ医者」として活動中。02年から朝日新聞高知版柳壇選者。