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 精神科医として臨床で患者さんと接していて、最も多く受ける訴えに「不眠」があります。寝ようとすると、「明日、大切なことがあるから寝ておこう」「寝られなかったら大変だ」「どうしよう、寝ないといけないのに眠気が来ない」と、頭の中で「不眠=大変!」という思いがぐるぐるとまわってしまい、寝ようとすればするほど眠れなくなるタイプの不眠が圧倒的に多いです。私の診療所を受診する認知症で、不眠を訴える人の70%ほどを占めています。

 

 このような不眠は「神経性不眠」と言って、寝ようとすると気になって眠れないが、寝つきが悪いだけでいったん寝てしまうと、朝まで寝ていることが多いものです。初期の認知症の人のなかにも、神経性不眠になっている場合があります。

 「どうしよう、私、一晩中寝ていない。このままでは死んでしまう」と外来で認知症の妻が訴えるのに、同室で寝ている夫は「先生、妻はこんな風に言うけれど、昨日も大きないびきをかいて寝ていました」という発言が飛び出すのは、このような場合です。

 一方、うつ病の不眠の場合には、いったんは眠れるけれど、その後、ぱっちりと目が覚めてしまう「中途覚醒(途中覚醒)」が起きます。うつ状態になると、「自分が悪い。何もできない」と自責感が出てしまいます。

 認知症が進むと睡眠と覚醒のリズムが変化してきて、一日中、トロトロと眠る人、2日寝て2日起きている人など、睡眠のリズムが変わる人が多いのですが、日々の睡眠リズムが乱れなければ認知症の状態も安定します。

 もうひとつ、どうしても認知症と睡眠の関係で忘れてはならないのはレム睡眠時に混乱を起こしやすい「レビー小体型」認知症です。レム睡眠(Rapid Eye Movement:REM)とは、寝ている間に目をつぶった状態で眼球が左右に揺れて、夢を見ている状態です。睡眠中は、眠りが浅くなる時と深くなる時を交互に繰り返しますが、そのリズムが悪くなるのが、レビー小体型認知症の特徴でもあります。

 

 59歳のレビー小体型認知症 男性の山本紀夫さん(仮名)は診断を受けて2年が経過しました。職場で何度も転倒し、産業医を通じて神経内科で診断を受けました。病院へ通院する時には、妻の美恵さんと昔話をしながら駅から歩いていきます。美恵さんが「こんなに記憶がしっかりとしているのに認知症なのだろうか」と思うほど、過去の記憶はしっかりしています。ところが、日によって突然調子が悪くなることがあり、そんな日は一日中寝ていることもあります。

 その山本さんが、お盆休みの直後から、夜中に突然、大声をあげて寝言を言うようになりました。ずいぶんはっきりと言うので、美恵さんは最初、山本さんがふざけているのかと勘違いするほどでした。

 ある夜の事です。午前2時を過ぎた時、ベッドに寝ていた山本さんが上半身を起こし、大声をあげました。

「これから母親が来る。これからかあちゃんが来る」

美恵さんも飛び起きました。「かあちゃん」とは、この春に見送ったばかりの夫の母のこと。供養して、初盆も済ませてほっとしていたところでした。

「あなた、お母さまのお弔いは済ませたでしょう?何を言い出すんですか」と、つい夫に向かってきつく言ってしまいました。

 それから何度も夜中に大声をあげることは続きました。美恵さんはそのたびに飛び起きなければいけませんでした。夫の寝言があまりにもはっきりとしているので、寝言ではなく、本当に話をしているのではないかと思う時さえありました。

 日中でも同様に山本さんは、幻視で鮮やかに人の姿を見ては、美恵さんに訴えます。「キッチンの角に立っている人の靴にはひもがある。片方が赤で、もう一方は緑だ」というときもあれば、時に亡くなった「かあちゃん」が出てきます。「おかあちゃんが割烹着姿で台所にいるじゃないか。美恵、お前、おかあちゃんの姿が見えないのか?」

 美恵さんはその場で耳をふさぎながら、思わず言いました。

「もう、いい加減にして」

写真・図版

 

 その後も山本さんは幻覚(幻視)を見続けました。次第に大勢の人が自宅に上がり込んでくる幻覚が増え、夜中の寝言や大声は収まることなく続きました。ある晩、美恵さんが夕食を終えて風呂に湯を張り、「お風呂が沸きましたよ」と言おうとしたときです。美恵さんは、夫が風呂のすりガラスを凝視していることに気づきました。

 「どうしたの?」

 「美恵、あれが見えないのか。あんなに大勢の人が風呂に入っていたら、おれ、入れないじゃないか」

 「気持ちの悪いこと言わないで。しっかりしてよ」と泣き崩れる美恵さんに山本さんも泣きながら訴えました。

 「おれだって、怖くて怖くて。いつも人が見えると怖いんだ。おかあちゃんならいいけど、知らない人が突然、何人も出てくる。あれ、本当はいないのか。おれは誰かに取りつかれているのか」

 

 レビー小体型認知症の幻視はとても鮮やかです。知らない人が見えるという体験は、誰にとっても怖い経験です。たとえおかあさんでも、もうこの世にいないはずの人の姿をお盆明けに見たと夫が訴えれば、妻も心穏やかではありません。

 この後、大阪市内の病院から紹介された山本さんに薬を使って様子を診ましたが、1年たっても幻視は消えませんでした。薬物療法だけではすぐには効果が出にくかったようです。ただ、レビー小体型認知症の場合、少しずつ視覚の中枢である脳の後頭葉が萎縮し機能が低下する特徴があり、結果的に幻覚体験も陰をひそめるようになりました。同じようにして極端な睡眠覚醒のリズムの乱れも減りました。山本さん自身も恐怖がおさまり「まあ、見えるけどいいか」と、幻視を受け入れています。

 ここで大切なのは、山本さんが「不安で怖く」つらかった事に私たちが共感を持つことです。不安を夫婦だけで耐えるのではなく、専門医が協力することで、この次に起きるかもしれない病的な体験への心づもりができます。そのことによる安心感によって、病的体験は減ってくるものです。「今、彼に起きていること」を夫婦と医療が協力しながら共に受け止められれば、大きな安心につながります。

 また美恵さんのために山本さんの寝言が出ないように睡眠と覚醒のリズムを整えることも医療の大切な役割です。

 

 次回は意識混濁をともなう「せん妄」について考えます。

 

<アピタル:認知症と生きるには・コラム>

http://www.asahi.com/apital/column/ninchisyou/(アピタル・松本一生)

アピタル・松本一生

アピタル・松本一生(まつもと・いっしょう) 精神科医

松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など