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跡見学園創立者の日記、出版へ 激動の幕末、生き生きと

跡見学校創立当時の跡見花蹊(跡見学園女子大パンフレットから)
跡見学校創立当時の跡見花蹊(跡見学園女子大パンフレットから)

 跡見学園女子大を創立した明治時代の教育者・跡見花蹊(かけい)の五十数年に及ぶ日記が出版されることになった。幕末の政変に揺れる京都で見聞した攘夷(じょうい)派の公家暗殺や新選組の活動、ええじゃないか運動などが20代の女性の目で生き生きと描かれている。

 花蹊は1840(天保11)年、大阪に生まれた。書や絵画に才能を発揮し、大阪の父の私塾で子女を教育、公家の姉小路家の求めで京都でも教えた。66年に京都に転居し、維新後は東京に出て75年、神田猿楽町に跡見学校を開いた。

 日記は和とじと当用日記の計47冊。21歳から1926年に没する前年、85歳まで書き続けた。跡見女子大図書館の岩田秀行館長らが十数年かけて読み解き、全文をパソコンに起こした。

 攘夷派の姉小路公知には花蹊の父、姉、弟が仕えていた。1863年5月(旧暦)、公知が御所から帰宅途中、暗殺された事件(猿が辻の変)について日記の記述は生々しい。

 公知は浪人3人に襲われ、胸を長さ18センチ、深さ12センチ切られた。「太刀を太刀を」と4回叫んだが、太刀持ちは逃げた。顔も切られながら扇子で応戦。相手の刀を奪って切り返し退散させた。自宅に戻り、真夜中、絶命した。

 65年1月には、壬生浪人(新選組)が京都で取り逃がした勤王浪士を大阪・堂島で捕らえた話が出てくる。

 ええじゃないか運動は1867(慶応3)年10月の日記に登場。鳩居堂で買い物の帰り、踊る人々で道が歩けないほど。「家の門前、表裏とも踊りにてそれはそれはなかなか賑(にぎ)わしき事なり」

 同年12月の王政復古、御所に入ろうとした花蹊は、薩摩藩が表門を固めて入れず、ほかの門に回った。町は混乱し、地方へ逃げる人もいた。乱暴を恐れ夜通し起きていた。

 岩田館長は「花蹊は茶道を教育に採り入れたことでも知られる。旺盛な好奇心で社会を見つめ、激動の歴史のなかで、時に日本の将来を案じて涙している。出版は来年秋の予定です」という。

(04/25)


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