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インディアナポリスで頑張るダートレースの日本人

2010年7月24日

  • 筆者 :風間深志

写真拡大ダートコースで大カウンターを切る古橋さん

写真口の中に久々に食べた日本食が入っています=撮影・白根全

写真拡大トーニャさんとの結婚の日の写真

 7月22日 木曜日 晴れ 日中34℃度

 アメリカは大きい。そして、何でもある国だが、ここで生きていくには、また別の意味で大変な事である。

 今回、我々が現地で走るための自転車の受け取りなど、様々お世話になった古橋孝仁さん(埼玉県出身・36歳)はインディアナポリスに住んで3年。仕事は日本では絶対にお目にかかれないダートトラック・レース(未舗装のオーバルコースで行われるオートバイレース)のプロライダーである。

 1999年に初めて日本の茂木サーキットでダートトラックレースに参戦してから、すっかり虜になった。当時、埼玉県のバイクショップの店長をしていた古橋さんだったが、日本ではこのレースを知る仲間もレースの機会も極めて少なかった事から、思い立って翌年の2000年、150万円を手に握りしめてダートの本場・インディアナポリスにやってきた。当時、日本には無かった4ストローク600ccの専用マシンを大枚$8500をはたいて購入し、出場したレース(アマチュア部門)で、何と栄光の2位をゲット。幸か不幸か、ここからが益々のめり込むきっかけになってしまった。

 2003年に再渡米し、本格的なレース体制を作る準備。2004年には、いよいよオハイオ、ミシガン、イリノイ、ケンタッキーなどを毎週のように転戦してSNRシリーズの年間チャンプになった。2005年も、ほぼ毎週の転戦をつづけたが、思っていたような賞金は貰えなかった。エントリーフィー$40〜$70を払い、勝つと$50〜$100の賞金をもらえるのだったが、その額は日本で想像していたものより遙かに少ない額だった。そんな風だったから、レースのオフシーズンになると毎年日本に帰国し、働いて稼いで、また渡米する繰り返しの年がつづく。

   

 そんな折り、2007年のプロエキスパートへの昇格を果たし、栄光のゼッケンナンバー”43X”をもらうと同時に、ダートと日本が大好き!というトーニャさんと出会う。そして、翌2008年のレースの開幕と同時に渡米して晴れて彼女とゴールイン。グリーンカードも取得して、日本をはじめとする海外からのライダーの受け入れ、育成、レースサポートを目的とした会社「古橋レーシング」を設立し、以来、レースの参戦と同時にダートトラック一色のアメリカのレース生活を送っている。

 「生活はどうか?」と聞いて見ると、「アメリカではライダー自体の評価が高いので、気持ちの上では幸せだが、実生活になると奥さんには頭が下がる思いです、、、」と、何処も同じ答えが返って来た。

 ーーーーさて、本日予定していた我々の本出発だが、諸事情の理由から明日へと順延とした。明日は間違いなくスタートする。

プロフィール

風間深志

かざま・しんじ。冒険家。1950年、山梨県出身。85年、バイクでエベレスト登攀、標高6005mの世界記録樹立。87年、バイクによる北極点到達。92年、バイクによる南極点到達。いずれも史上初。ほかバイクによる冒険、レース参加等多数あり。88年より『地球元気村』(その後NPO法人化)を運営。全国各地をフィールドに自然を軸とした地域づくり・人づくりに取り組んでいる。

 主な著書に『地平線への旅』(文芸春秋)『2DKと大自然』(大和出版)『10万回のキャスティング』(インフォレス)など。

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