2009年6月5日
ランボルギーニ・ムルシエラゴRGT―LM
みなさん、はじめまして。10日から14日まで行われるル・マン24時間レースをリポートさせていただくことになりました明嵐(めあらし)と申します。今年3度目のル・マンに参戦することになりました。
私たちのチーム「Team JLOC」は、1994年に結成したプライベートチームです。JLOCとは「日本ランボルギーニオーナーズクラブ」の略で、メーカー公認、日本唯一のクラブ。もちろん非営利団体です。TeamJLOCはその有志で組織し、独立したまったく別の団体です。詳しくは私が製作・管理している下記JLOCの公式サイトをご覧ください。
ル・マン24時間レースへの参加はチーム結成当初からの念願であり、そのアプローチとして2005年にル・マンエンデュランスシリーズ(現在のル・マンシリーズ)のモンツァ大会に2台態勢で参加しました。1台はエンジンブローでストップ、もう1台は途中までクラストップをキープしましたが、こちらもあとわずかなところでエンジンブローとなりました。
そしてル・マン100周年のメモリアルイヤーである2006年、Team JLOCにとって、そしてランボルギーニにとっても初めてル・マン24時間レースに参戦することができました。このレース用にムルシエラゴRGT―LMを新製し、LMGT―1クラスに参戦。でもこの時、大方の予想はランボルギーニなんて、たぶん3時間か、もって5時間だろうなんて言われていました。そんな号外やニュースリポートを見て、もちろん我々はメラメラと闘志を燃やしました。
いよいよレースがスタートして夜になり、朝を迎えても、ムルシエラゴは走り続けていました。1台だけF1マシン並みのソプラノエキゾーストノートを響かせるムルシエラゴは、会場でも人気となり、ランボルギーニ社の売店ではTシャツが売り切れました。ですが、初参戦チームとしては驚異的な22時間、3850km以上を走ったところで止まってしまいました。あと2時間で止まるって、とってもほろ苦い経験です。でもこの事によって、ル・マンではもう誰もランボルギーニを馬鹿にしませんでした。よく頑張ったと多くの知らない観客から、他のチームからも握手を求められました。その事に私たちは深く深く感激しました。
2007年も同じムルシエラゴRGT―LMで連続参戦しましたが、予選中運悪くクラッシュしてしまいました。このレースはスペアカーは認められないのですが、私たちが帰ろうとせずコツコツとクルマを修復している(大クラッシュで修復は不可能でしたが)のを見て、ル・マンを主催するACO(フランス西部自動車クラブ)が代わりのクルマを用意できるのなら、決勝に出てもいいよと言ってくれました。これはほとんど前例のないことです。
私たちはパリのコレクターが持っている2004年モデルのムルシエラゴR―GTを借り受け、奇跡の決勝進出を果たしました。結果は2周目に駆動系にトラブルが出て止まってしまいましたが、感激のレースでした。
2008年はエントリーはしましたが、台数が多く参加できませんでした。そして2009年、Team JLOCはこの伝統あるレースに再び参戦することになりました。
マシンはランボルギーニ・ムルシエラゴRGT―LMで、GT1クラスからエントリーしています。私は、マネジャー兼雑用係としてドライバーやメカニックをサポートします。が、ときどきサボってワインを飲みながらこのリポートを書くつもりです。不謹慎と言われようが、真剣さがないと言われようが、これがありのままのスタイルですので、どうぞお許しください。
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JLOC公式サイト http://www.jloc-net.com/
JLOC(日本ランボルギーニオーナーズクラブ)広報と、スーパーGTレースはTeam JLOCマネージャー兼、87号車の監督を務める。JLOC公式サイトも制作・管理している。自動車雑誌「GENROQ」元編集長だけあって、スーパースポーツカーに関しては世界的レベルの専門家。数十万円掛けたマウンテンバイクで、浅草界隈を毎日走るのが目下一番の趣味。 JLOC公式サイト http://www.jloc-net.com/