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作戦的中!第1レース 〈アジアン・ル・マン参戦記3〉

2009年11月18日

  • 筆者 明嵐正彦

写真疾走する69号車

写真表彰台に立つTeamJLOCのメンバー

 土曜日は、朝8時からウォームアップ走行があります。ホテルからサーキットまで40分ほどかかるので、午前6時半には出発です。わずか15分、多くて10周しかできませんが、このセッションは大事なので頑張ります。

 ここでは、ライバルの61号車(アストンマーチン)が1分29秒295というベストタイムで実力をアピール。次いでTeamJLOCの68号車で、1分30秒511。これに続いて50号車(サリーン)が1分30秒757というタイム。TeamJLOCのもう1台の69号車は、1分32秒478というレース本番でのラップを刻むに留めておきました。

 スタート順は各クラス関係なく、タイムが速い方が前です。69号車は余郷選手、68号車は山西選手がスタートを担当することになりました。このスタートドライバーは一度相棒に交替して再度走ることになります。

 そして午後0時30分、第1レースがスタートしました。序盤、LMGT1クラスではトップの50号車を69号車が追う展開。そこへ最後尾から追い上げてきた61号車が加わり、ペースの差から61号車がトップ、次いで69号車、そして50号車という順番になりました。

 そして、1度目のピットインのタイミングとなります。68号車が先の予定でしたが、69号車の燃料が乏しくなり先に入ります。余郷選手から井入選手に代わり燃料満タン、タイヤ無交換でコースに戻ると、ライバルの61号車は20秒ほど後ろにいました。タイヤを4本交換したので後ろになったわけです。

 そこに68号車・山西選手から「駆動トラブルで止まった」との無線が入りました。残念ながらここでリタイヤです。50号車のペースは上がりませんが、61号車はフレッシュタイヤで1分31秒台を連発し、1分33秒台の69号車にどんどん迫ってきます。しかし、井入選手は落ち着いていました。1分32秒台にペースをあげられないこともないが、そうするとタイヤに負担がかかる。ここは我慢だというわけです。

 私たちの予想通り、69号車に2秒差まで迫ったものの、61号車は完全にタイヤを使い切り、1分34秒台にペースが落ちて行きました。それからは69号車のリードがわずかかずつですが広がっていきました。

 そして運命の2回目のピットインです。69号車はここではさすがにリヤタイヤ2本を換えて、燃料満タンで再度余郷選手がステアリングを握り、ピットアウトして行きました。

 61号車は2度目のピットインでまたも4本タイヤを交換し、ピットアウト。名手・土屋武士選手がまたも1分31秒台を連発して、69号車にどんどん迫って行きました。しかし、最高4秒差まで近づいたものの、タイヤがもう保ちませんでした。

 それからはどんどん離れて行くことに。また、50号車はコースアウトしてリタイヤしてしまいました。結局、2位の61号車に30秒以上の差をつけて69号車がチェッカーを受けて優勝しました。 作戦大成功です。表彰式では、井入、余郷両選手と則竹代表が表彰台の真ん中でトロフィーをもらいました。

 サーキットを後にして、行きつけのイタリアンでディナータイムです。第1レースで勝ったので、みんなノリノリです。でも明日のレースもあるのでほどほどに引き上げました。また、その間もメカニックたちは69号車の徹底点検と68号車の修理(結局デフが壊れていました)をしています。

 食事後、私と則竹代表夫妻は、私の部屋で明日の作戦を立てます。今日のレースの対策として、ライバルの61号車がどういった作戦を立てそれに対してこちらがどういう作戦を取るか。ワインを飲みながら深夜まで作戦会議が続きました。

プロフィール

明嵐正彦(めあらし・まさひこ)

JLOC(日本ランボルギーニオーナーズクラブ)広報と、スーパーGTレースはTeam JLOCマネージャー兼、87号車の監督を務める。JLOC公式サイトも制作・管理している。自動車雑誌「GENROQ」元編集長だけあって、スーパースポーツカーに関しては世界的レベルの専門家。数十万円掛けたマウンテンバイクで、浅草界隈を毎日走るのが目下一番の趣味。 JLOC公式サイト http://www.jloc-net.com/

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