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復活!風間深志のユーラシア横断

危険地帯を一気に通過? ドロ道走行413キロ

2007年07月04日

 ◆7月1日 日曜日

写真問題を抱え、考え込む風間さん
写真国道でクワスを売るおばさん(失礼!)
写真郊外で一休み。遠くに原子力発電所?が見えた
写真早く着いた日にはバイクの整備に余念がない
写真大型車が往来するドロドロの道路を100キロ走行
写真朝もやを突いて走る2人
写真クラスノヤルスクの町に到着

 ロシアに来てから三度目の日曜日。イルクーツク郊外ではロシア人たちの家族連れが河原でバーベキューをしたり、畑付きの別荘(ダーチャ)を利用して、日曜菜園を楽しむ姿が多く見られる。バイクに乗ったこちらは震えているというのに、彼らは「裸」で歩いている。草原の野花は満開に咲きシベリアの夏は今が真っ盛りだ。

 相棒の竹中医師のバイク初日ということで、今日の走行距離は少し短めの290キロ。目指すは隣町のサヤンスクという町。

 国道に出たところでKBAC(クワス)と呼ぶロシア国民の誰もが毎日飲んでいる麦茶のような飲み物を、12ルーブル払って飲んでみた。黒糖が入っているような酸っぱさのある味で、少し難しい感じの飲み物だった。

 竹中医師のロシア初のライディング。あまりの風景の美しさと、空気のすがすがしさに顔が笑っている。毎日給油するガソリンの値段がここのところ安くなって、少し前まで1リッター22.5ルーブル(約115円)だったものが、イルクーツクでは19ルーブル(約95円)に。輸送量がかからない分安くなっているようだった。

 国道は昨日までの55号に変わって53号。沿道の赤い幹の松と白い幹の白樺(しらかば)の木が一緒になって林を作り妙な感じだが、紅白の縁起のいい目出たい林のプロムナードに祝福されながら抜けているのだと思うと気分がいい? モノは考えようだ。

 夕刻前に着くことができたサヤンスクの町。ここで、これまでのダート走行ですっかり擦り減ってしまったバイクのブレーキパッドの交換とオイルの交換をするために近くの修理工場を訪ねたのだったが、ここでまたとんでもない話を聞く。「あんな町に行くのはとんでもないよ。バイクも車もアッという間にとられて身ぐるみ剥がされてしまうよ!」と。本当かどうか、ホテルのおじさんや警察にも事情を聴いてみた。それによると、タイシェットは人口4万人、うち麻薬患者が1500人程度で失業者も多く、国に対する不満度はAクラス、観光客との事件も頻繁に起きているとのこと。ついこの間、ネルチンスクで悪者にやられたばかりの通訳ミーシャ君(19歳)は、バイクを車に乗せて行くことを強く主張したが、それは絶対に出来ない。

 結局、翌朝未明に出発し危険地帯を一気にすっ飛ばし2日分の850キロを1日で走ってしまうことに決定して寝る。

 ◆7月2日 月曜日

 朝5時、まだ暗い中サヤンスクを出発。寝不足で意識もうろうとした気分でバイクにまたがる。しかし頭の中は危険地帯を突破して悪路を850キロ以上(何キロあるのかは、実際に走ってみなければ分からない)走らねばならない! という緊張感でいっぱいだった。泣きっ面にハチ、外は冷たい雨が降っていた。

 向かう最終目的地はクラスノヤルスクの町。これまでの走行ではウラジオストクからハバロフスク間の700キロが最高でそれを上回る走行距離になるが、もうこうなれば「ヤル!」と腹に据えてしまえば出来てしまうものなのである。一昨日来たばかりの竹中先生には誠に気の毒だが、ここは一番、やってもらうしか道はない。

 薄暗くてもロシアの原野は広々として美しい。自然は世界どこに行ってもまったく変わらず、僕たち人間を大いなる威厳と優しさの目で見守ってくれている。父の厳しさと母の優しさのようなモノかも知れない。

 降りしきる雨。ヘルメットのシールドに付いた水しぶきで前がよく見えない。自動車のワイパーブレードのようにグラブの人さし指で30秒に一度ほどの間隔でぬぐいながら走る。ものも言わずに走る。休むことなく走る。竹中医師は、バイクに乗るのは15年ぶりだと言うわりにはよく付いてきてくれる。

 ドロドロの泥道、凸凹が激しいぬかるみの道が50キロ、100キロの長さで続いた。シベリアの原野が徐々に大きな町を幾つか越えてモスクワに近づいているというのに、一向に道路の状態は良くならない。

 2時間に一度くらいで小用のため停車する。350キロを走って4度目の休憩。見ると通訳君の顔色が変わった。聞けば、タイシェットの宿泊先を手配したエージェントから電話が入り「問題は無いからホテルを一応見てから判断したらどうだ」と会話を交わしたらしい。

 一向にやむ気配のない雨の中、タイシェットの町の看板が見えてきた。が、こちらはまだ走る気満々。面倒なことになるよりいっそ行ってしまおうではないか! と、そんな気分だったのだが、ホテルを探し、その周辺とホテルの内部をチェックした結果は「OK」。どんよりしていた空も晴れてきた。薄汚れてはいるが(失礼)平和な町である。どんな町にも危険は潜んでいる。夜の繁華街や盛り場……。安全な場所を選ばず歩けば、どこの国のどこの町だろうと、問題が起きる時は起きる。

 騒動の原因は通訳のミーシャの若さと、隣の町のことを良く言わないサヤンスクのおじさんたち悪口、そして、この町のどこかに潜んでいる現実の危険ということで、本日の走行は泥道413キロ。くったくたになって無事終了。

 ◆7月3日 火曜日

 この先はまだ危険な悪路が続くという情報。

 朝、タイシェットの町を6時30分に出発。朝食は国道に面するカフェでとる。その方が効率もいい。しかも「早起きは三文の徳」である。国道はすごい霧につつまれ、沿道に展開する集落(ロシア民家は木造で小さい)や森、草原の朝もやの風情といったらもう抜群であった。白いガスの中で鈍い輝きを放つ朝日、すべてを覆う神秘のベール(ガス)が、少しずつ徐々にはがされていき今日の一日が始まる。そんなドラマが感じられる日の出の1時間はゴールデンタイムである。自然を撮るカメラマンにはたまらないひと時だ。

 さて、今日もそんな国道53号。町から小1時間も走ったところで、またまたすごいダートの始まり。ドロと穴ボコだらけのダート道、飛ばしたくてもどうにもならない辛さがある。昨日は一度も転ばなかった竹中医師が、ぬかるみでついにこけた。無傷。さすがに四輪のラリー経験が長いだけに勘がいい。少しだけ先輩の僕は昨日「免許皆伝」を宣言した。

 午前11時、ようやくダートを抜ける。待ちに待った広い草原を駆け抜け、森の中を貫く一直線のアスファルト道路、まるでアラスカハイウエーのようだ。これに、この国の人たちの観光レジャーに対する意識がもう少し高まって、道路に付随したキャンピングの設備や奇麗な水洗トイレが付けば、アラスカハイウエーとそっくりである。そんな日が来るのも近いだろう。

 国道には、かつては花形だった軍用トラックの払い下げ車両が多い。かつての英雄(ウエポンキャリアー)が今では森から伐採した木材をせっせと運ぶ姿には「機械はいつでも人間に従順なのだ」と、しみじみと感じるものがある。その他、トラクターや大型トレーラー、これまでは速度の遅い車両を追い越すのも対向車両がなくて楽だったのだが、急に車の数も多くなってきた。

 16時、クラスノヤルスク着。古めかしいが大きな建物、路面電車、カラフルな服装の人々がたくさんいる町だった。本日の走行422キロ。

プロフィール

風間深志(かざま しんじ)
 冒険家。1950年山梨市出身。1985年バイクでエベレスト登攀(とうはん)。6005メートルの世界記録樹立。1987年バイクによる北極点到達。1992年バイクによる南極点到達。いずれも史上初。ほかバイクによる冒険、レース参加等多数あり。1988年より『地球元気村』(2002年にNPO法人化)を運営。全国各地をフィールドに自然を軸とした地域づくり・人づくりに取り組んでいる。
 主な著書に『地平線への旅』(文藝春秋)『2DKと大自然』(大和出版)『10万回のキャスティング』(インフォレスト)など。

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