■4年前の大キャンペーン
早いもので、トヨタのシティーカー『iQ』がデビューしてから4年が経過する。
ボク自身は2008年夏イタリアで、iQ発売前に奇抜な予告キャンペーンが次々と実施されたのを、昨日のことのように思い出す。
ミラノやローマ、フィレンツェといった大都市で、キャンペーンのスタッフが巻き尺で路上駐車中の一般車を計測し、iQの全長と同じ2985mmのところに「トヨタiQなら、ここまでです」と書かれたステッカーを貼って立ち去る、というものだった。
ボクが住むトスカーナの港では、夏休みの観光客をターゲットに、iQのプロトタイプがディスプレーされた。アンケートに答えると、「iQ」と書かれた巻き尺がもらえたのを覚えている。それは今でも、我が家の工具箱の中に転がっているはずだ。
我が街シエナのトヨタ販売店は、iQ発表のために、上顧客を選んで夕食会まで催した。
フランスもしかりだ。普段クルマの広告が載ることなど稀(まれ)な在住日本人向け新聞にも、「iQの購入相談承ります」といった趣旨の広告が載った。
リーマンショック直前で、広告宣伝費用にゆとりがあったこともあるだろうが、欧州における日本車販売史上、珍しく大々的なキャンペーンだった。
前評判も悪くなかった。「イークー(iQのイタリア語読み)は、スマートより何センチ長いんだ?」「本当に4人乗りなのか?」「前輪、それとも後輪駆動?」といった質問を、ボクは発売前にイタリア人やフランス人からたびたび受けたものだ。
■見に来ても、買って行くのは・・・
あれから4年。体感値での判断をお許しいただけるなら、欧州でiQを最も見かけるのはパリ、次にトヨタの欧州拠点があってトヨタ車の認知度が高いベルギーのブリュッセルである。
しかしながら、そうした大都市以外でiQを見かける頻度はかなり低い。
シエナでもボクが知っているのは、近所のブティックが所有する、店名をカッティングシートで貼り付けた1台くらいである。
手元にある数字を見て納得した。
2012年6月におけるiQのイタリア国内登録台数(欧州自動車工業会調べ)は、わずか212台である。日本の2012年8月登録台数(日本自動車販売協会連合会調べ)144台よりも多いが、いずれも3桁台の前半にとどまる。
ちなみにiQといえば、姉妹車として一時話題を呼んだアストン・マーティン・シグネットもある。欧州連合が定めた企業平均燃費規制においてメーカーが優位性を保つための“政策車”であり、トヨタiQの3倍以上のプライスタグが付けられた高級車だから、見かけることが少ないのは当然といえば当然だ。だが、最も売れるとボクが予想していたモナコのモンテカルロでも、ふたたび体感値をお許しいただければ、今年夏ボクが見かけたのは一度きりだった。
日本で2008年グッドデザイン大賞を獲得するほど革新的かつ意欲的なパッケージングを採用したiQがなぜ、欧州でこの程度の販売台数にとどまるのか。
まずは前述のリーマンショック以降の景気悪化で、新種のクルマに対するユーザーの関心が後退したことが挙げられよう。
さらに欧州市場には、トヨタがPSAプジョー―シトロエンとの合弁工場で造っている4人乗りコンパクトカー『アイゴ』がある。iQよりも後席居住性が良いにもかかわらず、より安価だ。
それどころか、フランス工場で造られている新型ヤリス(日本名ヴィッツ)の1リッター3ドア仕様でさえ、iQより円にして27万円近く安い。
「iQを見に来たお客さんも、最終的にはヤリスを買って帰ってゆく」というのは、知り合いのトヨタ・セールスの証言だ。
■次期型で日本車の未来が決まる
その意欲的な企画からすると、もう少し頑張ってほしいiQの販売であるが、ボク個人は次期iQも現行型以上に技術的な“攻め”をしてほしいと切に願っている。
そう思う背景には、1959年にゼネラルモーターズ(GM)が発表したスモールカー『コーヴェア』がある。
コーヴェアは量産米国車としては画期的なリアエンジン方式や全輪独立サスペンションを採用していた。
だが、従来車と違ったその操縦特性を十分ユーザーに説明しなかったことや、安定装置を当初標準化しなかったことなどが災いし、全米を巻き込む自動車安全論議の引き金を引いてしまったのは、古い自動車ファンならご記憶のとおりだ。
それに懲りたGMは、以後小型車を計画する際、革新的機構を避けるようになり、大型車の縮小コピーのような設計に傾倒していった。そうした安易ともいえる開発姿勢は、やがて1970―80年代に低燃費を武器にした日本車攻勢に十分対抗できず、米国車衰退の原因にも繋がった。
コーヴェアと違い、iQはクルマとして申し分ない。また、繰り返しになるが、経済危機がなければ、都市のクルマに高い関心をもったユーザーによって、もっと注目されていただろう。
常に苦渋の経験を糧に伸びてきたトヨタであるから、ボクの思いなど杞憂(きゆう)に過ぎないのかもしれない。
だがスポーツカー『86』でちょっとした懐古志向を見せる昨今だ。iQまで“守り”に入ってしまう恐れはある。そうなればトヨタの、ひいては日本車のチャレンジ精神まで閉ざしてしまう。
今のiQを笑うことは簡単だ。しかし、iQを笑う者がiQに泣くことにならないよう、日本自動車業界が気をつけなければいけないと思う今日このごろである。
イタリアに暮らして15年になる大矢アキオさんが、日々の生活の中で遭遇したご当地事情を軽妙な筆致で描いた新著「イタリア発シアワセの秘密 笑って!愛して!トスカーナの平日」。現地に「住んでみないと分からない」エピソードがたくさん。鋭い観察眼を通して見えてくるのは、家族の絆を大切にし、日々の生活を楽しむイタリア人たちの姿だ。クルマの話も、もちろんたっぷり。イタリアの教習所風景や霊柩車ショーの様子など、日本からでは知り得ない世界をのぞくことができる。写真やイラストも多数盛り込まれ、見ても楽しい1冊に。二玄社発行。1470円。

歌うようにイタリアを語り、イタリアのクルマを熱く伝えるコラムニスト。1966年、東京生まれ、国立音大卒(バイオリン専攻)。二玄社「SUPER CAR GRAPHIC」編集記者を経て、96年独立、トスカーナに渡る。自動車雑誌やWebサイトのほか、テレビ・ラジオで活躍中。
主な著書に、『Hotするイタリア―イタリアでは30万円で別荘が持てるって?』(二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』(光人社)、訳書に『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)。電子書籍に、iPad/iPhone/iPod touch用『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)。最新刊に『イタリア発シアワセの秘密 笑って!愛して!トスカーナの平日』(二玄社)。