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| エド村崎のフィルム・マニアーク October
29, 2004 |
クレージー黄金作戦
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エド村崎
96年末から98年春にかけて、アエラ巻末の「in short……」欄に映画評コラム16本を執筆しただけで、この世から姿を消した幻の映画ライター、一説には本業は新聞記者だが、その、よこしまなドッペルゲンガーとなって、ひとりよがりの極致のような原稿を書いている。
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|バックナンバー|
松尾慈子の漫画偏愛主義
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みな様、お久しゅうございます。活字のM字開脚ライター、エド・オブ・ジョイトイでございます。
ここんところ、エドごときの人生ではあり得ないほどに忙しく、こちらをお留守にしてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。
しかしまあ、なんですなあ、やたらとストレスの多い日々を過ごしておったわけですが、多い日も安心! 横漏れ防止サイドギャザー付きで夜もぐっすり! という、とっておきのCDが心の崩壊を食い止める防壁になっておりました。
こいつを防水仕様のプレーヤーに仕掛けまして、お風呂で3,4曲、湯上りに2、3曲、ガツンと鼓膜にかましておけば、しっかり吸収、熟睡ガードってなぐらいに、よく眠れる。それが『クレージーキャッツ・デラックス』、大瀧詠一監修の、ハナ肇とクレージーキャッツの珠玉のベストアルバムなのであるよ。
グレン・グールドも愛聴するけどクレージーキャッツにも耳傾けるエド・オブ・ジョイトイ、なかなか小癪な奴である。
湯船につかりながら「無責任一代男」「ホンダラ行進曲」「無責任数え唄」に聞き惚れ、バスタオルで濡れた体を拭いながら「だまって俺について来い」「遺憾に存じます」「五万節」を口ずさむ。ほぼ2ヶ月、毎晩、このローテーションを繰り返していたので、カラオケ・レパートリーとしてクレージーキャッツはもう完璧、もはや神業の領域にたどり着いたと言っても決して誇張ではない。
この青島幸男作詞(一部は塚田茂)・萩原哲晶作曲の60年代前半のクレージー・サウンドはリアルタイムに聴いてはいなかったはずなのである。なんせ物心つくかつかないか、青島−萩原コンビの最後の傑作とされる「遺憾に存じます」がシングル・リリースされた65年は小学校1年生だったわけだしな。
テレビ的にも「シャボン玉ホリデー」は、お呼びギャグとキントト映画のコントでハラホロヒレハラになった記憶はあるのだが、やっぱりドリフ、全員集合世代なんすよ。だもんで、71年に半年間だけ、「8時だよ! 全員集合」がクレージーキャッツ出演の「出発進行」に変わったときは、むかつくよりも痛ましかったですな。
てなわけで、クレージー・サウンドとの最初の接点は、浅草東宝のオールナイトなどでリバイバル上映されていた東宝クレージー映画の数々からなのである。
当然、最初に見たのは第1作「ニッポン無責任時代」と第2作「ニッポン無責任野郎」(どちらも1962年、古澤憲吾監督)の2本立てだったはずである。「……時代」は平均(たいら・ひとし)、「……野郎」は源等(みなもと・ひとし)という植木等扮する主人公が、「さぁ、いっちょうブワーッといくか!」って気合と、タイミングにC調に無責任の3拍子で社長まで出世してしまう。
完成度の高さでいうと、「……野郎」は全30作の東宝クレージー映画の最高峰に位置づけられる快作。ギャグのテンポがキビキビしていて、いま見直しても笑える。この古びない寿命の長さはマルクス兄弟に匹敵するほどの奇跡の業である。
以後、「日本一のホラ吹き男」「日本一のゴマすり男」「日本一のゴリガン男」の「日本一」3本立てだの、「クレージー作戦 先手必勝」「香港クレージー作戦」「クレージー大作戦」の「作戦」3本立てだのを見ては、60年代の記憶の残像を手繰り寄せては目頭を熱くしていたんだと思う。
今回のお題の「クレージー黄金作戦」は東宝創立35周年記念作品で2時間37分もの破格の長尺。それが逆にアダになって全体の出来具合は締りがなく、もともと1時間半を越えるコメディ映画は辛いエド・オブ・ジョイトイは感心しないんだが、日本映画史上に燦然と輝くラスベガスのサンダーバード大通りダンスシーン、これだけは見逃しちゃいけません。
後で知ったことだが、アメリカ本土でロケを敢行した日本映画はこの「黄金作戦」が最初なんだと。そんなこたあ、どーでもよくて、とにかく植木等が、ハナ肇が、谷啓が夜のラスベガスで歌い踊るんですぜ、旦那。
「金だ金だよ、キンキラキンのキン。マネー、ゴールド、キンキラキンのキン」
もちろん犬塚弘も桜井センリも安田紳も石橋エータローも歌って踊ってる。
「とうとう着いたぞラスベガス、待っててくれたぜラスベガス、ドーンと行こうぜラスベガス」(田波靖男作詞、宮川泰作「ハローラスベガス−金だ、金だよ」)
このシーンを思いついたのは坪島孝監督で、監督の回想によると夜のラスベガスで交通遮断して本格的にロケ撮影された映画などハリウッドでもないらしく、マフィアにいきなり銃撃されるのではないかとスタッフは怯えていたそうである。
高度経済成長下ニッポンの、いじらしい集団幻想がクレージーに乗り移ったかのような、あのシーンが東宝クレージー映画の真髄でもあったわけで、笑うよりも泣ける。延々とリピートして見ていたら、中高年は号泣するかも知れないな。
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