asahi.com
天気  辞書  地図  サイト案内  Top30 
サイト内 WEB
コラム 社 会 スポーツ 経 済 政 治 国 際 サイエンス 文化・芸能 ENGLISH 
  >AIC  >天声人語  >日本@世界  >ポリティカにっぽん  >風考計 
     
 home >コラム >AIC   


アサヒ・インターネット・キャスター


読者フォーラム December  31, 2004
では、よいお年を

バックナンバー投稿はこちら


在欧のTSさん

美濃口氏「欧州どまんなか」 December  21, 2004,「君が代」がなくなる日」について」
美濃口氏のコラムは毎週読んでいますが、今回のコラムには賛成しかねる点がいくつかあります。

まず、「原典となる「君が代」の歌詞は、古今和歌集や和漢朗詠集に収録されているといわれるように古いものである」というのは正確さを欠いています。古今集巻第七にあるのは「わがきみは千世にやちよにさざれいしのいはほとなりてこけのむすまで」です。

手許の広辞苑で見ると、江戸時代の隆達節(りゅうたつぶし)の巻頭第一には「君が代」との出だしで載っているとのことですが、同じく広辞苑によると、この隆達節とは「泉州堺にある日蓮宗顕本寺の僧隆達が創めた小唄。一六〇〇年頃に流行」したものだそうで、その小唄集の中の歌が、美濃口氏が言われるように解釈されるべきものだったかどうかはきわめて疑問と言わざるをえません。むしろ例えば、「天皇さんよ、お幸せに」ぐらいの意味しかもっていなかったのではないでしょうか。国家と結びつける形で「君が代」が解釈されるようになったのは明治以降であると見る方が、遥かに妥当なように思われます。

そして、「君が代」を国家と結びつけて解釈する場合、その解釈が幾通りもあるとは思えません。問題の在独大使館のドイツ語訳自体は調べていませんが、「君主よ、汝の支配が/千年も、幾千年も続くように」というのは訳として間違っていないと思います。つまり、素直に読めば、「君が代」の歌詞が今の日本の政治体制に合っていないことは明白です。

美濃口氏は「奈良の法隆寺の建物を見ても、私たちは憲法のことなど考えない。それなのに、なぜ、私たちは千年以上前の「君が代」の歌詞が憲法に合致しているかどうか気にしなければいけないのか」と問うておられますが、答えは簡単です。「君が代」が国歌とされた以上、その歌詞が今の日本にふさわしいかどうかを気にするのはむしろ当然ではないでしょうか。気にしない方がどうかしています。

ならばフランスの「ラ・マルセイエーズ」はどうかとおっしゃるのかもしれませんが、率直に言って、ああいう国歌を変えないフランスはどうかしていると思います。フランスがああだから、日本も「君が代」で良いなどという議論はおかしいと言わざるをえません。

民主党の小宮山議員の質問には不自然さがあるように思いますが、それはむしろ、政府が戦前からの君が代の国歌扱いを変えずに、歌詞も全く変えないまま(ご存じのように、ドイツですら、1番は歌わなくするという変更を行なっています)、これを国歌扱いし続けてきたことの不自然さの反映だと言うべきでしょう。そして、君が代の使用をめぐって現に、特に教育現場でいろいろ問題が生じていることを考えれば、君が代を政治家が国会の場で取り上げるのは当然必要なことだと思います(その観点からすれば、小宮山議員の質問は迂遠であり、不満が残りますが)。

なお、ドイツの学校で音楽の授業で使われている歌曲集に「君が代」が取り入れられたのは、もっぱらその曲の奇妙さ(面白さ)のゆえでしょう。曲の問題と歌詞の問題を混同するのはこの場合おかしいと思います。

共産党になど一度も入ったことのない者ですが、今回の文章はいただけませんでした。

英国の大学院生THさん

美濃口さんのご意見に感銘を受けました。ご意見に触れるまでは君が代の訳は政府解釈に沿った方がよいと漠然と思っていました。国歌のフレーズも欧州風の方が感情移入しやすくてよいとも思っていましたが、美濃口さんのご指摘のように欧州風の国歌があふれかえる中では、今の雅楽調でよいと考えを改めました。

FTさん

美濃口坦という人物のコラムが非常にずさんで、不愉快なものだ。戦争協力への反省と、国家権力への無批判を反省した朝日新聞の趣旨に真っ向から反するものだと感じる。

たとえば、近代的な憲法が国家権力を制限するために存在するという基本的なことも知らない方のようで、このような公の場で社会的な話題を語る基本的な教養を欠いている。

単なる典型的な右翼的な言論にもかかわらず、いかにも中立であるかのように装い、民主主義や憲法を真剣に考えている人々を中傷する姿勢は産経や読売にこそふさわしいが、朝日新聞にふさわしいとは思わない。

もちろん、朝日新聞の見解が変化してきているのかもしれないが、世の中が右傾化するなかで、人権や平和についてまじめな姿勢を貫くことは、今まさに大切なことであると信じる。

アムステルダムの会社員さん

私も美濃口さんと同意見です。日本人として国旗、国歌には敬意を払っていきたいものです。

無名氏さん

美濃口様
特に確実というわけではありませんが、君が代の来歴については古田武彦氏の研究があります。同氏の九州王朝に関する研究と関連して、なかなか面白い内容を含んでいますので、ご参考までに。
敬具

米国の会社員のTFさん

美濃口さんのご意見、”君が代”がなくなる日を読み、全く同感致しました。
ご立派な意見にて感心しております。

昨今の国会議員などは家業(世襲)かタレントの類の阿呆が大勢を占めており、今回の民主党の馬鹿議員の発言が出て、政府/官僚が慌てた結果です、なさけない!
腐ってもドイツは鯛、日本は腐っても鰯と云った事例でした。

大阪の会社員さん

>一瞬私は冷戦時代の東欧圏のガチガチ共産党員と議論しているような気がした。

氏はミュンヘンに30年前に移住し,日本の現状に疎いのではと感じました。
日本では君が代について,教育現場のトラブルなど深刻な議論がなされています。
それをガチガチの共産党員というのは日本国内の現状に対する認識不足といわざるを 得ません。

>翻訳は、原典を忠実に外国語で表現し、こうして表現されたものがその外国語を解する人々にわかってもらえなければいけない。「君が代」の独訳について質問した野党の政治家も、またこの質問に回答した政府のほうも原典、翻訳、解釈という三つの区別すべきことが区別できないのではないのだろうか。

区別をした故に解釈が違うという意見が出たのではないでしょうか?

>原典となる「君が代」の歌詞は、古今和歌集や和漢朗詠集に収録されているといわれるように古いものである。一つの原典にも複数の解釈があることになる。

古いものといわれていますが,君が代に歴史的な重み付けを加えるために古今和歌集に収録されていると恣意的に言われるようになったかもしれません。そういう意見もあるようです。証拠はないと思います。解釈を一義的にすることは氏の言うガチガ チの共産党員そのもではありませんか? 私は共産主義も宗教の一種と考えていますので,日本の現状(宗教団体が公表している信者の数を集計すると日本の人口は5億 人,6億人になります)をきわめて健全と思っている人間です。つまり考え方の多様性とそれを認める精神が民主主義の根幹をなすと考えています。

>私が強調したいのは、原典「君が代」の歌詞の作者は昔の人で、千年先の時代に登場する現行憲法の「主権在民」も「象徴天皇」も予想できなかったことである。当然「君が代」という表現そのものがこのような現行憲法の考え方となじまない。

上述したように本当に「作者は昔の人」であることに懐疑的な意見もあります。私は肯定も否定もできませんが。

>私が心配するのは、この理由から仕事熱心の日本人が「政府の解釈と異なる『君が代』の訳文が在外公館で使われることがないよう」にがんばっているうちに、翻訳の元になる原典が歌詞でなくなり「政府解釈」になってしまう。その結果(少なくと外国語の翻訳で)「君が代」がなくなる日が来ることである。

日本政府がその時代において解釈を変えることはやむを得ないと思います,なぜならば解釈は一つではないと考えるからです。

>奈良の法隆寺の建物を見ても、私たちは憲法のことなど考えない。それなのになぜ、私たちは千年以上前の「君が代」の歌詞が憲法に合致しているかどうか気にしなければいけないのか。

君が代を国歌と法律で規定したからには憲法に照らしてどうかと吟味することは当然のことと思えるのですが。(上述したように1000年以上も前ということに関してエビデンスを見たことがありません。)

>地球上にある多数の国歌のなかで、「君が代」は評判がいいのではないのか。国家も国歌も19世紀のヨーロッパ人の発明であり、そのために欧州以外の国の国歌は、どこか西洋音楽の模倣とけなされる。ところが、「君が代」だけは、昔から西洋音楽と異なる音楽性を表現しているとされてきた。

誰がどこで評判が良いということを発言しているのでしょうか?
 (統計学を学ん だ者として)データで示されないと信じることはできません。氏が個人的によいと思うのは自由です。私はUKの「God save the Queen」,「Land of Farther」の方がよいと思っています。

>ドイツの学校で音楽の授業で使われている歌曲集に「333の歌曲」と呼ばれているのがあるが、この中に「君が代」が入っている。版元はクレット社で有名な教科書出版社であり、またこの歌曲集に数多くの国歌が収録されているわけでないので、日本の国歌が高い評価を受けていることになる。

そうでしょうか? ビートルズの「All you need is love」の中にフランス国歌が含まれています。このことをもってして,血なまぐさい(私の理解)歌詞のフランス国歌が高い評価を受けていると言えるでしょうか?

>「君が代」の外国語訳を読む人に、どうして私たちは自国が「主権在民」である と知って欲しいと思うのだろうか。日本にどんな憲法があって、それが遵守されているかどうか質問されれば、それに回答したらいい。きかれもしないのにいいたがるのは奇妙な心理である。私は、駅の待合室で(いわれなく)立ち上がって自分がスリでないと叫びだす奇妙な人物を連想する。

上述したように日本では(ドイツではない)現在,依然として君が代に関して賛否両論があります。そういった世論に外務省が配慮することは(珍しく,歴史上初めてでは?)当然のことと思います。また日本は民主主義国家であり,主権在民と理解していただくことに違和感は全くありません。日本では国歌に関して現在いろいろな議論があることを知ってもらって悪いとは思いませんが?

<最後に>氏の意見を否定するものではありません。現在の日本には君が代に関していろいろな意見があります。そういうことを認識していただきたくてコメントしました。日本の役所は世界で最低のレベルというのが私の評価なので,外務省として波風を立てたくないのが本当のところなのでしょう。

USAのICさん

Konnichiwa from Las Vegas! Very interesting. I taught "Kimigayo" to my American students in Japanese. Everyone loves to sing it. English translation was printed at the same page. No problem at all. It is a great song、and I love "Kimigayo."

千葉県のKYさん

「君が代」なくなる日」で美濃口氏が述べていることは至極当然である。文芸作品に時の政府の統一的見解など要求する方もおかしい。政府はそそくさとその解説文を変えてしまい、かえって時の政府に都合の良い説明文になってしまった。

国歌の成立に寄与したエーケルト(Franz Eckert)の存在まで削除され、不親切な説明となり、ドイツ人がインターネットに公開している文までが中に浮いたものになってしまった(例えばwww.schelpi.de)。

君が代行進曲を聴くと、ついIch hab mein Herz in Heidelberg verloren(公式の日本語訳不明)、次いでフランス国歌のLa Marseillaise (ラ・マルセイエーズ)を思い出してしまうのだが、「ラ・マルセイエーズ」は極めて血なまぐさい歌であり、その成立の歴史を知らなければ、その意義も意味が判らないものになりかねない。その解釈を変えろなどと云うフランス人はいないだろう。

美濃口坦: TSさま、お手紙ありがとうございました。

1)私は「君が代」について通り一遍のことしか知りません。ドイツ文学で小さな石が集まって岩になりと来ればネーションビルディングを連想するといった程度のことです。自分の解釈にいっさい固執しません。

2)日本で「君が代」について相対立する人々の間で共通する見解は、国歌の歌詞は現在の日本の政治体制、憲法秩序を反映しなければいけないという立場です。これは両派が国民を前にみせくれる喧嘩の舞台です。私はこの共通する立場、歌詞が憲法秩序を反映すべきという見解に疑義をとなえました。というのは、この見解は別に根拠があるわけでなく、自明なこととされているだけです。

またこの立場にたてば結局政治が変わる度に国歌を変えなければいけないことになります。

だからこそ、お手紙に書かれたように「、、、、ならばフランス の『ラ・マルセイエーズ』はどうかとおっしゃるのかもしれませんが、率直に言って ああいう国歌を変えないフランスはどうかしていると思います」というご意見なると思います。私は日本もフランスのようになれ、と思ってこう書いているわけではありません。どちらかというと、例えば政治を変えるたびに、国歌の歌詞を変えるのはエネルギーの無駄であると同時に、議会制民主主義による政権交代が円滑に機能しにくくすると思っているからです。

3)「君が代」について教育現場で本当に望ましくないことが起こっていることを指摘されておられます。私もこのこと残念に思い、これこそ憲法違反臭いと考えています。私に理解できないのは、この民主党議員ならびに政府がこの身近な憲法を違反でなく、在独大使館のホームページを問題にすることです。これは胡散臭い、ごまかしで自己欺瞞です。こう思っているので、「駅の待合室で(いわれなく)立ち上がって自分がスリでないと叫びだす奇妙な人物を」を連想しました。

4)「旧東欧ガチガチの共産主義者」という表現に他人を傷つけたり、誤解されるところがあったとすれば、私が表現の仕方がよくなかったと思います。但し民主党や自民党などの反共主義者に対して私はそう表現したのです。その点を忘れないでください。右であろうが左であろうが、精神の硬直に反対しているのです。

ではよいお年を。

THさん、お手紙ありがとうございました。
今年の夏、サッカー欧州選手権あり、そのとき仕事でスイスに滞在していました。TagesAnzeigerというスイスの新聞を読んでいると(私と異なり)音楽に強い人が「君が代」のことを出だしは雅楽的で、その後に西洋音楽的になると書いていました。まったく雅楽的だけであれば、それは異国風的で欧米人の耳に音楽として残らないと思います。私は楽譜も読めないし、音楽理論となると駄目ですが、もしかしたら、明治の日本が試みた和洋折衷の成功例のほうに入るかもしれません。

では良いお年をお迎え下さい。

FTさん、お手紙いただきありがとうございました。
でもとても残念な手紙です。

1)まずおっしゃっておられる「世の中の右傾化」ですが、それが日本の社会現実なら世論に「右か左か」でしか考えられない一本調子があるからではないでしょうか。このような日本の世論構造に、私だけでなく欧米の知日派が不安をおぼえているのです。というのは、このまま進行していくと180度転換する危険があると考えるからです。このような危機感を覚えないことは精神衛生上いいことかもしれません。

2)「民主主義や憲法を真剣に考えている人々」と民主主義と憲法をあっさりと一列に並べておられますが、民主主義と憲法が事と次第によっては対立するものであることを考えられないためではないのでしょうか。もし(私が暮らすドイツでワイマール共和国終了時起こったように)民主主義的な手続きで民主主義的憲法を無効にしたらあなたどうされるのですか。

このような時、憲法と民主主義は一列に仲良く並ぶのは、両者の厄介な緊張関係を考えておられないからではないでしょうか。だからこそ、私を「近代的な憲法が国家権力を制限するために存在するという 基本的なことも知らない方」と思われるのではないのではないでしょうか。次に、主権在民であるなら国民と国家は同じで、憲法の機能を国家権力だけを制限するものと考えられないはずです。それなのに、国民の権利と国家の権利を対立しているように見なすのは、現憲法の価値を理解していないことにならないでしょうか。

この問題と直接関係がありませんが、「このような公の場で社会的な話題を語る」資格を、教養の度合に従って、あるかないかで決めようとされる、あなたの考え方も、日本の憲法の精神になじまないものだけでなく、「戦争協力を反省しないで国家権力への無批判であった」大正教養主義的なものを私は感じます。

3)「人権や平和についてまじめな姿勢を貫くことは、今まさに大切なことであると信じる」と書いておられます。人権も平和も、私にとって自分の「姿勢を貫く」だけの問題でなく、自分をふくめて具体的な人間が共存していくため重要視しなければならないことと思っています。

なぜあなたは私の書いたものから、私が人権も平和もまじめに考えていないと思われるのでしょうか。もしかしたら、あなたはとんでもない「レッテル貼り屋」ではないのでしょうか。

以上、同一の見解に到達することができないのですが、それでもお手紙をいただいたことをうれしく思います。無視することはどこの国の憲法に違反しないし、どの哲学者も問題にしていないにしろ、もしかしたら一番非人間的なことかもしれない、私はそう考えるからです。

以上、感謝しつつ、では良いお年をお迎え下さい。

アムステルダムの会社員さま、お手紙ありがとうございました。
私が日の丸や君が代に対してこだわりがないのは、どちらも私の心の中でいやな経験と結びついていないからです。聞いたり見たりするきっかけがオリンピックなど国際的スポーツ競技と関連しているからだと思います。でも誰かが自分の抱く世界観や、また自分のしたいやな体験から拒絶反応をもつとしたら、これは認めるべきと考えています。強制すべきとは思いません。

では良いお年をお迎え下さい。

無名氏さん、お手紙ありがとうございました。
参考文献のご指摘ありがとうございました。
いつかまた国歌について何か書くときに参考させていただきます。

ご存知でしょうが、来年からはAICがアスパラ倶楽部に移動いたしますが、また読んでいただければうれしいです。

では良いお年をお迎え下さい。

TFさん、お手紙ありがとうございました。賛成していただきうれしいです。ではよいお年を。

大阪の会社員さま、お手紙ありがとうございました。

1)私が日本の事情について疎いこと、、、、そうかもしれません。でも現在東京都をはじめ幾つかの現場、学校で強制するようなことが行われているのは知っております。このことを残念に思っています。法的な判断ができるような専門的知識を持ち合わせていませんが、それでも憲法に抵触する疑いをもっています。

そのような事情があるのに、野党民主党代議士と日本政府が在独日本大使館の「君が代」訳を問題にすることは本末転倒です。そう思ったことも、このコラムを書いた理由の一つです。「駅の待合室で(いわれなく)立ち上がって自分がスリでないと叫びだす奇妙な人物を連想」したのはまさにこの理由です。

次に「ガチガチの共産党員」ですが、コラムの中で誰を相手にそう形容したのか気がついて欲しいです。民主党にしろ自民党にしろ反共主義者だったのではないのでしょうか。

旧東欧圏の共産党員にガチガチの教条主義者がいたことを否定する共産主義者もしくは社会主義者など今時見つけるのが難しいです。

2)私が古今集や和漢朗詠集を見ないで、そこにあると思っていることに対するご批判はあたっています。今まで何度もその種の記述を読み、疑う必要を感じなかったからです。

3)「君が代」いろいろな解釈があってはいけない、また日本政府が解釈を出してはいけないなどとコラムの中で書きませんでした。

4)私が疑念を呈したのは、国歌の歌詞がその国の政治体制もしくは憲法秩序を反映しなければいけないという通念です。この通念が舞台になって、その上で国歌や憲法といったテーマの論争・対立が成立するのだと思っています。

5)「君が代」の評判がよいということの統計学的証拠は提出できません。また統計学的証拠がこの場合に証拠として適切であるかどうか疑問があります。私は今まで「君が代」が日本軍国主義と関係があるといった批判をほとんど聞いたことがありません。その点、在独大使館の独訳を撤廃させた現内閣の首班が参拝する東京の神社と「君が代」は全然別の話です。だからこそ、「君が代」がドイツの教科書に入っているのです。その程度の意味で評判がよいと書いたのです。

6)日本で国歌について論争があることに興味をおぼえる外国人に、そのような資料を提供するのはいいことです。でも、歌詞の文字通りの意味を知りたいだけの人に独語訳を拒み「日本は主権在民の国」などということを強調するのは、どこの国でもおそらく通用すると思われるコミュニケーションのルールに反するのではないでしょうか。というのは、自分を他人からこう思って欲しいとする自己イメージを強要することになるからです。

お手紙をなるべくきちんと読もうと努めたのですが、そうでなかったらお許しのほど。
では良いお年をお迎え下さい。

USAのICさま、お手紙ありがとうございました。
外国にいらっしゃった日本人がときどきどうでもいいことに気をつかってくよくよすることがありますね。本当にどうでもいいことで、周囲の人は何にも思っていないのに。今回のケースもどこか似たところがあります。そう思われませんか。
ではよいお年を、その前によいクリスマスも、お迎えください。

千葉県のKYさん、お手紙ありがとうございました。
お書きになったことごもっともです。

ただ私が気にするのは、コラムで私がよその国の国歌の悪口をいったと理解されることです。いろいろな国と国歌があるという意味でふれただけです。
どこの国の国歌にも、私は敬意を表明します。自国の国歌も含めて。

では、よいお年を。



Designed by TUBE graphics 


| 社会 | スポーツ | 経済 | 政治 | 国際 | サイエンス | 文化・芸能 | ENGLISH |
GoToHome ニュースの詳細は朝日新聞へどうぞ。購読の申し込みはインターネットでもできます。 GoUpToThisPage
asahi.comに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
| 著作権 | リンク | プライバシー | 広告掲載と注意点 | アサヒ・コムから | 朝日新聞社から | 問い合わせ |
Copyright Asahi Shimbun. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission