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| 「地図一途」 December
09, 2004 |
単冠湾の飛行場
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 | 野々村 邦夫
ノノムラ・クニオ
30年余の公務員生活の大半は測量と地図に関係。99年、国土地理院長を最後に退官。広島工業大学教授などを経て現在財団法人日本地図センター理事長。仕事柄、旅する機会が多く、駅弁と地酒に造詣が深い、ハズ。
絵・宇田川のり子 |
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|バックナンバー|
岩城元の「ハルピン発なんのこっちゃ」
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朝の通勤時間帯、渋谷駅前のバスターミナルの風景を見ていて、なかなかの壮観だと思った。そして、ある風景を連想してしまった。広場の中には、20台前後のバスがいる。ほとんどは、銀色の東急バスだ。けばけばしい広告ですっぽりと覆われている都バスと違って、ユニフォームの集団のような、整然とした美しさがある。その銀色のバスが、あちこちの停留所から次々と出発する。それらは、ある1点、広場の出口に向かって、お互いに譲りあいながら集合して来る。ボトルネックとなっている広場の出口を通過すると大きな交差点に吐き出され、広い道路を遠ざかって行く。1941年12月8日は、太平洋戦争の幕開けとなった真珠湾攻撃が行われた日。これを実行した日本海軍の機動部隊がその前月26日、択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾から出撃したときの光景は、これとはだいぶ違うものだろうが、時節柄、連想してしまったのはこれである。
多数の軍艦が集結するのに適した場所は、そうやたらにはないだろう。地形、水深、海象、目的地との関係などいろいろとあろうが、真珠湾を目指す艦隊にとって択捉島の単冠湾は、これらの条件から見て絶好の場所だったのだと思う。それともう1つ、ここが辺鄙な場所で、集結した艦隊が見つかりにくいということも、大きな要素であったに違いない。
単冠湾の辺りが昔も今も人家の少ない辺鄙な場所であるということは、5万分の1地形図「単冠湾」から読み取れる。現在刊行されているこの地形図は、通常の地形図と違って、昔と今という2時点の状況を表しているのである。やや厳密にいうと、昔とは1922(大正11)年、今とは1990(平成2)年のことである。
ここに掲載した地形図が発行されたのは、1992(平成4)年8月1日。同じような5万分の1地形図がこの日、北方領土の全域にわたって発行された。約1年前に発行された地形図の修正版である。歯舞諸島と色丹島については1991(平成3)年6月1日、国後島については同年7月1日、択捉島については同年8月1日、戦後初の北方領土の5万分の1地形図が発行された。終戦後それまでは、これらの地方の地形図は発行されていなかったのである。
国土の全域にわたって正確な地形図を作成し、公開するということは、国家の測量・地図機関の責務である。少なくとも先進国なら、どこの国でもそうだ。我が国の国土地理院も当然その責務を負っているわけだが、北方領土に関しては戦後長い間、地形図を刊行していなかった。もちろん、現実問題として北方領土へ出かけていって、測量をすることができなかったからである。
その事情に変化はなかったが、自国の領土の地形図を刊行しなくてよいのか、という議論が、国土地理院の中で持ち上がった。そして、不満足なものでも仕方がないから、北方領土の地形図を作成し、刊行しようではないかという結論になった。そのような意思決定の中に、私もいた。その結果刊行された地形図は、大正時代に作成された地形図の復刻版だった。ただし、行政区画などは修正した。
しかし、大正時代の地形図の焼き直しではあまりにも情けないという思いは当然あったので、約1年後にここに掲載したような地形図を発行したのである。この地形図は、大正時代の地形図を褐色で描き、当時のほぼ最新の人工衛星画像で認められた道路、建物などの構造物を黒色で加刷したものである。また、地形や植生を人工的に大きく変化させているところは、薄く黒色の網をかけ、水面は水色にした。通常の5万分の1地形図は4色刷りだが、北方領土のものは3色刷りという珍しいものになった。
ここに掲載したところは、南東方向に開いた単冠湾の西側の付け根のところである。地形や植生が大きく変化した地域に大きな飛行場があり、大正時代の地形図には描かれていなかった建物が散在している。黒色で描かれているこれらのものは、前述のとおり、人工衛星画像で認められたものである。褐色で描かれている小さな建物は、人工衛星画像では確認できなかったものなので、大正時代には存在したが、いつの日か廃屋となってしまったものだろう。
大正時代に単冠湾の入口に小さな集落があり、何軒かの建物が点在していて、そこには学校もあったということ、また、それらが現在は消滅しているということは事実であろうが、地形図はその間の経緯を伝えてくれない。真珠湾へ赴く艦隊が集結したとき、そこに住民はいたのだろうか。日本軍は、情報漏洩には神経を尖らせていたであろうから、住民がその様子を見ることができたのかどうかは疑問である。
人工衛星画像で認められた飛行場や道路や建物は、ロシア(ソ連)人が作ったものだろうか。何のためにとか、現在どのような使われ方をしているのかとかということは、他の手段で分かることがあるかもしれないが、地形図からは分からない。こう見てくると、地形図から得られる情報は、非常に限られたものである。しかし、そこに描かれているものは、動かし難い事実なのである。
国土地理院は、本来なら北方領土についても、他の地域のように2万5000分の1地形図を作成し、刊行すべきなのである。しかし、2万5000分の1地形図は、現在のところは航空写真と現地調査結果に基づいて作られている。この地域で測量用の航空写真を撮影することも現地調査をすることもできない現状では、今すぐに2万5000分の1地形図を作成するのは無理である。しかし、人工衛星を利用した測量技術もどんどん発達しているから、近い将来に、不十分なものながらも2万5000分の1地形図が発行されることがあるかもしれない。
いずれにしても、北方領土問題が解決すれば、航空写真撮影も現地調査も実施できて、2万5000分の1地形図が何の問題もなく作成されるのである。その日が来ることを願わざるを得ない。もちろん、平和的にそれが実現されることを。

NONOの目

デザイン・福田繁雄
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