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| 小飯塚一也の「世田谷棲息」 December
09, 2004 |
鎮守の森
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家を建てると、人間はどこか宗教的にならざるをえないということに気がついた。あるいは私の場合だけだろうか。
家を確保しなければならない事情に迫られて、当初私は世田谷を出てどこか自然豊かな地域に移りたいと真剣に考えた。インターネットの情報を見ては神奈川各地のほか、静岡の御殿場や真鶴などにまで出かけたし、新聞のチラシなどを頼りに不動産業者に電話をかけたりもした。気を引かれるところもあったがいずれも帯に短したすきに長し。心に迷いが生じたころをついて、オヤジの行動を冷ややかに見ていた妻や息子たちの現実論が勢力をました。結局、少し狭いが、世田谷区代田のいまの土地にという結論になった。
どこか他にと思ったのは、少しは広いところに住めるのではないかと考えたこともある。しかし、それ以上に私の頭にはある想念があった。
祖父がこの土地に居をつくったのは昭和の初めである。それまで住んでいた新宿区四谷から竹薮の里のような首都周辺の農業地域に移ったので、学生だった父は友人から「都落ちした」と言われたという。そういう人物の子孫なのだから、家の立て込んだこの地からさらに緑多い地に移ろうという判断をしても理由がたつ。そう言えば亡くなった母も、「どこかに移りたい」ともらしたことがある。もし実行するならこの機会を逃してほかにはない、と思いが広がっていたのだ。
1月26日、地元の代田八幡の神官に頼んで地鎮祭をした。用意するようにといわれた竹4本と木舞縄、バケツ3杯の土を運びながら頭の片隅にあったのは、ほかの土地へなどという思いが挫折してのちの後ろめたさである。家を建てるなどということをする心細い気持ちでいるとき、土地の安全や工事の無事をお願いするところは他にはない。神官ののりとの「代田の地に……」などというくだりにはより恐縮の思いが募った。
代田八幡は小田急電鉄の世田谷代田駅から坂を下り環状7号道路を横断したところにある。私は、いつも境内を通って駅に向かう。拝殿に一礼をして通るようになったのは、どうもその時からのようなのだ。
時には鈴を鳴らし、「二礼二拍手一礼」という指示に従って拝む。以前は少し気恥ずかしい気持ちがあったが、全くそれがなくなった。このところ毎年、大晦日の夜に時計が午前零時を回ると初詣でをしている。その際はひそかに、「ことしは子供たちが何とかなりますように」などとお願いごとをしてきたが、いまはそんなご利益を求めることもない。ただ頭を下げるだけですっきりする。
朝日新聞に在籍していたとき、宮崎支局に配属されていたことがある。支局の会議で編集局長が県内に来た機会に高千穂神社を案内した。そのときその人が拝殿に向かい手を合わせるのを見て、違和感を持った事がある。しかし、そう感じたこちらがおかしかった。
シントーニアンになったということなのだろうか。
代田八幡の境内には、直径1メートル程のイチョウの大木が2本、参道横にはケヤキが数本並び、サクラの老木もある(写真)。いつも掃き清められて気持ちがいい。1964年(昭和39年)の東京五輪に合わせて環状7号道路が通ったとき、神社の東側境内はその用地になって大きく削り取られた。高校時代毎日通った道だったので、記憶をたどってみるがよく思い出せない。しかし、もっと大きな森だったに違いないと思って数日前、社務所によって「鎮守代田八幡神社由来書」を貰ってきた。
それによると、代田村の鎮守として社殿が建立されたのは1681年(天和元年)。1873年(明治6年)、境内の立ち木を売り払い、石垣、大鳥居、灯篭などを新調していまに残る、という記述があり、その7年後には暴風雨のためスギ、ヒノキ多数倒れ本社殿も壊滅した、とある。関東大震災の被害は軽微だったが戦争ですべて焼け、再建されたのは1958年(昭和33年)である。いまとは比べものにならない森だったことが推察できる。
前回の「のび太の家」でも記したが、私がいま関係しているNPO団体主催の森の問題を考えるシンポジウムには、鎮守の森を守る運動を展開しているNPO法人社叢学会副理事長で都市研究者の上田篤さんも出席していた。その席で上田さんはこう話した。
「鎮守の森の鎮守とは、字の通り鎮め守ることだ。何を守るかと言えば村だ。南北朝時代から250年の戦乱の時代に入る。天皇家でさえ争う。下はめちゃくちゃだ。自分たちで自らを守らなくてはならない。神様を呼んで来て守る要にした。それが鎮守の森だ。国がなくても独立して村を守ってきた」
学生時代から新聞社に入って転勤生活を送っている間、自分が生まれ育った地域にはとんと関心がなかった。神社のことなどになったらなおさらだ。鎮守の森がイチョウの大木が2本とケヤキ数本などになってしまってから、地域と森の存在感を実感している。皮肉なものだ。
日本社会の住人は、大方がこんな生き方を強いられてきただろう。鎮守の森は徹底的に痛めつけられながらそんな社会を眺めてきた。自分自身を振り返りながらそんなことを考えた。
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