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アサヒ・インターネット・キャスター



「亜細亜くいだおれ」 October  12, 2004
絢爛プラナカン

牛嶋さんのイラスト牛嶋 直美
ウシジマ・ナオミ

からだの組成の87%がチューカでできているちゅーか。残りの13%はタイ、ベトナム、インド料理でできてるちゅーか。
バックナンバー サブリナのベイエリア・ママ


マリ・クレールという雑誌でシンガポール・プラナカンの取材をした。

17世紀末にマレーシアやシンガポールにやってきた中国系移民の子孫をプラナカンという。イギリス人支配下で成功を治めた中国人商人が、地元マレー人女性と結婚して授かった子を、マレー語で「その土地生まれの子」という意味のプラナカンと呼ぶようになり、そこから独自の文化が誕生した。

プラナカン文化の特徴は、祖先が生まれ育った中国とマレーの文化が混じっていることだが、それだけではなく、当時その土地で貿易に携わっていたイギリスやオランダ、ポルトガルなど西洋の文化も色濃く影響する。莫大な財力にものをいわせ、当時手に入るあらゆる限りの贅沢をつくして、世界中からお取り寄せを敢行したのがその理由とわたしは推測。身近にあった西洋の最新文化は、当時、究極の贅沢だったことは容易に想像できる。

「GATEWAY TO PERANAKAN CULTURE」(ASIAPAC BOOKS)という本によると、プラナカン女性が好む服やアクセサリーのデザインは「他の人がもっていないもの」だという。だから当然、洋服やアクセサリーはすべてオートクチュール。しかしその「好み」はファッションに限ることではないらしく、家から食べ物から食器から、生活に必要なすべてのものを、プラナカン・スタイルという名のもとにオーダーしまくったようだ。景徳鎮で作らせた各家庭ごとのオリジナルテーブルウエアや、ボタン代わり(!)に使っていたダイヤのクロサン(ブローチ)、玄関を飾る重厚なプラナカンドアなど、当時の贅沢の片鱗は、博物館やプラナカン・ショップで見学することができる。

末裔は今もシンガポールにいて、そのひとりが、自分が育った文化を後世に残すべくプラナカン・ショップを経営しているという。シンガポール政府観光局のYさんから、そんな魅力的なはなしをうかがい、わたしは「どんな素敵なおばあちゃんに出会えるんだろう」と、打合せした有楽町の事務所で、すでにドキドキわくわくしていた。

ミントグリーンにピンク、イエロー。鮮やかな色彩をこれでもかと組み合わせたプラナカン・ショップ「ルマ・ビビ」(マレー語で「ビビの家」という意味)は、想像していたよりもずっとずっと、もう「うひゃー」と声が出るほど派手な外観だった。

それは西洋と東洋の建築スタイルとセンスとをミックスさせたかわいらしい民家で、美しい彫刻を施した木製のプラナカン・ドアのある入口は、意外なほどこぢんまり。しかし中へ入ると、京都の町屋造りのように結構な奥行きがあり、外からの印象よりもだいぶゆったりしていた。天井が高いせいもあるのだろう。

店の商品やインテリアを見ながら、(わたしがずっと勝手にイメージしていた)白髪の小さなおばあちゃんを探すが、残念なことに店内をくまなく探してもおばあちゃんはどこにも見当たらなかった。きっと奥の事務所で豪華な民族衣装に身を包み、ちんまり座って待っているに違いない。とりあえず、さっきから店の女の子にあれこれ指示している責任者らしき女性へ向かって「こんにちは〜」とカジュアルに挨拶をすると、そのキビキビとしたマダムが「ようこそ。わたしがビビです」と名乗った。うは! なんだなんだ、おばあちゃんじゃないんじゃん。

わたしの思い込みも無事に解け、ビビさんからプラナカンについてのはなしを聞いた。この日彼女が身につけていたのは「これが民族衣装?」というくらい、モダンなデザインの洋服だった。多国籍の民族が同居し、宗教によって衣装もそれぞれ個性的なシンガポールである。いわれなければ、それがすごく特別な服だとは思わないくらい自然に見えた。それでも、よく聞くとそのひとつひとつが、すべてプラナカンの伝統的なスタイルなのだ。なんだか見るもの聞くものすべて意外な驚きばかりで、ウキウキの連続である。

ニョニャ・ケバヤというブラウスは、スイスコットン地に手刺繍で花が描かれたもので、驚くほど繊細なデザイン。サンダルは、アンティークビーズを使って、自らひと針ひと針刺して作ったものだという。

サンダルに使用するヴィンテージのプラナカン・ビーズは、ほとんど世の中に残ってないとのことだった。今古いビーズで作品を作るためには、もう使えなくなった古いプラナカン・サンダルをほどいてバラしたビーズを使うしか方法はないそうだ。チェコやベネチア、ウィーンなど、世界中からビーズを取り寄せて試してみたが、プラナカン・ビーズほど小さなものは現在どこでも作ってなく、「やや大ぶりではあるけど、色がきれいだから現在かろうじて愛用」しているのは、日本のミユキ・ビーズとのことだった。「全部手作りだから、ひとつ作るのに2ヶ月かかるのよ」と、制作途中の作品を手に笑った。

現在、ビビさんはプラナカン文化の普及に力を注ぐ。その文化の伝承のひとつは、ビーズワーク教室であり、また家庭料理教室だ。

福建や広東など、中国華南の料理をベースにしたプラナカン料理は、各家庭から生まれて伝承してきたもので基本は家庭料理。すべて母親からら娘に、義母から嫁に、という形で各家庭の中で静かに伝わってきた。シンガポールのレストランで出会うプラナカン料理も、だから宮廷料理のような色鮮やかで豪華なメニューでは決してなく、野菜をふんだんに使った煮込み料理や揚げ物などのお惣菜がメイン。プラナカン料理は今回初めて食べたが、香港で家庭料理を日常的に食べている舌には、とても懐かしい味がした。



 

写真左上から:ため息が出るほど美しい色合いのニョニャ・ケバヤ。ビビさんのコレクションなので、これは非売品。

これがプラナカン・サンダル。実際にビビさんが愛用するもので、ソールもビーズもアンティークを使用したもの。つまさきが丸く、ウェッジソールのものは、当時のデザインそのものだとのこと。

ニョニャウエアと呼ばれるプラナカンの食器類。パステルカラーを組み合わせた独特の色合いが特徴。香港のキャットストリートや、中国でパートの陶磁器売り場でもときどきこれらニョニャウエアを見かける。

プラナカン料理店で出会った湯葉巻き揚げ。プラナカン料理と改めていわれなければちょっとわからないくらい、わたしには広東料理な一品でした。(ブルー・ジンジャー)

プラナカン文化に出会える店

Rumah Bebe(ルマ・ビビ)
住所:113 East Coast Road, Singapore
電話:6247-8781

その昔、プラナカンの人々が多く住んでいたカトン地区にあるプラナカンショップ。1階がショップで、プラナカン・サンダルやニョニャ・ケバヤ、クロサンなどが店内に並ぶ。建物自体がプラナカンの美術品状態。入口のドアや商品が載っている棚、床や壁にあるタイルの一枚一枚が貴重で、まるで博物館に来たようなドキドキ感あり。オーナーのビビさんがプラナカン料理のレシピを提供している料理本も手に入る。


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