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アサヒ・インターネット・キャスター



「欧州どまんなか」 October  12, 2004
肉体という牢獄

美濃口氏の写真美濃口 坦
ミノクチ・タン

1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)
バックナンバー 田村正人の「NY流行りもの」


友人からのメールをあけると「、、そういえば、イエリネクさん、一冊も読んだことがないんです。どの本がおすすめですか」とある。こんなことを質問された私は、正直なところ、赤面する。というのは、今年度のノーベル文学賞受賞者・オーストリア女性作家のエルフリーデ・イエリネクの本を私は最後まで読んだことがないからである。

前世紀70年代に親しくしていた女性が彼女の作品を読んでいて、私も読みかけたが、20頁ほどで放棄。その後も彼女の作品に何度かトライしたが、いつも途中でやめてしまった。今回スウェーデン・アカデミーは授賞理由として「豊かな音楽性を持つ多声的な表現で描いた小説や戯曲」と書いている。私が彼女の作品の中に入りにくいのは、自分が外国人でドイツ語ができないために「豊かな音楽性」も「多声的表現」もキャッチできないためかもしれない。

彼女の作品は性の問題をテーマにすることが多い。それもどちらかというと女性論的立場からで、そのために作品が「男性社会」のオジンのマッチョを憤慨させるスキャンダラスな話ということになる。こうして話題になると、一度読んでみようという気になる人もいるだろう。でも、多くの人は買って読みはじめたものの、途中で投げ出すのではないのかと思う。昔から誰かに家に招待されると、本棚を眺めるのが私の趣味である。彼女の本が一冊だけ本棚の隅っこにあるのを私は何度か見たが、最後まで読まれた形跡がなかったような気がする。

イエリネクさんはウィーンの国立音楽院でピアノと作曲を勉強した。音楽学校に通う女性はいいところのお嬢さんというイメージがある。彼女について多く人が抱くイメージはこの「お嬢さん」である。これは作品のスキャンダラスな性格を強め、挑発的になるので、出版社の販売戦略に合致する。

もう若いとはいえない彼女が髪の毛を三つ編みにして若作りにしているのも、田舎(=オーストリア)の「お嬢さん」の挑発が、イエリネクさんの社会との関係の仕方だからである。一度有名になった作家は簡単にモデルチェンジができないし、また世論も(イメージに合わない発言を彼女がしても恐らく無視したりして)それを許さない。

今回の受賞について、彼女が「もちろんうれしい。そうでないといえば嘘になる。でも喜びより絶望を感じる。賞金を楽しんでつかえて面倒なことにならなければいいのに」とか、ノーベル賞・授章式に出席しないとかいった発言に多くの人が彼女らしいと感じるのも、このイメージのためである。

80年代に書かれた「ピアニスト」は自伝的要素が強い小説である。私は出版された当時、かなり長い間辛抱して読み続けたが、本をどこかに置き忘れて結局放棄。数年前にこの小説が映画化されたので、私は気のすすまない妻を説得して映画館へ行った。昔気がつかなかったが、本当はやりきれなくなるような悲しい話である。

主人公の中年の女性はウィーンの国立音楽院・ピアノ科の教授で、元ステージママの母親といっしょに暮らしている。彼女は母親の願望を自分のものとしてピアノひとすじの人生をおくる、厳しいが有能なピアノの先生である。音楽院と母親が待つ自宅を往復するのが彼女の表の顔である。

ところが、彼女に別の顔がある。それは、セックスショップにあるピ−プショーのキャビンに入り、紙くずカゴから使用済みの紙を取り出してその臭いに恍惚感をおぼえたり、車の中の性行為を見て性的絶頂感に達したりする彼女である。

このような彼女を見て日本人ならキリスト教臭いセックス観を感じるかもしれない。それは、肉体は牢獄でその中に「本当の私」が閉じ込められているという考え方である。牢獄の扉を開ける鍵は性的興奮を呼び起こす物語である。

このピアノ先生が性的に興奮する物語とは、第三者の性行為の場面で、自分が主人公にならない以上、これは救いようのないことになる。彼女は洗面所でひそかに自分性器の一部をカミソリで切開して出血するが、これは肉体という牢獄に閉じ込められた「本当の私」を解放する象徴行為である。

このような彼女の前に男性が出現する。彼女のピアノの生徒のスポーツマンで、彼は彼女に恋愛感情を抱いてくれる。ところが、彼女はこのチャンスを生かすことができない。自分が性的に一番興奮するサドマゾ物語を詳細に書いてその青年に渡し、実行してくれることを望む。(私なら協力するだろうが)、美男子のこの青年はかえって腹を立てて、彼女に屈辱をあたえる。

こうして彼女はこの青年と知り合う前の状態にもどる。最後に彼女はカミソリのかわりにナイフを自分の胸に突き立てて出血するが、これは肉体という牢獄を開けようとする象徴行為しか彼女に残されていないためである。

以上が、私が理解した今年度ノーベル文学賞受賞者・イエリネクさんの世界である。いろいろと考えたら面白い問題が含まれているかもしれない。でも私のコラムにここまでつきあっていただいた読者には、私が彼女の本をなぜ読了できなかったかが理解していただけるのではないのだろうか。



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