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アサヒ・インターネット・キャスター



「欧州どまんなか」 November  23, 2004
憲法による世直し運動

美濃口氏の写真美濃口 坦
ミノクチ・タン

1970年から京都ドイツ文化センター勤務。1974年ミュンヘンに移住。1980年から1991年まで書籍販売業。人生の大部分を通訳、翻訳、教師等で日銭を稼いで生きてきた「フリーター」先駆者。この数年来、日独のメディアに寄稿。訳書「比較行動学」(アイブル=アイベスフェルト)
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日本では護憲を旗印にしていた政党が選挙のたびに弱くなり、現在憲法改正の機運が強まっているそうである。

昔私が日本で暮らしていた頃も改憲と護憲の対立があった。当時の私には、議論が憲法改正で世直しをしたい保守派と、「改正したら戦争になって世の中が終わる」と主張する終末論者の対立のように思われた。

憲法改正によって世直しができると思うのも、また第二次大戦前の軍国主義的日本にもどることを心配するのも、憲法に対する過剰な期待ではないのか。お互いに対立しているつもりの改憲派と護憲派が本当は仲良くいっしょに憲法に対して過剰な期待をもっている。この光景に私は当時胡散臭い気がした。どうして憲法の文句が変わると世の中のほうも変わると考えるのか。

まず世直し保守派であるが、どうして彼らは、憲法改正で小生意気になった女性が素直になったり、また日本人の多くが私利私欲を追求しなくなったりするなどと考えるのであろうか。この点が当時私には理解できなかった。

日本は国連加盟国であり、また無数の国際条約を調印・批准し、国際法を遵守する義務を負っている。こうして国際機構に組み込まれてその行動もすっかり制約されている日本が、どうして憲法の文句を変えたくらいで、戦前の軍国主義国家にもどることができるのだろうか。日本国民全員がそうなりたいと思っても、国際社会のほうが許してくれない。それなのに奇妙な心配をするのは、自国が戦争に負けた現実を、心の中のどこかで認めたくなかったからではないのか。父親が倒産して借金を残したが、二代目の息子は借金でがんじがらめになっていることを考えたくない。当時の護憲派の心理はこの息子と似た話である。

その後、私はドイツで暮らすようになる。この国は「基本法」と呼ばれる憲法を制定して以来、何十回も改正した。改正にあたっていつも議論になるが、それはあくまでも条文の改正で、日本のように「世直し派vs終末論者」の対立にならなかった。私にはこの点をよくうらやましく思った。

ドイツの憲法には以前、亡命条項があって、政治的亡命者は保護を受ける権利があった。申請すると審査が何年も続き、その間生活保護が給付されたので、「経済難民」と呼ばれてもよい外国人がひところ毎年数十万人単位でこの憲法条項を利用した。

この条項の改正にあたって激論がかわされた。なかには自国が戦前のナチ国家に逆戻りすることをおそれる声が聞こえないことはなかったが、それはごく一握りの奇矯な人々にとどまった。

東西ドイツ統一のときに新生ドイツにふさわしい新しい憲法の制定を要求する声があったが、憲法による世直し運動はドイツでは広まらなかった。憲法を新たにつくることは、既存の法律との整合性を考慮しなければいけない以上、面倒なことで、散髪屋に行くのと違う。この国でこんな要求を年がら年中する人がいたら、法律関係出版社の廻し者とみなされかねない。

統一後、東ドイツの元市民運動家から、「労働(仕事)をする権利」を憲法に盛り込むべきだという要求が出されたが、大多数が反対。というのは、国家がこの条項で雇用の保障義務を負ったら、社会主義経済体制になること。次に、この条項が権利・義務関係の規定でなくて、ドイツ国民の願望の表明に過ぎず、この憲法条項によって雇用が生まれるわけでないというのが、当時の反対論拠であった。

日本のメディアで「XX憲法私案」といった類の表現に出合うと、私は明治の自由民権運動を思い出して笑ってしまう。日本には多く欧州諸国に匹敵する近代法運用の長い伝統があるのではないのか。それなのに、どうして今さらそんな面倒臭いことをはじめるのかが私には理解できない。

これは私が昔から抱く疑いであるが、世直し運動家が面倒臭いことを面倒に思わないのは、憲法を法文でなく、日本国民の願望表明であるか、あるいは国家レベルでの標語集のようなものと考える傾向があるからではないのか。憲法を権利・義務関係の規定であるとか、またその違反が制裁対象になるルールであるといった意識が多くの人々に希薄なのではないのか。「解釈改憲」もこのような精神風土にのっかって進行してきた。

現代社会で政治家が直面する問題は複雑である。それを理解し解決案について判断を下すためには勉強をしなければいけない。反対に憲法論議のほうは誰もが参加できる。憲法による世直し運動とは、不勉強と無能から何もわかっていない政治家にも活躍するチャンスをあたえるためにあるのではないのか。

憲法に対する過剰な期待がある限り、改正は立法行為でなく、世直し運動である。日本国民は、政治家に対し、山積する難問への内容ある論議を求めるべきで、こんな掛け声だけの世迷いごとに耳を傾けるのは時間の無駄である。



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