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アサヒ・インターネット・キャスター



竹信悦夫の「ワンコイン悦楽堂」 December  03, 2003
バカの壁
養老孟司  新潮社 /2003年/元の定価680円+税


イラスト

竹信 悦夫
タケノブ・エツオ

1976年朝日新聞入社。支局、社会部、外報部、カイロ、ニコシア、シンガポールで特派員。休刊した英字紙のデスク、やはり休刊の英文誌編集長、翻訳センター編集長、総合研究本部研究員を経て現在は速報センター員。
著書に「英字新聞がどんどん読めるようになる」(光文社、2000)。共同執筆した著書に「コンサイス人名辞典外国編」(三省堂、1976)、「湾岸戦争の二百十一日」(朝日新聞社、1991)など。

バックナンバー やべ心得堂の「読んだつもり」


本の表紙
かつて読売新聞の記者として活躍された金森トシエさんの近著「金持ちよりも人持ち・友持ち」(ドメス出版、2003年、元の定価2000円+税)を読んでいたら、こんな話がありました。

金森さんは、新聞社に30年間勤務したあと、神奈川県立かながわ女性センターの初代館長としてさらに10年間職業生活を続け、その間に娘さんが結婚し、夫は病死。17年間2人で暮らした母親を約3年間の介護のすえ見送った。亡くなる9年前の冬、80歳だった母親に、突然血尿が出て腎臓の摘出手術をした。

「幸い順調に回復し無事退院したとき、鎌倉は桜満開の季節になっていた。タクシーから降りて、並木の道に立ち桜を見上げて母がしみじみとした口調で言った−−「生きていて良かった」。母は泣いていた。母が亡くなってからしばらくの間、私は道を歩きながら、涙をこぼすことがよくあった。鎌倉の街には母との思い出が多すぎたのである。」(同書93ページ)

簡潔な書きようですが、印象に残るエピソードです。
一緒に暮らす年老いた母と、老いの入り口にさしかかった娘の間で、口に出す言葉は少なくとも、多くの感情が交わされている。

こんな話を引き合いに出したのは、本年度屈指のベストセラーである「バカの壁」に、桜の話があったのを思いだしたからです。

「「話せばわかる」なんて大うそ!」というコピーの帯のついた本書を手にした人は多いでしょう。

著者自身が説くタイトルの意味は、

「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。」(4ページ)

というしごく当たり前の話なのですが、タイトル全体に痛快な響きがあり、よく売れた。
私は、例によって近所の新古書店に出回るのを待って手に取りました。100円棚に回る手前の棚で250円。

著者は、東大出版会の理事長だったとき、そこで出版している本のなかで「知の技法」(小林康夫・船曳建夫編、1994年、元の定価1500円+税)が、よく売れたのが気に入らなかった。「何でこんな本が売れやがるんだ」と思ったという。
自分が代表をつとめる組織で出している本がよく売れるのがうれしくない、というのは、あまり素直でないような気がしますが、ともかくこのことがきっかけになって、「知るということの意味」について、考えた。

「その後、自分で一年考えて出てきた結論は、「知るということは根本的にはガンの告知だ」ということでした。学生には、君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話してみます。
 この話は非常にわかり易いようで、学生にも通じる。そのぐらいのイマジネーションは彼らだって持っている。
 その桜が違って見えた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。多分、思い出せない。では桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るというのは、そういうことなのです。
 知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう」(60ページ)

同じ桜の話でも、こちらは金森さんの文章のようには、すんなり頭に入ってこない。
なぜでしょう。

私は、ひとつひとつのセンテンスが、文法的に正確さを欠くうらみがあり、、舌足らずになりがちなせいだと思います。

例えば
「知るということは根本的にはガンの告知だ」
という文だけを取り出してみると、はあっ?てなもんですね。

「知るということ」=「ガンの告知」

では、日本語の文として、意味をなさない。
しかも「根本的には」という副詞句があるから、よけい混乱する。

でも、前後を読めば、著者の伝えようとするところが、何となく分かったような気になります。

こういうことって、日常的な会話の中でよく経験しますよね。
一つ一つの文は、不正確な事実や曖昧な記憶がもとになっていて、論理もいい加減なのだけれど、話し手同士でいろんな共通理解があるために、容易に了解できてしまう。落ち着いて考えれば、無茶苦茶な話のはずなのに、話の流れの中では、なるほどと思い、相づちを打ったり、納得したりする。あれです。

本書は、新潮新書のために著者が独白を続け、それを編集者が文章化してできあがった、と冒頭に著者自身が説明しています。

大学の先生がゼミ合宿かなんかの折りに、教え子たちを相手に機嫌良く放談することがありますね。

先生の方も、サービス精神から、あんまりよく知らないことでも引き合いに出してみたり、ちょっと強引に決めつけてみたりする。
ま、そんな趣向と思えばいい。

「自分の文章ともいえるし、他人の文章のようでもある。(中略)いってみれば、この本は私にとって一種の実験なのです」ともいっています。

で、果たして、実験は成功したのか。

売れ行きを見れば、文句なしの大成功だったといえるでしょう。
大部数の新聞などの書評でもおおむね好意的だったように思います。
でも、一般読者の評判は、必ずしもいいとばかりは言えない。

例えば、ネット書店の中にある読者による書評「カスタマーレビュー」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4106100037/customer-reviews/ref=cm_cr_dp_1_1/250-2099880-5086620
を見ると、厳しい感想がたくさん寄せられています。

立ち読みで十分とか、大枚をはたいて取り寄せたがすぐに手放したとか、これまでは著者のファンだったけど、本書にはがっかりしたとか、著者風に言えば、「何でこんな本が売れやがるんだ」と思う人が、けっこういる。
批判的な読者のレビューを読むと、レビューの書き手がよく承知している分野について、不正確な記述だ、との指摘が目につきます。

私自身は、脳をめぐる知見など、自然科学や医学などよく知らない分野が多いものだから、面白く読め、得るところが多かった。

例えば著者は、第2章で、脳内一次方程式というモデルを提示しています。

y=ax

というもので、xは入力、yは出力をあらわしている。
脳に入力された情報xに対し、脳の中でaという係数をかけて出てきた結果、yという反応が起きるということですね。
aという係数は、「現実の重み」なのだという。
この一次方程式で、行動のたいていのことは説明できる、と著者はいう。

ここで問題になるのは、a=ゼロの場合。
つまり何を入力しても、出力がない。つまり行動に影響しない。

その例として著者があげるのが

1)出産の様子を撮影したビデオを見たときの男子学生
2)アラブや世界から批判されるイスラエル
3)イスラエルからの主張に対するアラブ側
4)おやじの説教を全然聞かない子ども

などです。
逆に係数aが無限大になると、ある情報、信条がその人にとって絶対のものとなる。
その例としてあげるのが

1)尊師が言ったこと
2)アラーの神の言葉
3)聖書に書いてあること

がすべてを支配する、と考える人たち。

国際政治や宗教に拡張すると、単純化がゆきすぎてトンデモ本のように読めてしまうのですが、ここは一般に流布されているイメージに基づいて、一種のたとえ話をしているのだと解しておきましょう。

ところで私なりの理解ですが、一次方程式というなら

y=ax+b

としたほうがいいモデルになるのではないかな。
bは、それぞれの人の過去の経験や世界観です。

本書は、なにぶんにも、一人でしゃべったものを文章にしたものですから、スキだらけなのは確かです。
その結果、多くの読者を獲得する一方で、反発したり異議を唱える読者が、次々と出てきた。
でも、著者は、最初からちゃんと予防線を張っていました。

「この本の中身も、世間のいう正解とは違った解をいくつも挙げていると思います。でもこの本の中身のように考えながら、ともかく私は還暦を過ぎるまで生きてきました。だからそう言う答えもあるのかと思っていただければ、それで著者としては幸福です。もちろん皆さんの答えがまた私の答えと葉違ったものであることを期待しているのです。」(5ページ)

つまり厳しいレビューを書いた読者は、著者の期待に応えたことになるわけです。
これこそどんな批判もはねかえす「賢者の壁」ですな。



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