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| 矢部 万紀子の「代理心得堂」 October
13, 2004 |
熱情
辻和子
講談社 本体1500円 |
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矢部 万紀子
ヤベ・マキコ
学芸部、AERA、週刊朝日、uno!の記者、AERA副編集長を経て、週刊朝日副編集長。週刊朝日時代に、松本人志「遺書」「松本」などの連載を担当。 |
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|バックナンバー|
竹信悦夫の「ワンコイン悦楽堂」
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田中角栄の二号さんが書いた本だ。「二号さん」とか「お妾さん」とかって、死語っぽいなあ。「愛人」ってのも「テレサ・テン」の歌でしか聞かないし。「不倫」とかいったりしたりしてる女子も、生活基盤はほかに持ちながらだろうし、なんちゅうか、生活よりレジャー寄り? この本を読みながら、そんなことも考えた。
著者の辻和子さんの紹介を本の帯から引用すると、「東京・神楽坂の超売れっ子芸者が、角栄に見初められ、人生を共にすることを決意。二男一女をもうけ、誰よりも身近で寄り添ってきた大宰相との日々と女の意気地を語る!」と、なる。
いろいろおもしろい本だった。わたしがふーんと思ったのは、大きく二つのこと。
その1 和子さんの「無念の記」に読めるということ。
その2 田中真紀子さんという娘の「執念」。
まず、その1のほうから説明すると、和子さんが何度も書いていたのが、「自分は踊りが好きだ」ということ。芸妓置屋で育ち、芸者になった者として、普通の結婚をして、幸せな奥様になろうと思ったことなどなかった。踊りが好きで、それを極めるにはお金もかかる。だから旦那さんも必要だろう。そうは考えたけど、芸者を引く(やめる)ことは考えなかった、と。
むろん、「お父さん」(角栄氏のことを、彼女は一貫してこう書いている)と出会い互いに好きになっていった日々から始まり、「ラブ」のことも書いてある。でも、わたしには和子さんが「ジョブ」への未練を今もまだ引きずっているのが痛々しかった。彼女は戦前生まれ(昭和2年)の女性にしては珍しく、「ジョブ」の人なのだ。女のジョブでまわっている神楽坂で育ったからかもしれない。なのに、角栄氏がそれを認めなかった。
彼女が長男を産んでまもなく、昭和30年につけた日記が掲載されていて、とても興味深い。そこにこうある。
「二月十九日 晴 私は、本当に踊りが好きです。一日中、踊っていても飽きません。でも主人に、自分が踊るより、見る方になれと言われ、あっそうかなと考えさせられました」
当時は「あっそうかな」と考えたけど、77歳の年に本を出すにあたり、何度も踊りへの思いを繰り返す和子さん。罪深し、角栄。
その2に話を転じると、文中、けっこう真紀子さんが登場する。和子さんが直接会っている場面は少ない。「本宅」に直接出入りすることは決してしないのだ。
鮮烈なのが、和子さんの長男・京氏が4歳のとき、角栄氏の父と初めて会う場面。和子さんはおじいちゃんだけだと思って、指定場所へ連れて行く。とそこには親族がそろっていて、真紀子さんもいる。おじいちゃんが「おまえが京ちゃんか、こっちへおいで、おーよしよし」と抱き上げた瞬間、真紀子さんがワーッと泣き出す。和子さんは動転し、京ちゃんを引ったくるようにして抱きかかえ、そのまま走って帰ったという。真紀子さん当時、10歳か11歳。
彼女が「越山会の女王」に並々ならぬ対抗心と嫌悪を持っていた、などという話は「真紀子バッシング」のなかでよく語られていた。なんでなのかなあ、天下の角栄に愛人くらいいるわなあ、と思っていた。だけど、この本から伝わるのは「まっすぐ家に帰って来ない角栄」「角栄の外の子ども」への嫌悪というか拒否感を、小さな頃から持っていた真紀子さん像だ。「三つ子の魂百まで」というのは、あまりに凡庸なまとめなのだけど、「ふーん、執念の人なんだなあ」と思ったのでした。
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