|
国破れて山河あり。だが、国破れて治安あり、とはいかないようだ。
イラクもアフガニスタンも、治安で苦しんでいる。治安が回復しないことには再建は難しい。それが占領を長引かせ、また治安を悪化させる。
その点、敗戦後の日本は幸運だった。疾風怒涛(しっぷうどとう)の時代には違いなかったが、治安を保つことができた。それによって経済の土台も固まり、成長の土壌ができた。7年近い占領期、占領軍に対するテロは一つもなかった。日米両国は大量に殺戮(さつりく)しあった勝者と敗者の関係を「信頼と和解」(サンフランシスコ講和条約)の関係に発展させた。
ブッシュ政権のネオコン(新保守派)は、この「成功物語」をモデルにイラクと中東の民主化ドミノを夢想した。彼らは、時と場所の違いを無視し、成功例をつまみ食いしようとして、失敗した。そこに重大な問題があったにしても、戦後の日米関係のありようは、戦争の荒廃から新たに国づくりに歩み出す国々に貴重な示唆を与えるに違いない。
中でも、市民社会の果たす役割の大きさ、である。
このほど東京で「紛争後の国際関係修復におけるフィランソロピー(慈善事業)とシビル・ソサエティ(市民社会)の役割・戦後日米関係の修復・発展に学ぶ」(日本国際交流センター主催)と題する国際会議が開かれた。
そこでは、戦後の日米間の相互理解や知的交流の面で米国と日本の市民社会が果たした役割に光が当てられた。
とりわけ米国の財団が、日米双方の政策研究と政策対話を促進する上で貢献した。45年から75年までの30年間に、ロックフェラー財団、フォード財団などの財団は日本の大学を中心に人文科学、社会科学の分野で約3500件(当時の金額で5300万ドル)にのぼる助成を行った。
それだけの事業ができたのは、日本側にパートナーがいたからである。当初、中心的役割を果たしたのは、明治以降の日本の最大最高の篤志家、渋沢栄一に連なるリベラルな経済人や研究者たちだった。中でも松本重治がジョン・D・ロックフェラー3世と協力して設立した国際文化会館は「米国の財団による組織創設に関する支援の金字塔だった」(山本正日本国際交流センター理事長)。
この間に蓄積された政策研究と政策対話は、実際にそれらがどの公共政策にどれほど影響を及ぼしたかということもさることながら、市民が公共政策を提言し、政策決定過程に直接入力していくことの重要性を日本社会に認識させた点で意義深かった。市民もまた「公務(パブリック・サービス)」を担いうるのであり、それに対する責任も持つのである。「公務」は官僚の独占物ではない。
もっとも、財団をはじめ米国のフィランソロピーにとっての今日的な課題は「自らが提唱する価値観を米国社会がどれだけ実践しているか」という点にある、とスーザン・ベレスフォード・フォード財団理事長は言った。世界に反米主義が広まる中、米国の置かれた難しい状況を念頭に置いての発言であろう。同氏は、財団活動には「大義(レジティマシー)と謙虚さ」がこれまで以上に求められるようになったと付け加えた。
日本でも対外政策の立案と実施の両面における市民社会の役割の重要性が認識されつつある。環境、開発、教育、難民、人道支援、さまざまな分野で国際的に活躍するNGO(非政府組織)も登場しつつある。しかし、それらを支えるべき財団が財政的、行政的に十分独立していない。政府の政策に対して対案を出す力のあるシンクタンクも少ない。NGOと政府との間で真のパートナーシップが生まれにくい。
それでも、日本の戦後の民主主義が分厚い市民社会を育ててきたことは間違いない。日米の「信頼と和解」の芯は、彼らの世界への関心と改革への志が、米国の市民社会のそれと共鳴し、協同して形作ったのである。
そうして育んだ戦後経験を、NGOや財団や大学やメディアなどの市民社会が、国づくりの現場で相手のニーズに応える形に翻案し、出直しへの情熱を分かち合いたいものである。「大義と謙虚さ」を心に刻みながら。そしてまず何よりも、相手への心からにじみ出る人間的な関心と気づかいを持って。
山本正理事長は70年に日本国際交流センターを設立して間もない頃、ジョン・D・ロックフェラー3世に尋ねたことがある。
「フィランソロピーの本質とは何でしょうか」
ロックフェラーは答えた。
「それはCARE(関心・気づかい)だよ。タダシ、CAREなのだよ」
(2004/10/14)
|