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小泉純一郎氏が首相になってもう2年8カ月にもなる。あのころ街に出れば「純ちゃーん」と声が飛んだ。「なんてったってコイズミ」なんて小泉さんも鼻歌を歌ったりしていた。構造改革! しばらく経済成長はゼロ、いやマイナスになるかもしれないけれど、恐れずひるまずとらわれず、改革の痛みに耐えて世の中をよくするんだ。わが国民はわきたっていたといっていいだろう。
だが、自民党をぶっ壊すと言ったけれど、どうもぶっ壊れた様子はない。自民党を変える、日本を変えるとも叫んだけれど、そんなに変わった感じもしない。それどころか何だか世の中はせちがらくなり、きなくさくもなって心配になる。小泉さんの夢、小泉さんに託した夢はこんなものだったのか。小泉さんはもうひと踏ん張り、来年はよくなるのかしら。たぶん日本の人々はそんな不安不審のなかで年の瀬を迎えた。
一体、小泉改革は進んでいるのかいないのか。どれだけ成果が上がったのか、ほんとに芽が出て大木になるのか。いつまでも辛抱していられない。そろそろ中間テストしていい時期である。
例えば小泉さんは「道路公団の民営化だって郵政民営化だって、私の前はそんなことだれも言っていなかったでしょ。いま自民党はそれを認めているでしょ。自民党は変わったでしょ」と口をとがらせる。それは確かにそうかもしれない。意識の変化は重要である。だが、実際には何一つ具体化したわけではない。小泉さんに期待すればこそ、そんな程度で自慢しないでよといらいらする。
「小泉さんは起承転結の起だけ言う人なんだ。だれかが承転結を受け継がなければ物事は進まないんだね」
道路公団の民営化推進委員会委員として奮闘した猪瀬直樹氏の言である。この12月、政府が出した案に「こんなのは民営化と呼べる代物ではない」と2人の委員が怒って辞任した。だが猪瀬氏は、なるほど成果は不十分だけれども公団の分割、料金1割値下げなどは実現しそうだ、せっかく獲得したものは獲得しないとねというのである。
「小泉さんは起しか言わないけれども、歴代首相はその起も言わなかったんだから」と猪瀬氏。つまり小泉改革の志はいい、しかしもろもろの抵抗がすさまじい。小泉さんが啖呵(たんか)を切るほどにはできない、しかし3、4割は進む、何もやらないよりはいい。そんな相場観で見よということだろうか。
年金問題しかり、補助金1兆円削減問題しかり、国債発行しかり。何やってんだともいえるし、まあそんなところかともいえる。小泉評価は期待度との関数である。でも小泉さん、あのころ「政治に希望を持ってほしい。政治が変わるかもしれない」とみんなの夢を掻(か)き立てるだけ掻き立てたからなあ。
例えば、来年度予算の国債発行は36兆5900億円で国債依存率は戦後最悪だそうである。今年初め、民主党の菅代表の質問に答えて、国債発行枠30兆円の公約を守れなくとも「たいしたことない」と答弁した。だが、これはいくらなんでも「たいしたことない」範囲を超えている。無残なりライオンヘア。
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なぜこんなことになってしまうのか。「改革はひとつひとつ団体とぶつかりますからね。そしてその支持を失うことになる」と政府首脳はため息をつく。「やっぱり小泉さん一人じゃ改革はできないのよね」というのは自民党の女性職員。政官財のしがらみを切る改革の困難性、動かない現実の重さ、血判をかわすような改革の同志が10人もいればずいぶんできるのに、それがいないから結局は官僚と族議員に丸投げしなければならない弱さ。
かつて中曽根康弘首相が国鉄民営化の全法案が成立した86年11月の日記に「二百三高地がついに落ちた。国労崩壊の前に社会党はなすすべなく茫然(ぼうぜん)たる日々であった」と記したように、郵政民営化の実現する日が来るのかどうか。中曽根氏の改革が陣地戦だったとすれば、小泉改革は遊撃戦である。それが進軍ラッパだけで、だれもついて来ないとすれば……。
猪瀬氏はこうも言う。
「10年前の細川内閣は夢を売った。だが、何も残さなかった。停滞と混乱の失われた日々が続いた。そして小泉内閣が誕生した。人々はまた夢を買う気になった。だが、また夢だけで終わるかもしれない。だから多少の成果でも、残すものは確実に残しておかなくちゃ……」
この1年を見れば、小泉政権は前半はイラク問題で、後半は総裁再選、首相続投戦略に費やした。改革のテーマはなにもかも12月に集中して力及ばなかった。総選挙で一応は勝ったはずなのに、ここで何かが構造的に変わっていくというダイナミズムは感じられなかった。小泉さんに託した夢はただ夢で終わるのか。ちょうど10年になる「改革」と「連立」の苦闘の中で小泉さんはまたひとつ失敗の墓碑を加えるだけなのか。
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10年前、非自民政権をつくった細川護熙さんが振りまいた夢は「日本新党」だった。「政党支持なし層」の力をあわせて、政官財癒着の利権政治を打破せよ。「荒海に漕(こ)ぎ出していく小舟の舳先(へさき)に立ち上がり、難破も恐れず、理想の旗を掲げて」と高ぶったけれども、小選挙区導入を終えてほどなく難破した。
新党さきがけをつくった武村正義、田中秀征氏らの夢は「質実国家」だった。政治的軍事的大国主義をめざすべきでない。日本がいかがわしく卑しい国家になることを恐れる。石橋湛山につながる小日本主義だった。だが、非自民政権から自社さ政権に乗り移る曲芸を演じて、結局はロープから落ちた。
社会党首相、村山富市氏の夢は「人にやさしい政治」だった。折しも戦後50年、日本のアジア侵略の歴史をわびる「村山談話」を残した。だが自民党にかつがれ首相になったがゆえに「自衛隊合憲、日米安保堅持」を打ち出して足元を崩した。自民党政権の復活を許した。
小沢一郎氏の夢は「もうひとつの政権政党」をつくることだった。自民党を割って新生党をつくり、それから新進党をつくって壊し、自由党をつくって分裂した。いままた民主党と合併して夢は続く。小沢氏の賞味期限の長さ、これはすごい。
菅さんの夢は「首相」である。時折の逆風をしのぎ、小沢氏をひき入れて、したたかに夢を追い続ける。
政権レベルの政治家だけではない、社民党の辻元清美さんはNPO(非営利組織)法案の成立に夢をかけて夢はかなった。
この12月、NPO法施行5周年シンポジウムが東京で催された。全国でNPOが1万4千法人に増えたことが報告された。ブナの木を守る会、子ども劇場、スポーツ指導、アジアの子ども支援などのNPO代表が早瀬昇大阪ボランティア協会事務局長の司会で議論した。
その3日後、東京地裁で秘書給与流用事件の辻元被告の公判が開かれた。前衆院副議長渡部恒三氏、そしてこの早瀬氏が情状酌量の証言台に立って、彼女がいかにNPO法成立に努力したか証言した。市民・非戦の代名詞でもあった「辻元清美」は来年2月の判決を待つ。
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橋本、小渕、森の3政権を経て「これが自民党のベストカード」と田中真紀子さんに言わせた小泉さんの夢は何だったのか。橋本氏の財政再建の失敗、一転して景気回復をめざして「借金王」になった小渕氏の嘆き、森さんのボス政治への世間の反発、さらには「加藤の乱」への人々の共感と失望など、すべてをくみ取って小泉氏は国民の前に登場した。
いくら予算をつけても景気は回復しない。やはり構造改革の原点に戻ろう。政官財のしがらみで無駄な予算が使い放題に使われていくのを是正したい。むだな道路をつくるな。郵便貯金を使う特殊法人のむだな仕事をやめろ。「私の内閣の方針に反対する勢力すべてが抵抗勢力だ」と絶叫した。そうだ、その通りだと支持率は80%台に上った。細川氏が発見した無党派層を小泉氏が引き寄せた。日本政治苦闘の10年の結晶として、小泉政権は生まれるべくして生まれたはずだった。
だが、現代政治学の祖マキアベリは言っている。
政治家は、ヴィルトゥ(力量)とフォルトゥナ(運、状況)から成る。自分の中からあふれ出る力で運命の女神の髪をつかんで自分の味方につけなければならない。その髪をつかむ手が離れたとき、政治家は力を失い歴史の舞台から去っていく。
変人首相が抵抗勢力との妥協にかまけて普通の首相になってしまえば、この10年の日本政治の中での小泉さんの歴史的意義が失われる。総裁再選のときに青木幹雄氏と手を結んだ時点ですでに女神をつかむ手は離してしまったのか。政権は長ければいいというものではない。小泉さん、女神を離すな。
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小泉政権は9.11テロ以降のアフガニスタンとイラクの戦争にもかまけすぎた。むろん国際政治の緊張の中で日本を担っていく日々の苦労はわかる。「日米同盟を大事にしないで、どうするんですか」と小泉さんは民主党に反問する。けれども、小泉さんとブッシュ米大統領との交友はどこか情緒に過ぎて、国家理性というべきものが感じられない。いつも「出たとこ勝負」でずるずると来てしまった感をぬぐえない。
イラクへの自衛隊派遣はいくら人道支援を強調しても、米英占領軍のもとに日本の軍隊を送るという形は変わりようがない。万一のことがあったらどうするか、お国のための「名誉の戦死」にどう報いるか、国葬か防衛庁葬か、そんな話が早くもとりざたされているのは確かである。
冗談じゃないよ、お国のためだなんて言ったって家族にとってはともかく生きていて欲しい、「名誉の戦死」なんてしてほしくない。それが20世紀の戦争の辛酸をなめた日本人の、他の国とは違った痛切な原点だったはずである。小泉さんに託した国民の夢もこんなことではなかったはずである。
04年はもう一度、初めから議論し直してほしい。日本政治10年の夢を泥にまみれさせてほしくないから。
(2003/12/30)
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