東京・岩波ホールで見た井上ひさし原作、黒木和雄監督の「父と暮せば」はとてもいい映画だった。
広島で被爆して生き残った娘のところに被爆死した父が幽霊になって出てくる。娘は「父も親友も死んでしまったのだから、自分だけ幸せになってはいけない」と恋をためらっている。幽霊の父は、そんなことではいけない、死んだ者の分も幸せになってほしい、人間の悲しかったこと楽しかったことを伝えてほしいと娘を励ます。
娘を演じたのは宮沢りえ、いつのまにか素晴らしい女優になったなあと感心したものだった。
話変わって、11日の衆院憲法調査会の公聴会で、中曽根康弘、宮沢喜一、武村正義の元首相、元蔵相3氏の話を聞いた。それぞれの「憲法と暮らせば」という58年間の物語のようにも思えた。
海軍帰りの中曽根氏は、占領下でつくられた憲法がなぜこれまで改められなかったのか、「日本国民は食べるのに忙しかった」と語った。新しき平成憲法は、いよいよ「アメリカの温室」から脱却する「国家の正常化」の試みであるとして、中曽根氏は逐条的に改正構想を示した。
中曽根氏にはやはり現憲法は借り着のように思えて、身にしっくりこなかったのだろう。しかし、憲法改正には国会の3分の2の賛成がいる。「大局的見地から妥協力のある柔軟な発想が必要」と説くところに、ぜひとも新調の服をつくりたい改憲の雄の情熱を感じさせた。
一方の宮沢氏は「特別な所見は持っていない」「十分に勉強していないので自信がない」と話を切り出した。おやおやまた斜に構えて!
少壮の大蔵官僚として戦後憲法に接した宮沢氏は「不思議な日本語、バタくさい日本語と感じた」と語った。しかし「50年余りに何億という日本人が生まれ憲法の言葉を自分の言葉として育った」と語り継いだ。宮沢さん、借り着も長く着ているうちに体になじんできたということか。宮沢氏の話をまとめると、なかなか含蓄がある。
▽憲法が内外の変化に対応できていないという意見がある。私も憲法改正に反対という立場はとらない。しょせんは国民の判断である。
▽しかし、いまの憲法の書かれ方でたいていのことは読めると考えたい。むろん限度はある。いまの憲法をいじらなくてもこれからの変化にも対応できると考えたいなあという気持ちである。
▽日本国民はプラグマチックな国民性を持っている。憲法をあまり理論的に硬く考えずに、状況に対応して経験的に解釈してきた。憲法解釈にはそういうことがあっていいのではないか。
▽9条は過去50年余り、けっこう務めを果たしてきた。私は、海外で武力行使すべきではないということが基本でなければならないと思っている。この憲法が21世紀に生きていってほしい。
なるほど宮沢さんは、できれば借り着を直しながら着ていこうよということのようである。下手に新調してミリタリールックにならないようにということか。
自衛隊創設から始まって、PKO派遣、周辺事態法や有事法制、アフガニスタンやイラクへの自衛隊派遣まで、ぼくたちはこれまで事あるたびに「解釈改憲は危ない」「なし崩しの憲法空洞化」などと論じてきた。これに対し宮沢氏は、それでも9条の存在が歯止めになったという「解釈改憲肯定論」ともいうべき立場か。理屈にあうかあわないか、そこはギリギリ我慢してというのは保守主義の知恵というべきだろう。
自民、民主の2大政党が新調の服をつくろうとしているいま、「護憲」とは何か、いわゆる「解釈改憲」は護憲なのか改憲なのか、もう一度かみしめて考えたい。
「父と暮せば」の幽霊の父から「生きている者は死んだ者に生かされているんだ」と励まされ、「おとったん、ありがとありました」と娘は答える。たくさんの戦死者を出したあげくの、わが戦後憲法の思いともつながっているようにも感じられる。
もう58年も着てきた古着だから、そろそろ衣替えだろうというだけでは捨てるわけにはいかない。
(2004/11/16)
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