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イラクで人質になっていたフィリピンのデラクルスさんが解放され、家族はうれしさで大騒ぎだった。本人と電話で話したアロヨ大統領も、満面の笑みを浮かべて記者会見した。今月20日のことである。
ああ、よかったなあと思う。フィリピン国民の喜びのほどもよく分かる。しかし、武装グループの要求を受け入れて軍の撤退に応じた結果とあれば、ただよかっただけでもすむまい。米国は不快感をあらわにし、派兵仲間だったオーストラリア政府もかみついた。「勝利の時だ」と強気を見せたアロヨ大統領だが、内心は果たしてどうだったか。
さて、このことを社説でどう論ずるか。その日、わが論説委員室での会議は意見が大きく割れた。
「人質をとっての脅迫には応じられないと、あの時、結論を出したはずでしょう。フィリピンだって例外ではない。これに応ずれば、犯行グループを勢いづけることになる」
「でも、フィリピンにはフィリピンの事情もある。戦争に大義がなかったことはますます明白だし、武装グループをテロリストと決めつけるのもどうか。反テロだけでは割り切れない」
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それぞれに理由があった。その結果が「アロヨ氏の苦しい決断」という21日の社説だ。フィリピンの対応に賛同はできないが、ただ「テロに屈した」と非難するのはフェアでない。そんな論旨である。社説も「苦しい判断」ではあった。
議論がいささか重苦しかったのは、誰もが3カ月前のことを思い出していたからだ。日本人3人が捕らえられ、自衛隊が撤退しなければ殺害する、と脅された「あの時」のことだ。
イラク戦争も自衛隊派遣も支持した新聞は「テロリストに屈するな」と勇ましかった。だが、朝日新聞はそう簡単にいかない。もとよりこの戦争に大義がないと異を唱え、自衛隊の派遣にも反対していたからだ。
そもそも派遣がなければこんなことにはならなかったはずだ。その後のイラクも各地が戦乱の中にあったから、撤退に理由がつかないわけでもない。だが、果たしてそれを主張すべきかどうか。議論は白熱した。
社説はいつもこんな議論を経て作られるのだが、あの時ほどつらく胸苦しい会議は私の記憶にない。こうして載せたのが「脅迫では撤退できぬ」の社説(4月10日)だった。
イラクの情勢次第では撤退をためらうべきでないが、いまこの脅しに応じるわけにはいかない。問題が多かろうと、法と国会の手続きを踏んで出された自衛隊だ。要求に応ずれば、テロに弱い日本というイメージを広げるし、この手口を誘発して他国にも迷惑をかける。そんな趣旨である。
いまも、これで間違っていなかったと思う。だが、成り行きによっては3人を見殺しにしかねない結論だ。そんな切ない思いから、「犯人よ、殺すな」と呼びかける社説も同時に掲げたのだが、犯行グループがこれを読むとも思いがたい。読者からは「朝日は裏切るのか」といった抗議も届いた。二重三重のやりきれなさを抱え、よく眠れぬ日々が続いたものだ。
人質の無事解放から間もなく、ある席で小泉首相と顔を会わせた。開口一番、「いやあ、本当によかったよ。最悪のことも考えたからなあ……」と、首相はいかにもホッとした様子だった。それはそうだろうと、この時ばかりは深く共感を覚えたのである。
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日本ともフィリピンとも違ったのは6月に韓国を見舞った悲劇だ。軍の撤退という武装グループの要求を韓国政府が断ったため、人質にされていた貿易会社員が殺されてしまった。「僕は死にたくない」と叫ぶ人質のビデオ映像がいまだに目に浮かぶ。
最近、反米感情が高まっているとはいえ、この国には米国に逆らって軍を引くという道がない。朝鮮戦争のとき約5万人もの犠牲者を出して韓国を守ったのは米国だ。韓国もベトナム戦争で米国に付き合って5千人の命を落としたが、それですむという話でもなかろう。
南北分断から50年余、米国は韓国の存立を根底から支えてきた。だから、理不尽な戦争だと思っても、イラクへの派兵は最初から断れなかった。そして日本とは対照的な結末――。社説では「隣国のつらさを思う」(6月24日)と同情を寄せるしかなかった。
そういえばベトナム戦争のころ、フィリピンは米国の戦略的要衝だった。この戦争が終わって久しく、やがて冷戦も幕を閉じて関係が冷えた。フィリピンのナショナリズムの高まりを受け、スービックとクラークの両基地から米軍が引き揚げたのは90年代初めのことだ。9・11の後、再び「反テロ」で結びついたとはいえ、この国の米国への対し方にはどこかラテン的な明るい割り切りもうかがえる。
アジアで三者三様に明暗を分けた人質事件。日本は幸運に救われたが、この先どんなできごとが待ち受けているのやら。社説の試練もまた続いていく。
(04/07/25)
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