瞬く間に群衆が目抜き通りを埋め尽くし、日本の総領事館を6時間にわたって包囲する。日本批判を繰り返しながら、石やペットボトル、ペンキ缶などを投げつける。
4月、中国各地に広がった反日デモの中で、最も衝撃的だったのは、上海だったのではないか。日系企業も多く、経済発展の先端地でもあるこの都市で、よりによって最大の騒動になったのだから。
あれから3週間たって上海を訪れた私は、多くの人に話を聞いて、さらに驚いた。デモでは身なりの良い「外資系企業のホワイトカラー」が目立ったというのである。中国で最も恵まれた職場環境にいる彼らがなぜ……。そこでは、次のような要因が語られるのだった。
・携帯電話やメール、インターネットがデモの陰の主役だったが、これらを使いこなし、情報入手が早くて問題意識も鋭いのが彼らだ。
・私企業、とくに外資系企業には共産党の監視や教育が及びにくいから、すぐ行動に移りやすい。
・ビジネスで外国に行く機会が多く、内外の「自由」の格差を感じているだけに不満がたまっていた。
デモでは「フー・チンタオ(胡錦涛)、日本に強く当たれ」と指導者を名指しする声すらあって驚いたという外国人ジャーナリストもいた。日本へのライバル心が育つ中、「反日」に名を借りたというより、「反日」と「民主化」が表裏の関係にあるということではないか。
それもあってだろう、当局は再発防止に懸命だった。旧知の日本研究者は連日、職場などの党員集会を回り、日中関係の大切さを説いて回っている。日本批判をあおりがちだった新聞には暴力批判の投書や論評が目立ち、インターネットの「反日」サイトは閉ざされていた。
しかし、この先も覚悟した方がよいのだろう。中国では民主化が進めば進むほど、実は「反日」が噴出するかもしれぬということを。民主化は期待したいが、いまは政治の統制が「反日」を抑えているという皮肉な構図なのだ。
ふと思い起こすのは、かつての日本のことだ。戦後民主主義の下に育った「反米」機運は、激しい安保闘争などを生んだ。国の急成長期、ナショナリズムが高まるのは、よくあることかもしれない。
それでも日本には米国文化や商品があふれ、「反米」社会にはならなかった。いま、新たな日本文化や企業、商品が流入する中国が「反日」だけに染まるとも思えないが、日米と違う大きな気がかりは、両国間に欠けた政治の危機管理である。
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「罪を憎んで人を憎まず」とは孔子の言葉だと小泉首相が国会で発言した時、私は北京にいた。A級戦犯がまつられた靖国神社に参拝しようとも、孔子の本家が問題にするのはおかしいというのだ。小泉さんらしい切り返しではあるが、これはまた刺激的な、と不安になった。
こんな風に孔子を使われて、なるほどと思うだろうか。神経を逆なでされたと感じないか。案の定、翌日会った北京大学の知日派教授は「また、ぶちこわしだ」と嘆いた。
孔子の75代目にあたる孔健さんが東京で中国情報紙の編集をしていると知り、帰国後に連絡をとると、やはり「迷惑しています」という。
あの言葉は孔子の9代目にあたる孔鮒(こうふ)が残した「孔叢子(くぞうし)」に、孔子の言葉として出てくるのだが、孔健さんは「肝心の『論語』にないんです」といぶかり、「罪を謝ってこそ人も許されるのに」と、思わぬご先祖登場に首をかしげるのだ。
そういえば、かつて中国の獄中にいた旧日本軍の戦犯に対し、周恩来首相が「罪を悔い改めた者には寛大に」と、減刑や日本送還を大幅に認めた経緯がある。そもそも「一般の日本国民には罪がない」としたことや賠償放棄など、侵略された側としては十分に温情的だったとの思いが中国には強い。
もっとも90年代に強まった「愛国主義教育」には「反日教育」と映る面もなくはない。例えば、南京市にある「大虐殺」の記念館を訪れた私は日本軍の蛮行に改めて心が沈んだのだが、「30万人」と断定された犠牲者数が随所に大書されているのには戸惑わざるをえなかった。この巨大な数字の根拠には、日本で多くの疑問が指摘されている。
中国は被害の規模を大きく見積もりがちだ。一方の日本では、疑問点ばかり突いて、あたかも事件そのものを否定するかの主張も聞かれる。こうした不毛の行き違いが靖国問題の底流にもありはしないか。
中国側はもう少し科学的に数字を検証する。日本側は規模がどうであれ、市民や捕虜の虐殺という非道の事実を重く受け止める。そんな冷静さが双方にあればと、つくづく思うのだった。
「能(よ)く礼譲を以(もっ)て国を為(おさ)めんか、何か有らん」とは、孔健さんが論語から選んでくれた言葉の一つだ。
「礼儀と謙譲の心で国を治めれば、何ら難しいことはない」という意味だが、これは外交にもよく当てはまる。
中国のトップはデモの行き過ぎをわびて礼儀をつくし、小泉首相は謙譲の精神で靖国参拝をとりやめる。これは、そんなに難しいことなのだろうか。
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苦難の末に実った1972年の日中国交正常化から33年。当時の熱い日中友好ムードが新婚時代だったなら、いまはわがままをぶつけ合い、相手のあらばかり目につく危機の夫婦みたいだ。時に茶碗も飛ぶ。
北京の清華大学で学生たちに講演した私は、そんなたとえ話をした。
相互不信の根にはさまざまな誤解もある。いくら日本が右傾化しているといっても、「軍国主義の国に戻る」とは思い過ごしである。同様に「中国は経済・軍事大国となってアジアを牛耳るつもりだ」と恐れるのも行き過ぎだ。小さな不信から「過去をちっとも反省していない」「昔のことばかりあげつらうな」と、エスカレートする。
メディアも両極端だ。中国では反日デモの実相が報じられない。連鎖反応を防ぐためというが、だから、なぜ日本人が怒ったか分からない国民が大半だ。一方の日本では、デモの暴力シーンばかりが繰り返し流されるから、「中国人はみな反日」といったイメージが増幅される。
学生からは「東アジアに2匹の虎が共存できるか」という質問も出たが、エネルギーや環境など共通の難題を抱える2匹には、共存しか道がない。そのためにこそ、両国に流れる儒教の伝統を生かしたい。孔子はやはり日中のキーパーソンだ。
1世紀前、「東洋の王道」によるアジア連携を説き、日本に多くの支援者を得たのは中国の革命家・孫文だった。「王道」とは仁義や道徳など儒教精神による政治のこと。その後の日本は王道を踏み外して失敗したが、「東アジア共同体」が語られるいま、これは参考になる。
日本の近代化にも儒教は生きていた。明治〜大正期に多くの会社や銀行をつくり、日本資本主義の父とされる渋沢栄一は常々「論語と算盤(そろばん)」を口にした。商売にも利害打算だけでなく道徳が必要という戒めは、いま両国に必要な発想に違いない。
その渋沢は中国との関係にも心を砕いていた。
「日中間は同文同種の関係あり。国の隣接せる位置よりするも、はた古来よりの歴史よりいうも、また思想、風俗、趣味の共通せる点あるに徴するも、相提携せざるべからざる国柄なり」
「人情を理解し、己の欲せざる所はこれは人に施さず、いわゆる相愛忠恕(ちゅうじょ)の道をもって相交わるにあり」
合弁事業による経済提携も説いたから、先見性には驚いてしまう。
こうした私の話に対し、鋭い質問の数々と、多くの笑いや拍手をくれた若者たち。そこには明日への希望を見る思いがした。