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朝日いつかは名人会ガイド

文・京須偕充

顔ぶれ紹介
第4回公演(07年1月12日開催)

2006年12月13日

 第4回朝日いつかは名人会(1月12日夜 浜離宮朝日ホール)は「落語立川流」の出演です。ナビゲーターはご存知、立川談春。06年秋には池袋で独演会七夜を催すなど、このところ活躍めざましく、技倆(うで)も高座っぷりもひときわよくなってきたのは、ご承知のとおり。元来が大器の質ですから、今いちばん楽しみな人です。

写真立川談春=横井洋司氏撮影
写真立川笑志=横井洋司氏撮影

 そして今回「いつかは名人」の2人は立川笑志(立川談志門下)と立川志ら乃(立川志らく門下)。前座は談春門下の立川こはる。立川流には珍しい女性新人です。

 落語立川流“家元”談志が落語協会を脱退し、落語史上初の流派創流をしたのは昭和58(1983)年6月末のことでした。そのとき「弟子15名とともに」と記録されています。それから早くも四半世紀近くの歳月が流れました。協会に戻ったり、廃業した人もごく一部ありましたが、その後弟子も、そのまた弟子、つまり孫弟子も増えて、いま立川流は総勢40名を越えています。

 協会脱退では先輩格の「圓楽一門会」もほぼ同じくらいの人数。寄席の定席(じょうせき)興行を交互に担当している落語協会、落語芸術協会の、二つの社団法人に比べれば小会派でしょうが、半世紀前の、噂の名人ぞろいだった時代の両協会がそれぞれ100人未満――ほぼ80人前後だったことを思えば隔世の感はあります。寄席に出演することが、出演できることが落語家の絶対条件だった時代がじつはとうに終わっていたことが証明されたのです。

 さて、立川談春は昭和41(1966)年東京の生まれ。昭和59(84)年春、五代目立川談志に入門。63(88)年に二ツ目、平成9(97)年に真打昇進。

 立川笑志は昭和37(62)年に福岡県に生まれ、63(88)年に五代目立川談志に入門。談春より年齢は上ですが、入門は遅かったというわけ。二ツ目昇進は談春の真打昇進の半年ほど前の平成9(97)年初めでした。以後、「にっかん飛切落語会」(日刊スポーツ新聞社主催)などで数多く、何度も受賞した経歴がありながら、なかなか家元から真打昇進の認可が下りないのですが……。

 立川志ら乃は昭和48(73)年に東京に生まれ、平成10(98)年に立川志らくに入門しました。既成の協会でなら、とっくに二ツ目になっているキャリアですが……。

 今回の立川流の面々はすべて流派創流後の入門者。定席の寄席の実体験がないというわけです。脱退の半年前に入門した立川志の輔でさえそうなのですから、すでに流派の大勢は、六代目三遊亭圓生の自伝のタイトルのような、「寄席育ち」ではないのです。

 今回の「とっておきトーク」には、前3回とはちがったアングルの話がいっぱい飛び出すと思います。どうぞお楽しみに。いつかは名人なんてノンキな話じゃなく、今年あたり「そろそろ○○に……」の2人の奮闘ぶりに期待するとともに、有力な名人候補生の高座ぶりにも大いにご期待のほどを。

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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