第4回朝日いつかは名人会は1月12日(金)19時から浜離宮ホールで2年目のスタートを切りました。
ナビゲーターは立川談春。昨秋の「談春七夜」など、いまいちばん旬のはなし家。“いつかは”名人の二人は同じ立川流の立川笑志、立川志ら乃。笑志は談志門下、つまり談春の弟弟子(おとうとでし)――といっても入門が後だったからの弟で年齢的には兄。でも、この世界の序列に年齢は無関係ってことは、みなさんも薄々ご存知でしょう。志ら乃は志らく門下ですから、(こういうことばはありませんが)談春からみれば甥(おい)弟子。前座は談春門下のこはる。名前からお察しのとうり、お嬢さん。
そのこはるの演目は『道灌(どうかん)』。太田道灌が狩(かり)の途中でにわか雨にあい、貧しい民家に雨具の借用を乞うたところ、娘が代わりに山吹の花咲く枝を差し出し、「七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)ひとつだになきぞかなしき」という古歌を添えた――。で、その歌を傘借しの断り文句だと思い込んだ男があって……、という噺。
「おうむ返し」といわれるパロディ失敗パターンの噺ですが構造はそれほど単純でもなく、簡単にやれる噺でもないのに、「なぜか柳家では、これが入門者の初稽古のネタになっている」と柳家小三冶さんからうかがいました。実際、柳家系統では、いまもそれが実践されているのです。“家元”立川談志師匠はもと先代(五代目)柳家小さんの高弟。従って立川談春、立川笑志は先代小さんの孫弟子、立川志ら乃、こはるは曾孫弟子。反逆精神ありの立川流でも柳家の伝統は生きていたってことでしょうかね。
立川志ら乃は『崇徳院(すとくいん)』。若旦那が重症の恋患(こいわずら)い。見染めた相手のお嬢さんはどこの誰だかわからない。渡された短冊(たんざく)にしたためられた和歌「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢わんとぞ思う」が唯一の手がかり。熊さんのお嬢さん捜索活動が始まる。
和歌の噺が続きましたが、これも正月らしさかな。まあ噺の性格はまるでちがいます。崇徳院とは保元の乱の敗者側に回った崇徳上皇で、この歌は小倉百人一首の中でもよく知られた一首。志ら乃はテンポよく、明るく運んで、師匠志らくゆずりの醒めたギャグを随所に採り込み、大ウケしていました。
立川笑志は『寝床』。義太夫大流行の昔、義太夫に凝り固まった旦那がやたら聴かせたがる。ご馳走付きはいいのだが、その義太夫たるや声といい節といい異様にして怪奇、まともに遭遇すれば生命にかかわる。逃げたがる人々と旦那との騒動の一日。登場人物も多い大ネタですが、本来とうに真打であるべき(と私は思っている)笑志ですから、心配はいりません。
「寝床」という一語がサゲ(落ち)に使われるスタンダード型のほかに大正・昭和初めの初代柳家三語楼が改訂し五代目古今亭志ん生に継承された、義太夫地獄から亡命した元番頭の消息で笑わせる型がありますが、今回は双方を融合したたっぷりバージョンでした。
立川談春は『紺屋高尾(こうやたかお)』。紺屋(染物屋)の職人が吉原のトップ花魁(おいらん)高尾太夫に思いを寄せて恋患い。(『崇徳院』も恋患いがテーマでしたが、自力で解決できない若旦那と、やりとげた紺屋職人とでは大ちがい)
彼は三年かけて金を貯め、高尾との一夜にすべてを使い果たす覚悟で吉原へ行く。その真情、純愛に高尾太夫はほだされて、翌年解放の身となったとき、この職人と夫婦になる。これ、男性版シンデレラ物語、もとは講談。類似の噺『幾代餅(いくよもち)』よりずっと人情噺的で、長尺です。
ついでに添えれば、紺屋高尾のこのストーリーは浪曲で大ヒットしたことがあるのです。大正末年に初代篠田実が売り出したレコードが全国的に売れて、戦後しばらくのころまで、「遊女は客に惚れたと言い……」は名文句として世間に通用したものです。日本人好みのストーリーなのでしょう。
立川談春は若いころから『紺屋高尾』を十八番のようにしていました。『幾代餅』の要素も少し採り入れた、堂々の高座ぶり。ほとんどマクラなしで50分の長演でした 。職人が高尾に切々と訴えるくだりは圧巻。
「とっておきトーク」は、ハト派ぞろいといえど立川流三人衆、いままでの3回よりだいぶ辛口でした。どうしても立川笑志の特異なポジションがテーマになります。なぜか家元師匠の認可が下りないのだけれど、すでに笑志流芸風が整ったベテランの大物二ツ目、若手落語家賞取り放題なんだもの、「もうずっーと、いまのままでいいんじゃない?」とは年下の兄弟子・立川談春師匠のご託宣でした。
トークもはずみ全員が熱演、終了は21時30分すぎ。この会の最長時間記録でした。
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