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朝日いつかは名人会ガイド

文・京須偕充

顔ぶれ紹介
第5回公演(07年4月25日開催)

2007年04月19日

 朝日いつかは名人会も1周年、第5回を迎ました。折からの落語ブームもあってか、過去4回はいずれも満員の盛況でした。この会場はそれまでは落語のラの字もかかわりない、いわば落語の処女地だったのですが、順調に落語ファンになじまれてきたようで、主催者の感激も感慨も一入(ひとしお)だと聞きました。

写真柳家喬太郎=横井洋司氏撮影
写真春風亭栄助=横井洋司氏撮影
写真三遊亭天どん=横井洋司氏撮影

 「ナビゲーター役がまず柳家喬太郎で2回連続、3回目が柳家花禄、4回目が立川談春と旬(しゅん)の顔ぶれだったこと、二つ目も1回目が古今亭菊朗(真打になって菊志ん)、三遊亭歌彦、2回目が三遊亭遊馬と三遊亭好二郎、3回目が五街道佐助(真打になって隅田川馬石)と三遊亭きん歌、4回目は立川笑志、立川志ら乃。各会各派のイキのいいところ、あるいは話題性のある人材がそろっていたから客の入りが悪いはずはないという予測だったが、予想以上の成果をあげてきたのはたしかだ。なじみのない会場に“客が付く”までには一年くらいかかるものだが、その点でも予想外の成功だった」

 “とっておきトーク”が評判のようです。

 「出演者3人のフリートーク・タイムというのはありそうであまりない。落語家は元来がソリストで、つまり一人でしゃべる芸だが、一般の若者たちの会話のように“語らう”状況になると芸とは別の素顔が前へ出て来るものだ。一般の人が知らない楽屋の話が聞けて、お客も一歩落語界の奥に参加したような気分になれる。こんなことは戦前派の師匠たちが多数だった時代にはあり得なかったことだが、テレビの登場から半世紀を越えて、ファンがタレントに求めるもの、タレント側のアピールのありようというものも変わってきた。この実験は――というほどのことでもないが、前向きに受け入れられていると思う」

 第5回のナビゲーターは再び喬太郎さんに戻りました。

 「1周年ということでね。二つ目は春風亭栄助と三遊亭天どん。ちょっと異色のメンバーだな。こんなふうに後輩を選択するアングルが毎回ヴァリアブルなのはいかにも喬太郎らしいところだね。栄助は次の真打候補の世代、天どんはまだちょっと先の世代だ。2人の間にはだいぶキャリアの開きがある。同じ二つ目といっても先輩後輩の身分差ははっきりしているし、2人の芸の方向性もちがうから、その落差でトークはおもしろくなると思う」

 年齢で10年、入門で2年の開きですね。

 「栄助はじつは07年春の落語協会真打昇進五人男の平均より8歳ほど年長なのだ。入門が遅かったということだね。師匠は春風亭栄枝。1959年に亡くなった八代目の春風亭柳枝の門からスタートした大ベテランだ。若い頃からジャズやロックに精通していて、昨年襲名した六代目の小さん師匠はこの栄枝師匠にジャズの楽しさを教わったと書いている。栄助は1962年に生まれて95年にその栄枝師匠の門を叩いた」

 なるほど、遅い入門ですね。

 「いまを時めく立川志の輔も30歳に手が届く時分の落語界入りだからね、キャリアは長ければいいというものではないよ。天どんは72年に生まれて97年に入門した。こちらはまあ標準だろうが決して早いほうではない」

 10年という年齢差は大きいけど、入門2年の差はそれほどのものじゃありませんね。

 「ところが90年代の不況期は就職難が続いたからか、落語界へ入る人が多くて、2人の間には14人もいるのだよ。春秋に5人ずつ昇進させるようなことをすれば真打になる時期も2年差程度を維持するだろうが、そういくものかどうか。それでも、ほぼ同時代に修業や楽屋の苦労をした同士ではある」

 天どんさんは円丈門下ですね。

 「80年代以降の、それまでの新作落語とは体質も性別も異なる現在の“新作”を創始した人だね。今回のトークでは、それぞれの師匠の話、それぞれの方向性、真打昇進への考え方など、いろいろな話が聞けると思うね」

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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