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朝日いつかは名人会ガイド

文・京須偕充

顔ぶれ紹介
第7回公演(07年10月5日開催)

2007年09月14日

 第7回朝日いつかは名人会は再び、いや三たび目の柳家喬太郎ナビゲーターの夕べ。今いちばん活躍のめざましいこの人が後輩二つ目二人とどんなセッションをするか、「とっておきトーク」でどんな『お兄さん』振りを見せ、何を言うか。それに応えて二つ目両人がどんな成果を挙げるか。

写真柳家喬太郎=横井洋司氏撮影
写真五街道弥助=横井洋司氏撮影
写真瀧川鯉橋=横井洋司氏撮影

 開催は10月5日(金)19時から、浜離宮ホール。出演者は柳家喬太郎の他、二つ目が五街道弥助(雲助門下・落語協会)、瀧川鯉橋(鯉昇門下・落語芸術協会)、前座は三遊亭歌ぶと(歌武蔵門下・落語協会)です。

 五街道弥助は1972年11月に埼玉県秩父市の生まれ。97年4月に五街道雲助に入門、前座名はのぼり。00年6月に師匠の前名・金原亭駒七を継いで二つ目に昇進しました。05年2月に五街道弥助に改名。二つ目になって8年目です。

 のぼり時代にはしばらく、有楽町朝日ホールの「朝日名人会」で前座をつとめました。

 瀧川鯉橋は1971年11月新潟県上越市の生まれ。96年5月に瀧川鯉昇(当時は春風亭鯉昇)に入門して鯉双。02年9月に鯉橋で二つ目。二つ目生活6年目です。

 弥助、鯉橋ともに師匠は『古典派』です。「五街道」はガッチリ古典、「瀧川」は現代スパイス型古典、という相違がありまして、それぞれのスクールの校風の違いは今回の二人にも大きな要素になっているようです。

 五街道も瀧川も珍しい亭号ですが、ともに江戸時代からで、それもかなり初期の落語家がすでに名乗っているのです。

 プロの落語家第1号といわれる初代三笑亭可楽は最初のころ「山生亭花楽」という表記でした。初代三遊亭圓生も初めは「山遊亭猿笑」。今もそのまま十一代続いている金原亭馬生は下総の小金原(現在は松戸市内)が名馬の産地だったことに因んでいる……というように、落語家の名前は洒落からスタートしているのです。

 五街道とは、東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道……のことで、現在この亭号のトップは街道には付き物の「雲助」。瀧川鯉昇が縁起のよい「鯉の滝昇り」に因んでいるのはもちろんです。

 明治以降では、「五街道」、「瀧川」ともに今一番隆盛の時期を迎えていて、一段と発展することは間違いありません。

 今をときめく「立川」の亭号も、落語家の始祖というべき初代烏亭焉馬(うていえんば)が本所相生町、竪川筋の人だったことに因んでいるのです。竪川では字が堅いので「立川」。

 竪川の名は今も墨田区に残っていますが、江戸時代には原野だった武蔵野の奥地に生まれた立川が有名になったために、落語に無縁の人は亭号も「タテカワ」ではなく「タチカワ」と読んでしまうようです。

 立川流は間違いなく、落語史上今が最盛期。五街道、瀧川もこれに続いてほしいものです。第7回の二人には、そんな『歴史的使命』も託されているってことでしょうか。

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)
落語プロデューサー
1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。
有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。
『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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