内弟子の仕事
「落語家の修業は大変だよ、辛抱できるかい。会社に就職するのとは大違いだ。一人前の仕事ができなくても最初の月から給料がもらえる、なんてわけにゃいかないんだからね」
師匠やおかみさんは念を押します。それを覚悟の上ならば、まあよかろうってことですが、それでも“試用期間”のようなものがあります。前座になる前の「見習い」といわれる時期がそれに当たりますが、ほとんど入門内定状態の「見習い」から、(どうせこいつ、モノにならないとは思うが、本人にそれを悟らせるためにも)辛さの体験学習をさせる「見習い」まで、かなり開きがあるようです。
そのあたりは、企業の試用期間とは似て非なるもの。企業の試用期間なら半年とか3カ月とか、一律に定まっていますが、落語家の見習いに一定の期限なんかない。極端な話、1日や半日で終わってしまうことだってある。緊張のしすぎか、初日からとんでもないしくじりをしてしまうと――、しかももともと師匠や、おかみさんがあまりよい印象を持っていない場合だったなら、
「君は落語家には向かないね。早く足を洗ったほうが身のためだよ」
で、オシマイ。逆に、志願者のほうが2、3日であきらめて逃げていってしまうことだってある。
そんなに落語の稽古ってきびしいの?
いいえ、この段階ではまだ、稽古もパチンコもありゃしません。モノになるかどうかわからない相手に噺の稽古をつけるほど師匠は暇でもなく勤勉でもなく、物好きでもないんですね。
じゃ、何が辛いの?
それはね、見習いの初日から、彼は師匠の「僕(しもべ)」になるから――、ならざるを得ないからなんです。師匠ばかりじゃない、師匠の世界そのもののシモベになることを要求される。師匠のおかみさん、師匠の家庭、ときには一門――つまり兄弟子(あにでし)たちのシモベになる。
いまは住宅事情が変わって、師匠の家に住み込んで起居をともにする「内弟子(うちでし)」はだいぶ少なくなって「通い弟子」が多くなっているようですが、かりに、むかしながらの内弟子見習いの一日が始まったと致しましょう。
朝はいちばん早く起きる。まず玄関前の掃除。箒目(ほうきめ)を立てる。日本家屋であれば、門や玄関の戸などを水洗いする。濡らしたまま時間がたつと木目にシミがつくから、すぐに乾いた清潔な布で拭き上げる。庭があれば落ち葉を片付けて箒目を立て、縁側、廊下などの拭き掃除。師匠の寝室と居間が別ならば、その居間、客間、茶の間などの掃除。朝刊をそろえ、いつでもお茶をいれられる準備を整えて師匠の起床を待つ。
おかみさんがする朝食の準備の手伝いもする。いや、場合によってはほとんどおかみさんの代わりに朝食を整えることだってある。
えーっ、どうしてそんなことまでやらされるの? それに、大半の弟子は男の子でしょ? 炊事までやらされるのはどういうわけ? そんなことが芸の稽古にどうつながるってのさ。納得できない、落語の世界って変!
ま、別にね、師匠がセコくって、無給で働かせるってわけじゃないのさ。男の子を酷使するサディズムでもない。これはね、男女にかかわらず、生活の基本的な用事をやることで、いろいろな落語に描かれた庶民の生活を実地に体験して学ぶ、という目的から出たならわしなのでしょう。また、そうした用事、雑役をどう工夫して上手に、また勤勉にこなすかで弟子の人間性、素質を観察するという目的もある。
明治の末の話ですが、三代目柳家小さんにそのあたりの極意を質問した人がありました――。