座布団を引っくり返し、お茶を引っくり返し
「大勢のお弟子さんがまめまめしく働いていますが、師匠の目から見て、どの子が有望ですか?」
小さんは「小菊」の名前を挙げたそうです。その理由は、
「小菊は、何にでも趣味をもってやるから」
雑巾がけでも掃き掃除でも、たんなるノルマとしてはやらず、今度はこうやってみようか、ああやってみようかと自分なりの工夫をする。それを楽しみながらやっている――。
三代目の小さんは夏目漱石の「三四郎」の中で、同じ時代に生きるしあわせ、と表現されている「小さん」です。師匠の目は正しく、やがて「小菊」は師匠の跡を継いで四代目柳家小さんになりました。小菊という名は、本名の平山菊松にちなんでいるのでしょう。この四代目の小さんが、02年に亡くなった五代目柳家小さんの師匠です。「趣味をもってやる」の言い方に明治大正の風情があります。「趣味」は、いまより高い価値観の言葉でした。
さて、見習いや前座が師匠の家の家事全体をやるのには、こんな意味があるのです。封建的だ、時代にあわないと批判するのは至って簡単なことですが、落語が300年の歴史の中で培った知恵は時代をすでに超越しているのだとも言えるでしょう。
「見習い」が1年も2年も続くことはまずありません。3カ月か半年で、彼は晴れて師匠の正式な弟子となり、「前座」という身分になります。落語家の卵としての「芸名」も付けてもらえます。これで一応、落語家としての道を正式にスタートすることになるのですが、まだ芸人としては“成人前”ですから、落語家の団体(協会など)の正規の会員になれたわけではありません。楽屋などの要員として、とりあえず登録されるだけなのです。
前座は寄席や落語会の働き手として楽屋に出勤することになります。朝は師匠の家にいて相変わらず家事や雑用をしますが、昼席の前座なら、その開場前に寄席の楽屋に入って、師匠の家でしたのと同様に一日の準備にいそしむのです。
やがて入れ替わり立ち替わり、いろいろな師匠方や色物の芸人さんたちが楽屋の人となります。お茶を出し、着替えを手伝い、時にはお使いも頼まれる。遅れて来る芸人さんに連絡をとることもする。
開演直後の、まだ客の少ないところで一席しゃべるのが前座にとって何よりの稽古(けいこ)。まだ上手にしゃべれないし、客席の雰囲気もまだ温まっていないから針のムシロのような思いをするけど、それに耐えなければ将来がない。そのためにも、正式に前座になるあたりで、師匠はいくつか噺の稽古をしてくれます。その二つ、三つの噺が前座の最初の財産。この段階で勝手に聞き覚えの噺をしゃべることは許されません。
高座の座布団を返し、演者名の記されたメクリの紙を返し、マジック芸人の道具の出し入れをし、三味線のおねえさん(おばあさんもいる)に合わせて太鼓を叩き、さらにソリストとして太鼓を叩く――、開場時の一番太鼓、開演直前の二番太鼓、そして休憩を告げる仲入りの太鼓に終演の追い出しの太鼓、と前座は忙しい。
高座へ出る芸人が1人や2人休んでもどうにかなるが、前座がいなくなったら寄席の機能は停止してしまう。それほど重要なポジションなのだが、身分はもちろん、存在そのものが歌舞伎の黒衣(くろご)のように、いわば“いないも同然”と扱われる。そう、前座とは、機能のみあって人格のない、生きたロボット同様なのです。
前座は高座で布団を引っくり返し、楽屋でお茶を引っくり返して叱られ――と、よく言われます。それでも名人や人気者の高座を見聞きし、その素顔に触れ、叱られることもあるけど褒(ほ)められることもあり、お小遣いをいただいたりご馳走になったり、日増しに彼は業界の人になっていくのです。